彼女以外に
案の定、彼女は樹に身体を預けて、無防備な顔のまま眠っていた。
「オレと同じ歳とは思えないよな~」
毛布をかけながらオレは呟く。
どちらかというと、ミラの方が年上に見える。
あの娘は年下だったが、色気の使い方というものを既に知っている。
それに対して、目の前のこの女は色気の欠片もないというか、異性を意識させないというか……。
「ああ、でも……」
眠っているこの顔は、いつもよりも少しだけ歳相応に見える。
この大きな瞳が開かれていないためだろう。
彼女の瞳は、やや大きい上、はっきりとしているせいか、言動等の幼さを強調してしまっている気がする。
一緒にいる時間が長いせいだろうか。
こうして改めて見ると、今まで気付くことはなかったのだが、彼女なりに成長はしているようだ。
あんまり微妙すぎて、すっげ~分かりにくいけど。
髪の長さを見れば、年月の経過などすぐに分かる。
ストレリチアに居たとき、ウィッグの下でぐんぐん伸びていった髪は、今や彼女の肩から流れ落ちていた。
本人は少し癖があることを気にしているようだが、オレや兄貴の髪ほどの癖じゃない気がする。
多少、外に広がりを見せているけれど、そんな言われなければ分からない。
その程度の癖など当人がなんと言ってもオレは癖とは認めない。
癖ってのは、オレや兄貴みたいに、固くてまとまりのないようなものを言うのだ。
「ん……」
オレが毛布をかけてやると高田の肩がぴくりと動いた。
別に、悪いことをしているわけではないし、そんな気だって微塵もないのだが、なんとなく心臓がバクバク言ってる気がした。
確かに、こんなところを人に見られたら誤解を招きかねない。
改めて目の前に眠っている彼女を見た。
危機感も警戒心もなく、魔気という護りもなく、全面的に周りを信じきった顔だ。
「だから、あんな簡単にあの男にキスされるんだよ、この阿呆」
自分を狙うほどの敵であるあの男と暢気な顔で会話をした挙句、あれほどの接近を許すなんてどう贔屓目に見たって何も考えていない証拠だ。
それを思い出しただけでまた怒りがふつふつと沸いてくる。
「だからだ……」
あの時、オレの頭に血が上ってしまったのは……。
この女のあまりにも阿呆な姿に心底、腹が立ってしまった。
だから、兄貴の言うとおり、冷静さを欠いてしまったのだろう。
未熟者扱いされても仕方がないと思う。
「オレはまだまだだな……」
17になり、それなりにいろいろな経験をしてきたとは思っている。
だが、兄貴が同じ17歳の時とは、まだ比較の対象にもなれない。
兄貴が17歳の時には、既にほとんど完成されていたといっても身内の欲目には当たらない気がする。
それほど、当時の兄貴はすごく、同時にオレはまだまだ未熟のままだった。
「ああ、なんだか考えてると鬱になりそうだ」
身近にいる比較対象の出来が良すぎると、自身と勝手に比較して、その差に愕然とし、自滅して落ち込んでしまうものだ。
それは単にオレだけのことかもしれないが……。
「こいつは……悩みなんてなさそうだよな」
何気なく、その柔らかな頬を軽く指で突付きながら悪態を吐く。
勿論、そんなこと、本心で言っているわけじゃない。
彼女がオレ以上に深刻な悩みを抱えていたとしても、オレを含めた周囲の誰も驚かないはずだ。
それほど彼女のこの細い肩に圧し掛かっている重圧は計り知れず、その心を占めるであろう暗雲は今も色濃い。
それを少しでも振り払うための護衛でなければならないはずなのに、オレは役に立っていないのだ。
そして、こんな風に一人で勝手に落ち込んでいる。
彼女は、法力国家ストレリチアの騒動に巻き込まれ、その中で女神を降臨させ、「聖女」の認定を受ける直前までいった。
そして、当人の強い意思で「聖女」にはならず、その代わりに「聖女の卵」となった。
それだけでも、普通ではない。
他にも、これまで関わってきた人間たちを振り回しつつも、何故か不思議な方向へと導いていく。
この女がいなければ、この世界の一部の人間たちの人生は、今と全く別のものとなっていたことだろう。
だけど……、彼女が「聖女」であっても、「王の娘」であっても、オレのことを忘れてしまっても、オレにとっては昔から、ただの幼馴染でしかないのだ。
彼女の暗い顔を見たいわけではなく、落ち込んだ顔をさせたくもない。
いつものように穏やかで暢気な空気を保っていて欲しい。
他人の心の闇すら払ってしまうような明るい笑顔をもっと見せてもらいたい。
兄貴の真意は知らないけれど、オレの願いは昔も今も変わらずそれだけだ。
そこに恋愛感情などというものは毛の先ほどもなく、どちらかというと長く一緒にいるため家族愛的なものの方が大きいと思っている。
だからと言って、彼女のことを妹や姉のような存在だと言う気もさらさらない。
なんだかんだ言っても彼女は他人なのだ。
兄貴に感じるような感覚がないのがその証拠といえるだろう。
一番近くにいる他人……。
そんな感じだろうか。
異性としては……、勿論、論外で対象外で範囲外だ。
いや、自分の好みから大きく外れているわけではない。
だが、オレは彼女に「女」を感じる機会が、最近、ほとんどなくなっていた。
流石に、ゼロとまでは言わないけれど……、「異性」だと意識する割合は、高田より水尾さんの方が遥かに高い気がする。
一般的観点から見れば、外見、言動共に高田の方が「女」なんだろうけど、長く一緒にいるとそれが誤っていることが分かる。
水尾さんは中性的で姉御肌だが、時としてかなり女性らしいところがあるのだ。
高田は女性というより、何故か未だに少女らしさを保っている。
まだ、17歳。
もう、17歳。
そろそろ少女から女性になっても良いんじゃないかと人事なのに、心配してしまうが、こればかりは仕方がないだろう。
「う……ん……」
その当人はオレの目の前で、暢気に身体を捩じった。
「……危機感、ホントにねえよな、お前」
この場にいるのがオレじゃなく、あの男だったらあっさり喰われてんじゃねえのか?
この状況。
アイツ……、兄貴と同様、手が早いみたいだし。
「なんとか言ったら、どうだ? お姫さま」
勿論、本人から返答はない。
そりゃ、そうだ。
寝てるんだし。
しかし、これだけ何度も頬を突付いても反応ないってのはどうなんだ?
不意に……、あの光景が思い出された。
アイツの唇が、この柔らかい頬に触れた……、あの場面。
この頬に……、アイツが……。
何かに引き寄せられるようにオレは顔を近づける。
そして…………。
「はい、そこまで」
あっさりと制止された。
オレは顔面に鈍い痛みを感じ、少し身体が後ろに飛ばされる。
「まさか、我が弟が女性の寝込みを襲うとは思わなかったぞ」
「襲ってねえ! 単に顔を近づけただけだ!!」
一応、今のところは。
「はあ……。無防備に寝ている女性に対してそのアホ面を近づけている時点で邪念が全くなかったとは言い切れまい? 傍目に見ても襲っているようにしか見えなかったぞ」
「兄貴と一緒にするなよ」
だが、もし……、兄貴に止められなかったら、オレはどうしていた?
「何度も言うが、彼女だけは止めとけ。互いのためにもな」
「何度も言わなくても分かってるよ」
そう、分かっているんだ。
オレは、「高田栞」にだけは惚れてはいけない。
例え、どんなことがあっても。
もし、オレが「高田栞」に惚れてしまったら…………。
「ならば良い」
思ったより、兄貴はあっさりと引いた。
「溜まっているなら、悪いことは言わん。相手は彼女以外にしろ。それならば、俺も邪魔する気はない。あの金髪の娘でも水尾さんでも好きに迫るが良い」
「溜まってねえ!!」
―――― まだ、大丈夫だ。
そう自分に言い聞かせて。
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