守れるならば
彼の言うことをそのまま信じるなら、それだけ九十九が近くにいてくれたってことなのだろう。
わたし自身に覚えはなくても、一つの布団で昨日の夜は過ごしたことは間違いないらしい。
だから、いつもより、その、接触ってやつが深かったってことで良いのかな?
いや、本当にわたしの意思ではないし、なんでそうなったのかよく分かっていないのだけど。
強いて言えば、母のせいだ。
絶対に!!
「知りません。彼は幼馴染という話は聞いていますが、わたし自身に覚えがない以上、その関係もはっきりと断言でないと思います」
わたしが、九十九と幼馴染かもしれないと気付いたのも、少し前のことだ。
しかも、わたしは覚えていない。
そう考えると、彼との関係はひどく不確かなものだということに今更ながら気付いた。
「そこだ」
「へ? どこ?」
「なんで、あんた魔界人なのにその全く記憶がないのは何故だ? お陰で、何かと話の進みは遅い上に、無駄な説明の必要も生じる。さっきの『魔気の護り』なんて、ガキのうちから自然と覚えているもんだ」
目の前にいる人の鋭い瞳が、わたしを射抜く。
な、なんか……、少し前に九十九からも同じようなことを聞かれた気がする。
でも、そんなことを言われたって困る。
本当に全く覚えていないのだから、知らないも同然だろう。
「さあ?」
「『さあ? 』って……、自分のことだろ?」
「それすらも覚えていないのです。気が付いたら、わたしはここで人間として生きていて、貴方たちが言う魔界や、魔法などとは無縁の生活を送っていました」
「………………無縁、だと?」
かなり不自然な間が開いた上に、彼の眉が少しだけ動いたのは気のせいか。
でも、本当に記憶の中に存在していないのだから仕方がない。
誕生日にこの人達と出会うまでは、わたしは「魔法使い」なんて、漫画や小説の中にしかいない存在だと思っていたぐらいなのだから。
「まあ、良い。俺はあんたと暢気な会話を楽しみにきたわけじゃないからな」
そう言うと、彼はわたしから視線を外して、周囲を見た。
その瞳は何かを探っている気がする。
「そう言えば……、魔界人がどうとか……」
「そうだ。先ほど言ったように、俺はあんた以外の魔界人を捜しに来た」
彼は周囲を見回しながらも、律儀にわたしの言葉に応える。
「でも、皆、寝ていますよ?」
これだけ周囲が倒れている異常な現状に、少しだけ慣れてきている自分もどうかと思うのだけど。
「言っただろう? ここに魔界人がいた場合、そいつは狸寝入りをしていやがるって」
そう言いながら、彼は右手を翳す。
その構えはどこかで覚えがあるものだった。
確か、以前、あのよく分からない異空間で、彼が魔法を使った時にも見た気がする。
「ちょっと待ってください!!」
「安心しろ。まあ、大体の当たりは付けているから……、ただの人間を巻き込むような愚は冒さないさ」
彼はそう言いながら、倒れている生徒たちに手を向けた。
その行動の意味を理解して、血の気がザーッと引く音が聞こえた気がする。
頭の中に浮かんだのは、いつかの、自分に向かってくる燃え盛る黒い炎。
「安心できるかあああああああああああっ!!」
思わず、そう叫びながら彼の右手に向かって、ヘッドスライディングするようにタックルをする。
「うおっ!?」
幸か不幸か……。
彼の魔法は発動する前だったようだ。
「あっ!?」
だが、わたしはあっさりと振り払われてしまう。
「あ、あんた……、どういうつもりだ?」
露骨に眉を顰めて彼はわたしを睨みつけた。
その鋭い眼光の迫力に呑まれまいと、精一杯声を張り上げて抗議する。
「あ、あ、当たり前です! 魔法……、あんな恐ろしいものを目の前で使われて黙って見ていられる訳ありません!」
「この場合、黙ってみているほうがお互いにとっても良いと思うが……。仮にまともに食らったとしても、魔界人なら多少の火傷程度だ」
魔界人ならって……。
「も、もし、人間だったら?」
「跡形も残らん」
跡形も残らない。
それは比喩でも誇張でもなく、本当の話だろう。
「そ、そん、そんなの……駄目です!!やっぱり見ているだけなんてできません!!」
「そう言うと思っていたから、あんたには眠っていて欲しかったんだがな……」
ポツリと彼は言った。
「まあ、良い。見ていることができないというのなら、少しぐらいなら遊んでやっても構わんか」
そう言って、彼はわたしの前に手を伸ばす。
わたしの背筋が自然と伸びて、足が震えたのが分かる。
あの時は、すぐ近くに九十九がいてくれた。
だけど、今は誰もいない。
あの時は、周りに何もなかった。
でも、今度は周りに倒れた人たちがいる。
仮に彼が言ったとおり、魔法が使えるという魔界人がこの場にいて、寝た振りをしていたとしても、それでも多少の火傷……、怪我をすることには変わりないのだ。
それを黙って見て見ぬふりなんてできない。
この場を乗り切れても、その後で、ずっと罪悪感に囚われ続けてしまうと思う。
状況はともかく、「わたしだけは動けたのに周囲を見捨てた」ということに変わりはないのだから。
「あんたなら、記憶と魔力が封印された状態だとしても死ぬことはないさ」
ニヤリと笑って、彼があの黒い炎をわたしに飛ばす。
わたしは、近くにあった椅子を手にやり……。
「ていっ!!」
その炎に向かって投げつける。
ガシャッ!
ぼしゅぅ……。
その椅子を焼き尽くしてもこちらに向かってくることも考えられたが、思いのほかあっさり椅子とともに黒い炎は消えてくれた。
だけど、手がものすごく痛い。
まあ、普通に考えても折りたたみ用のパイプ椅子だ。
本来の使用目的やその重さから考えても、振り回したり、ましてや投げたりするようなものじゃないことぐらいは分かっている。
そして……、後で数が合わなくて弁償とかなっても嫌だなと思う。
ある意味、正当防衛ってことで見逃されることを期待しよう。
「なかなか面白いことするんだな……。素直に避けるかと思ったのに……」
彼の方は余裕の笑みだ。
まあ、労力的に考えてもわたしの方が不利なのは分かりきっている。
「ハンデだ。少しぐらいの間なら貸してやろう」
そう言って、彼は身に纏っていた黒いマント……のようなものをわたしの前に投げた。
「何のつもりですか……?」
「ハンデと言っただろう? その外套は耐火性だ。そんな椅子をぶん投げてもすぐその数は尽きる。そして、すぐ倒れるのがオチだろう。どうせなら、時間の許す限りオレはあんたともっと長く遊びたいんでね」
敵に塩を送るというやつ……かな?
彼のマントを掴む。
ずっしりとして重さ的には分厚いコートだ。
確かに……、金属バットよりは振り回しにくいと思う。
それでも、椅子を振り回して手首の状態を悪くするよりはまだ良いのかもしれない。
ただ気になったのは、彼が言う耐火性って……、どの程度のものだろう?
魔界人の判断基準が分からない。
「ただの人間に等しいお前にどれだけの抵抗が出来るか、俺に見せてみろ。失敗したときはお前の身か、周りの人間かが焼けるだけだがな」
そう言って、今度は三つの黒い炎を飛ばす。
「てやっ!!」
紫電一閃! ……とは少し、大げさな表現だけど、それに近い表現だろう。
思いっきりマントを横薙ぎに振り抜く。
重さのためか、身体ごと持っていかれそうになったが、火は三つとも消えてくれた。
「ふむ。十分だ」
そう言って彼は満足そうな笑みを浮かべる。
それはまるで子どもが新しい玩具を見つけたときの顔にも見えた。
これは……、恐らくかなり遊ばれるなと思うが、今更、後には引けない。
「精々、俺を楽しませろ」
こうして、ほぼ一方的な……蹂躙が始まったのだった。
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