それぞれの夢
「食うか?」
九十九がハンバーガーのような物を差し出す。
「うん、ありがとう」
既に、水尾先輩はいつものようにお重に入ったそれを食べている。
あのお重はすっかり彼女専用の弁当箱となっていた。
雄也先輩はリヒトに紙を見せながら、何か話しているように見える。
すっかり会話ができるようになったのは凄いよね。
わたしは、九十九から渡されたハンバーガーのようなものを、はむっと咥える。
うん、今日も美味しい。
「美味いか?」
「うん。これ……、パティに見えるけど……何?」
ハンバーガーにはつきものの、分厚いお肉っぽいものが挟まれている。
でも……、お肉にしてはあっさりしているので、お肉じゃないと思った。
「赤い木の実をすりつぶして、まとめて、茹でたらそうなった。これならリヒトも食えるからな」
なるほど……、リヒトのことを考えて、やはりお肉ではないようだ。
しかし……、木の実をすりつぶして……、まとめる。
なんて面倒な作業なのだ。
いや、人間界のハンバーグのように、ひき肉にする工程や、さらにそれを纏めるのも結構面倒だとは思うけれど。
「こんなハンバーガーやサンドイッチなら、わたしも作れるかな?」
「これなら挟むだけだからな。変質に気を付ければ食えるものはできる。このバンズのようなものとの相性次第になる」
しかし……、そのためには、このバンズのようなものを作ることから始めなければいけないようだ。
そして、これは、例によって九十九のオリジナル。
うん、材料集めの時点でうまくいく気がしなかった。
「はあ~」
思わず溜息が漏れる。
「どうした?」
「いや、つくづく、わたしは何もできないなと思って……」
そう考えると、溜息の一つも出るというものだ。
「できるだろ? 少なくとも、お前がいなければ……、あのリヒトはここにいない」
「あれは……、わたしじゃないよ」
確かに身体はわたしだった。
でも、その意識は「高田栞」ではなく、九十九すら知らない「昔のワタシ」だった。
「……あの時、誰よりも先に動いたのはお前だったよ」
九十九がポツリと口にした。
それは聞き逃してしまってもおかしくはないほど小さな彼の呟き。
「へ?」
わたしが短くも間抜けな問い返しをすると……。
「あの紅い髪の男も、オレも、お前がいなければあの場には行っていない。勿論、お前の中に眠っている意識だって、あんな場面を見ることもなかった。それに……やり方はともかく、今の、『高田栞』の意識のままでも、お前は同じことをしていたとオレは断言する」
今度の九十九は力強くもきっぱりと言い切った。
だが、それだけ聞くと、わたしは記憶があってもなくても、無謀な行動をする人間だとしか思えない。
「……わたしって、そんな阿呆かな?」
わたしが尋ねると、九十九は黙って頷いた。
せめて、言葉にして欲しい。
「だから、オレたちがいるんだろ? 何を今更悩むんだ?」
「頼りっきりなのが嫌なんだよ。このままじゃ自活できない」
「……自活?」
九十九は眉を顰める。
「今は九十九たちに守られているけど……、いつかは離れる日が来るでしょう? 少なくとも、20歳ぐらいにはある程度、道を見つけなきゃ……」
「別に焦らなくても良いと思うが……。それとも……何かやりたいことがあるのか?」
「人間界にいた時はあったんだけどね~。教職とか公務員とか……」
「お前……、教師になりたかったのか?」
意外そうな顔をされるが、わたしとしては自然に思い描いていた道だった。
「なりたかったというより……、金銭的に母の足を引っ張ることはないなと思っていたよ。弁護士や医者になれるほどの頭はなかったし……、何より、学費の問題がね」
奨学金制度を使っても先行投資がどうしたって高くつくのだ。
特に医者は六年間も大学に通う必要がある。
そんな余裕などなかった。
「金のためか……。だが、それら以外で、他にやりたいことはなかったのか?」
そう言われて……、少し考える。
彼に……、言ってみても良いものだろうか?
でも、普通は引いちゃうかな?
「笑わないで聞いてくれる?」
「ああ」
九十九は迷わず頷く。
だから……、思わず言ってみたくなった。
彼なら、馬鹿にすることはないだろうと期待を込めて。
「昔から……、漫画を描くことに……、興味があった」
その言葉を口にすることは、かなりの勇気を必要とした。
「漫画?」
「うん」
暫し、沈黙。
なんだか、九十九が何か考え込んでいるような気がする。
ちょっと返される反応が怖かった。
わたしとしては、思い切ったことを言ったつもりだった。
人間界では漫画を好きだって人は結構いると思う。
日本の文化だ。
それを恥じるつもりはない。
でも……、それが製作者側に回ろうとすると……、「オタク」と呼ばれ、周囲から蔑まれたりする。
詳しくはよく分からないけれど、なんか、暗いイメージがあるらしい。
「つまりは漫画家……ってことだよな。教師や公務員なんかより……、そっちの方がこの世界ではできそうだな」
「はへ?」
顔を上げた九十九は、わたしに向かって意外なことを言った。
「いや、漫画だろ? オレは読む専門だったから詳しくはないけれど、紙と筆記具さえあれば、可能なんじゃないのか?」
「それは……可能……、だとは思う」
わたしもそこまで知識があるわけではないけれど……、自主製作、自費出版? をやっている人だっているぐらいだ。
「売れるかどうかは分からないけれど、描くだけならこの世界でもやれるんじゃねえか?」
「いやいやいや! なんでそんな簡単に言うの?」
あまりにも素直な反応だったので、わたしは思わず慌ててしまう。
「確かに職業としては魔界にないけど……、本の挿し絵とかは存在するし、姿絵描きだっている。その中で、一人ぐらい異色なものを造るヤツがいても良いんじゃねえか?」
「……異色って……」
やはり、変わっているとは思っているらしい。
それでも、彼は漫画を描くという行為を否定もしなかったし、漫画家という職業を馬鹿にすることもなかった。
「やってみればいいじゃねえか。少なくとも、オレは応援するぞ」
「ほえ!?」
ちょ、ちょっと待ってください?
「九十九はそれで良いの?」
こう散々、振り回して、国から追われるようになったのに……、その果てがちょっと変わった絵描き……?
それってありなの?
「反対する理由はない。それに……、娯楽が少ない世界だ。お前が本気で努力すれば、受け入れられる可能性はあるだろ」
なんという前向きさ。
さらに不思議なほど妙な自信。
でも……、心は揺らされる。
ずっと無理だと思って諦めていたけど……、確かにわたしはまだ全力でやったことがあるわけではない。
それに……、九十九の言うような大きなことはできなくても、趣味の範囲なら……、確かに誰にも迷惑はかからない。
だから、自己満足でも……、やってみたいって思ってしまった。
我ながら、単純だと思う。
「でも、納得した」
「何が?」
「人間界のお前の家。あれって……、そのためだったんだな」
そう言って、九十九は笑った。
わたしの人間界の家……、そしてわたしの部屋を思い出す。
存在感のある本棚。
それはぎっしりと詰め込まれた本たちの重さで、棚板部分が反ったように歪んでいたほどだった。
でも……、あれは別に将来のための資料とかではなく、単純に好きだっただけです。
だけど、なんとなくこの場では言えなかった。
九十九が……、本気で応援してくれるのが分かったから。
彼は時々……、素直過ぎると思う。
「あれは好きだったから集めていただけだよ。人から貰ったのも多いしね」
特に……、母のお兄さん……、わたしにとっては伯父さんから頂いたものが多かった。
いくら何でも中学生であそこまで収集は難しいだろう。
「でも、まさか……、『応援する』とまで言ってくれるとは思わなかったよ」
そこが一番、意外で……嬉しかった。
「ワカや高瀬も言ってくれたのにね……。すっかり忘れていた」
まあ、そんな心の余裕もなかったのだけど。
「あいつらも知っていたのか?」
「うん。ワカもイラスト描くのは上手かったよ。高瀬は……、九十九と一緒で見る、読む専門だって言っていたけど」
「本当に付き合いが長いんだな、アイツらと……」
「まあね。小学校から中学校に入っても付き合いは続いて……、さらに魔界に来てまで……、だから、かなり長いね」
本当に切れない縁にも程がある。
大事にしなきゃね。
「母にも言ったことはなかったよ。言っても困らせちゃうだけだからね。ああ、でも……、わたしが絵を描くことはあの二人以外なら、ああ、来島も知っていたかな」
「……また懐かしい名前だな。でも、若宮や高瀬はともかく、なんで、あの男も知ってるんだ?」
「書店でイラストの描き方講座本を買おうかどうか迷っている時に遭遇したから」
小学校の同級生でもある来島とは、本当に本屋でよく会ったのだ。
彼と偶然、出くわす確率は、同じ中学校に通っているワカよりも格段に高かったと思う。
受験終了後にも会ったぐらいだからね。
「ふ~ん」
九十九は肯定とも否定とも分からない言葉を返す。
「九十九は? 何かやりたいことはないの? わたしの護衛……、いつまでもできないでしょう?」
わたしがそう言うと、彼は少し目を逸らして……。
「ある」
と、短く言った。
「わたしが、聞いても良いもの?」
わたしのその質問に対し……、彼は一瞬、目を丸くした後……、チラリと別の方向を見た。
その視線の先には、雄也先輩とリヒトの姿がある。
「言いたくないなら、無理して言わなくても良いよ。わたしは……、九十九が『応援する』と、言ってくれただけで満足なのです」
そう言って、わたしは胸を張った。
その言葉に嘘偽りはない。
九十九は大きく息を吐く。
「誰にも言うなよ」
そして、意を決したような表情でわたしを見てこう言った。
先ほどのわたしもこんな瞳をしていたのだろうか?
「オレは薬師になりたい」
ここまでお読みいただきありがとうございました。




