少女の記憶
「アイツには簡単な状況説明はしておいたからな」
俺は、そう言った。
「そう……。ありがとう。あなたがいてくれて本当に良かった」
彼女はそう言いながら、にっこりと微笑んだ。
まったく、無防備なことだ。
この分なら、俺たちが連中を襲撃したことも忘れていそうな気さえする。
命を狙った相手に向ける顔じゃないと思うのは俺だけか?
だが、彼女はそこまで暢気じゃなかったようだ。
顔つきを変えて俺に確認する。
「それで、これからどうするの?」
「ほぅ……。俺はてっきりヤツの通詞のために一緒にいてくれとか抜かすかと思っていたぞ」
「そんなこと……、できるわけないじゃないか」
彼女は、溜息を吐く。
「いやいや、暢気なお前のことだ。放っておいたらそう言い出しかねない気がしていた」
「それにわたしがそう言ったら……、あなたはいてくれるの?」
汐らしい言葉と、身長差があるために上目遣いのお願いとなっている。
女慣れしていない男なら、ある程度転がしてしまいそうだ。
「まさか」
だが、俺だって、そこまで馬鹿じゃない。
まあ、その身は狙いやすくなるが、監視も厳しくなることだろう。
それでなくても、連中から少し離れたこの場所にいるのに、先ほどから鋭すぎる視線が突き刺さっているんだ。
こんな状況が四六時中続くという状況に対して、得られるメリットが少なすぎる。
「でしょ。あなたたちは、二人とも、自分の魔力の封印が解け次第、去ってしまうと思っている」
「ほう。お前を再び、襲うとは思わないのか?」
「思わない」
きっぱりと強い瞳を向け、彼女は言った。
「その根拠は?」
「勘?」
先ほどと違って少し頼りなさそうな笑みを零す。
「危ねえな……」
だが、確かに俺も、多分、妹のミラも……。
今、封印が解けたとしてもこいつらに襲い掛かる気はしないだろう。
毒気を抜かれてしまったというか……、なんと言うか。
「大体、個別撃破がうまくいかなかったのに、団体を相手にする気? それも、4対2。あなたたちの方が不利すぎるよ」
さらに痛いところを突きやがる。
「方法はないでもないが? お前たちの中に、足手纏いがいる以上……な」
「わたしのこと?」
「魔法が巧く扱えない以上、付け入る隙はいくらでもある」
魔法以前に、こいつの場合、心にも付け入る隙はいくらでもありそうな気がするが。
「ま、確かに。足手纏いなのは認める。わたしには雄也先輩のような冷静な状況分析能力も、水尾先輩のような正確で強大な魔法制御能力も、九十九のような素晴らしい料理の腕もないから」
「おいおい、少しばかり変なのが混ざってるぞ?」
「気のせいだよ」
まあ、こいつの気持ちも分からなくもない。
あの男は兄と比べても、魔法国家の第三王女と比べても、格別に秀でているものが見当たらない。
だが、それは比べる対象が悪いだけだ。
一般の魔界人としては遥かにその能力も高いように思える。
それに……、確かにこいつに口へ放り込まれた焼き菓子は美味かった。
甘いものではなく苦みのある菓子の方が俺の好みなのだが、食えなくもなかったのだ。
普通に甘いだけなら、俺は吐いていただろう。
誰でも甘味が好きなわけではないのだ。
「あの男は、潜在能力と直感的な判断力はそれなりにあると思うが?」
「うん、知っている。九十九も凄いよ。そうだね……。彼が一番、安心する」
その微かな言葉に少しばかり腹立たしさを覚えるが……、こればかりは仕方がないことなのだろう。
「努力をし続けることのできる人間はいつか必ず開花する。あの男はきっかけがあれば大化けするタイプだ」
「九十九が聞いたら喜びそうな言葉だね。直接言ったら?」
「警戒されると思うがな」
尤も……、離れた場所から聞いてはいるのだろうけど。
まあ、これぐらい言っておいてやっても損はねえだろう、多分。
「じゃあ、わたしには何があるんだろう?」
腕組みをして、考えているようだ。
「お前も、努力型だろ」
そして、潜在能力は未知数だ。
大化けどころか、爆発しそうなくらいの。
「努力型……。努力、してるのかな……、わたし……」
自信なさそうにそう言うが、彼女は努力をしていると思う。
少なくとも、今までしてきたと思う。
そうでなければ、ここにこいつはいないし、ヤツらもいないだろう。
「そのあまり厚みのない胸に手を当てて考えてみろよ」
「はい!?」
「いや、厚くはねえだろ?」
だが、薄いとも言わない。
身体のラインが出る服なら、ちゃんと彼女の膨らみは主張していることだろう。
単純に普段、着ている色気のない服が、そのボディラインを隠しているだけだ。
「否定はしないけど……、そこまできっぱりはっきりと言われると腹立つわ~」
「ご希望なら、大きくしてやろうか? 揉むと良いって言うよな?」
「けけけけ結構です!!」
分かりやすく顔を真っ赤にして、断られた。
からかい甲斐のあるヤツだ。
そこが、男の嗜虐心をそそってしまうことに、彼女は気付いていない。
だけど、彼女は意外なことを言った。
「……男の人って……。やっぱり胸、大きい方が良いもの?」
「は?」
「いや、一般論として……ね?」
驚いた。
気にしているのは身長だけじゃなかったのか。
それならば、男として、真面目に答えてやらねばなるまい。
「胸の大小じゃねえだろ? 女の価値は……」
俺がそう言うと、彼女は目を輝かせる。
いや、びっくり。
こいつにこんな人並みの女の悩みがあるとは……。
だからだろうな……。
「大きいに越したことはないけど……」
「ぐっ!」
余計なことを付け加えたくなるのは……。
「因みに俺は、お前みたいな小振りもおっけ~だぞ、割と。育てる楽しみがあるというか……」
「ふぉ、フォローになってない……。……というか別に育てなくて良いよ。ご遠慮いたしますわ」
どうやら、本気でへこんでいるようだ。
これはこれで面白い。
面白いのだが、そろそろ救いの手を差し出してやるか。
別の話に変えてやろう。
「ま、それはそうと……、今後のことだったな。封印が解けるのを待つか、シャレードがその辺にいるかもしれないから、そいつをとっ捕まえて、国に帰るか。バモスは……、当てにならないからな~」
「シャレード?」
「俺の部下兼幼馴染。アイツは無傷らしいし、律儀だから、俺らのことを探してくれてはいると思う。バモスは自分のことしか考えないやつだから、とっとと帰国しただろうな、生きていれば」
「幼馴染……、か……」
そこで、彼女の瞳が宙を泳いだ気がする。
そろそろ頃合だな……。
「ところで、俺も、お前に話があるんだが?」
「え? 何?」
「お前……、記憶が戻ってるんじゃねえのか?」
「え…………? な、なんで?」
彼女は目を丸くした。
「勘だよ、勘。お前と同じ」
「勘って……」
「さっきから、どっか変なんだよ、お前。自分じゃ気付いていないかもしれないけどな。俺や、あの男に対する態度が不自然っつーか……」
「そんなに変?」
「ああ。変だった。正確には、正気に返ってからずっとだ。連中も、うすうす気付いてるんじゃねえか?」
「そっか……」
でも、本当にこれは勘だった。
変だと感じたのも、さっきのようなふっとどこか別の場所を見ているような表情をしている時がほんの少しあっただけで。
ヤツらも気付いていたかどうか……。
尤も、これで気付くんだろうがな。
「戻ってないよ、これはホント……」
……まあ、そんな気もした。
彼女の魔気に激しい変化が見られないのだ。
もし、完全に戻っていたなら、こいつの魔気はこんな清浄なものではないはずだと思っている。
一度でも闇を知った人間が、いつまでも、清浄のままでいられるとは思えない。
「ホントじゃない部分は?」
「……わたしの記憶は戻ってない。だけど……、この身体の言動は知っている……」
「身体の……言動……?」
その意味が分からない。
「わたしのこの身体が、自分以外の誰かの意思で動いて、言葉を話しているのは知っているんだよ……」
「どういう意味だ?」
「例えば、先ほどの『シーフ』の森でのこと。わたしが、この手で魔法を使ったのはこの目で見ているんだ」
あの魔法を……この目で見ていたということは……。
「つまり……、お前は、あの時、意識だけはあったってことか?」
そんな俺の言葉に彼女は無言で頷いたのだった。
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