青年の焦燥
珍しいことだが、自分は妙に落ち着かない気分だった。
妙に苛立っているというか抑えが効かないというか……、弟に対して抱く一時の感情とは違う異質なもの。
持続性のある感情というのは自分にしてはかなり稀だと思う。
「だーかーらー! 何度言ったら分かるんだよ!!」
短い黒髪の女性は怒気を孕んだ声を出す。
「ううっ……」
長い黒髪の少女は、自分の手を見つめて涙目になっていた。
「魔力の聚合を感じたら、そこで収束させる! 放出を抑える! 心を落ち着ける! 発動を我慢する! 無駄に出さない! 簡単なことだろ?」
なかなか魔法を使いこなせず、苦戦している少女を見ているのは楽しい。
少しずつの進歩は見られるし、直向で真剣な表情は知っている人間によく似ていて少しだけ落ちかなくなるけれど、それは決して厭な感情ではないのだ。
「あの的……、もとい、九十九を狙って」
さも当然のように、短い黒髪の女性は愚弟を指し示した。
「だから、なんで、オレが的なんスか――――?」
「なんでって……、一番、やられ役に相応しいから?」
「怒りますよ!!」
愚弟のやられっぷりを見ているのも楽しい。
ある意味、自分自ら手を下すより、彼女が代行しているというのも良い点だ。
胸が空くような清々しさが後に残る。
同じやられ方だけでなく、変化に富んでいるので退屈もしない。
そして何より……、この光景を懐かしく思えた。
昔、こんな風景が日常だった時代もあったのだ。
「先輩! たまには、代わってくれ! 先輩の方が私より教え方は慣れてるだろ!」
怒りの矛先を変え、短い黒髪の女性は俺に言葉を投げた。
いや、元々、ある程度の怒気はこっちに向けられているのだが。
「いやいや。魔法国家の王女以上に、魔法が長けた者など、この場にはいない。魔法に関しては、貴女に一任した方が望ましいと思っているが?」
俺の言葉に律儀に反応してくれる彼女も楽しい。
反応が様々で、次に何を言おうかといろいろ考えさせてくれる。
本来、女性に対してすることではないのかもしれないが、彼女自身が俺から異性として扱われることを激しく拒絶しているのはよく分かっている。
だが、男の友人たちほど粗雑に扱うのは、俺自身が心苦しい。
本人は否定しても、相手は女性なのだから。
『Was ist dieses Tun?(これは何をやってるのだ?)』
「Das ist die Praxis der Zauberei.(魔法を使っているね)」
『Diese Frau wird immer böse. Ganz recht sein?(この女性は常に怒っている。良いのか?)』
「Es gibt keine Sorge.(何の心配もいらないよ)」
この褐色肌の長耳族……、「リヒト=ブラオン=シーフ」と会話を試みるのも楽しい。
言葉が通じたとき、特に誤解などが解けたときの感覚は格別だ。
まだ、今は言動の割に親切な紅い髪の彼が残していった書物に頼った会話でしかないが、そのうちもっとスムーズに会話できるようになる気がする。
尤も、その頃までにはリヒトがうまく脳内で自動変換できるようになっているか、カルセオラリアで翻訳機を手に入れているかのどちらかだとは思っているのだが……。
それにしても……、意識的に自動変換を解除するのは、慣れるまではかなり苦労をした。
だが、既に先人がいた以上、「できない」は言い訳にしかならない。
結果、一日ほどでできるようにはなったのだが。
日頃、他国の書物を読み漁っていたことも幸いだったようだ。
発音はともかく、意味と文法の理解はできるのだから。
同じ理由で、短い黒髪の女性もコツを掴めばできるだろう。
魔法国家の第三王女殿下は他国の語学に関しても、俺より知識が深いから。
長い黒髪の少女には未だそこまでの技術を求めるのは酷だ。
現在、普通の魔法にも苦戦しているのだ。
彼女の場合は、読心魔法をマスターした方が、近道かもしれない。
あの愚弟に関しては……、もともと、勘で魔法を使っているためか、そういった自分で魔気を操って使う改良型魔法は、今のところ不得手なのだ。
あいつも素直に読心魔法をマスターするか、翻訳魔法を見つけた方が良さそうだ。
あいつは、奇妙であまり人が使わないような魔法と相性が良いから。
尤も、翻訳魔法なんてモノがあれば……の話だが。
少なくとも、現時点では俺は知らない。
リヒトは、あの場所では「シュヴァルツ=ウンファル」と呼ばれていたらしい。
具体的にそう呼ばれたわけではない。
異なる言語のためか、彼は言葉が聞き取れていなかったのだから。
だが、感じていたというのが本人の言だが、あの長との会話から、そう外れてはいないだろう。
スカルウォーク大陸言語で「Schwarz」は「黒い」。
そして、「unfall」は「災難、事故」。
意訳すれば「黒き災い」。
あまり良い趣味だと賛同はできないが、そう呼びたくなるのも分からないでもない。
単純に日焼けした肌とも、黒ともいえない微妙な褐色肌。
かなり痛んではいるが、真っ黒で長い髪。
何よりも、あの集落にいた白い長耳族たちに多かった緑の瞳と異なる濃い紫色の瞳。
あの長も濃い紫ではあったが、その肌の色と髪色が違うせいか、まったく別種の生き物に見えることは間違いない。
彼が言うには、母親が死んでから、この森で彷徨った挙句、あの村へと迷い込んだらしい。
ドコカで聞いたような境遇だ。
つまりは、この世界では珍しくもない話なのだろう。
その死んだ母親の感性は、あの集落の長耳族たちと異なり、至極真っ当だったらしく、産まれてきた褐色肌の息子に対して「Licht」と名付けた。
それが、スカルウォーク大陸言語で、「光」という意味を持っているのは偶然だっただろうか?
その名の意味を彼に告げると、彼は困ったような顔をした。
その気持ちはなんとなく分からないでもないのだが。
自分の子どもを常に正式名称で四六時中呼ぶ親はいない。
そもそも、長耳族は精霊族なので、魔界人のような「魔名」ではないのかもしれないのだが、彼はこれから、我々に付いてくる形になる。
そうなると、「魔名」に近い名前を付ける必要があった。
だから、「褐色」を意味する「braun」と、彼の本来の種族である「シーフ」を付けた。
命名の儀を行ったものではないので、正式な名前とはいえないが、このまま名無しでいるわけにもいかないだろう。
名前がないと、何かと不便という理由もある。
黒い長耳族なんて、珍しい精霊、それも生きたままなんて、なかなかお目にかかれるものでもないから、あの男はさぞかし喜ぶことだろう。
あまり、あの男の被験者にはさせたくもないが、長い間、括られていたのだから心身ともに健康面が気にはなっているところだ。
彼は長耳族だから普通の魔界人とは体組織も若干、異なるだろうが、健康か否かの判断くらいはあの男でもできるだろう。
ここを出てカルセオラリアへと向かう前に、彼の肌と耳……、つまり、外見をなんとか誤魔化す方法を考えておく必要がある。
長い黒髪の少女はそういったことを気にしなくても、世間は異質を許さないものだ。
人間と長耳族。
俺たちとは違う生き物だと言うことは、あの集落の中でよく分かっている。
それは、単純に価値観、風習の違いもあるのだろうが、もっと根本的な何かが違っていたのだ。
顔や身体の造形は整っていても感情があまり見出せなかったせいか、面白味もなく、どこか人形じみていた。
相手が女性であっても、異性と言うよりも異物という印象の方が強いとも感じた。
そう言った意味でも、確かにこの少年は異質だ。
彼には、他の長耳族に比べてもっと感情があるように見える。
不安、畏怖など負の感情の方がまだ強いが、言葉が少しでも通じるという安心感があるのか、時折、ぎこちなくだが笑顔を作ろうとするのだ。
あの場で彼に良い意味で笑いかけるモノなどなかっただろうし、嬉しい、楽しいなどの感情を持ったモノがあの中にいたかどうかも謎だが、彼は、俺たちを見ながら少しずつ笑う努力をしている。
あのような惨い仕打ちを受け続けても尚、完全には心が折れていなかったのが、彼にとって救いかもしれない。
より悲劇さが増し、同情の余地が増える。
そして、そんな彼を我が主は捨て置けなくなってしまう。
そうなれば、どんなに周りが反対しても彼女は受け入れることだろう。
持ち前の強さと無謀さで。
そんなこともあって、他の者はどうか分からないが、俺自身は今現在の状況は悪くないと思っていた。
ここが、自然結界内……、それも迷いの森と言われているような所だということは、あまり人は立ち入らない……、閉ざされた空間であるということだ。
人以外のモノは住んでいるようだが、そこに立ち寄りさえしなければ問題はない。
セントポーリアからの追っ手がいたとしても、よもやこんなところに潜んでいるとは思わないだろう。
そして、ミラージュの方は、先の件があるから、暫くは半端な手出しをしてくることはないはずだ。
ただ、残念ながら、ここにも長くはいられないだろう。
もって、二ヶ月……、いや、一ヶ月ぐらいで、俺たちはここから立ち去らなければいけなくなるだろう。
外界の方が遥かに危険だと承知して。
『Hast du irgendein Problem?(問題があるのか?)』
不思議そうな顔で、リヒトが尋ねる。
どうやら、顔に出ていたらしい。
まだまだ、俺も未熟だな。
「Nein, es gibt kein Problem.(いや、何も問題はないよ)」
それでも、「問題ない」と返答するしかないだろう、今のところは。
言語については……(以下略)。
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