昔の思い出よりも
栞たちから少し離れた場所で、彼ら二人は立っていた。
少しだけ離れたのは、勿論、会話を聞かれたくないからだろう。
「……で、話ってなんだよ?」
ライトが先に口を開く。
だが、彼を呼び出した九十九は、別の方を向き、今も黙ったままだった。
「おいおい。呼び出しておいて、だんまりはねえだろ? 俺だって、まだ身体は回復しきっちゃいねえんだぞ」
身体の傷は先ほど癒されたのだが、体力はまた別のものだ。
いくら彼でも度重なる展開に精神的な疲労を隠し切れずにいる。
「お前は……、一体、何なんだ?」
ようやく、九十九が口を開く。
「は? 何って……、一介の魔界人?」
「魔界人は分かっているんだ。だけど、ただの魔界人じゃない、絶対!」
「そんな念押さなくても……。俺自身はただの魔界人だが?」
「だったら、あの魔力の塊はなんなんだ?」
少し前に、彼に染み込んで、全身に広がろうとする魔力は、今まで九十九が感じたことがないほど異質だった。
「ああ、そっちの方か。俺はてっきりシオリとの関係が気になって呼び出したのかと思ってた」
その台詞で、九十九は顔を紅くする。
どうやら、そちらの方も気になっていたようだ。
実際、彼が昔、シオリと会っていた時期があることは、これまでの話で九十九も知っていたことではあった。
だが、当事者の口から語られるのはまた違うということなのだろう。
「へへっ。やっぱり、あんたもさっきの会話にちゃっかり聞き耳を立ててたんだな~。……ったく、なんでお前らはそうコソコソしたことが好きかね~」
「それは良いから、オレの質問に答えろよ」
内心、お前が言うなと思いつつも九十九は先を促す。
「う~む……。本来なら、答える義務はないんだが……、ま、いっか。あんたにゃ借りがあるからな。それぐらいなら答えてやるか」
と、ライトはペロリと悪戯っぽく舌を出した。
その様子に九十九は戸惑ってしまう。
これまでの彼の雰囲気とあまりにも違いすぎる。
これでは、自分と変わらない年頃の男だ。
まあ、事実そうなのだが。
「あの魔力はな。自前じゃないんだ。後付け。分かる?」
「後付け?」
「そ。俺のあの魔力は後から、第三者の手によって、無理矢理、俺の身体に突っ込まれたようなもんなんだ。迷惑な話なんだけどな」
九十九は聞いたことがなかった。
魔力の変化……。
成長ならば大小の差はあれど誰にでもある。
だが、後からあれほど強力な魔力を、新たに身体の中へ取り込ませることなんてできるものだろうか?
近くにいる人間に体内魔気が干渉して影響があったり、身体の表面に、一時的に移るのはまだ分かるのだ。
だが、内部に突っ込む?
「他者の身体に魔気を込めるようなもんだと聞いている。普通は、反発するからできるはずのない現象だ。特殊な事例らしいから、深く考えたり、先例を探そうとしても難しいぞ。信じなくたってそれはそちらさんの勝手だがな」
しかし、九十九の目の前で、彼の身体から異質なモノを感じたのは間違いないことで……。
「だから、お前の意のままに操れなかったのか?」
「……それはちと違うな。俺の魔力にはヤツらによって魔法封じが施されていたが、もう一つの魔力にはソレが施されてなかった……。いや、あるいは通じなかった。そう言えば分かるか?」
確かに、いかに長命の長耳族とはいえ、一つの身体にそんな現象があるという事例までは予測できたとは思えない。
「本来なら、俺自身の魔力である程度は抑えが効くんだ。だが、あいつらはその俺自身の抑え役を封じ、暴走役は野放しにしやがった。迷惑かつ最悪な処置だよ」
ライトは自身の言葉に笑みを零した。
自分の魔力で抑えが効く?
そんなはずがない。
抑えが効かないからこそ、彼は毎晩苦しんでいるのだから。
「もし、抑えが効かなかったら?」
九十九はあの状況を思い起こす。
どう考えたって普通の魔界人では太刀打ちできそうもない。
魔力の塊が彼の内から満たした上で溢れ出ようとする様を思い出すだけでも、ぶるりと震えがくるぐらいなのだから。
「魔界が滅ぶんじゃねえ? ……な~んてな」
冗談めかした言葉が、先ほどの現象を目撃した今では、あまり冗談には聞こえない。
魔界が滅ぶというのも比喩ではない気がしている。
「何なんだよ、お前」
「た・だ・の・魔界人だっての」
「ソレはいい! ただの魔界人があんなもの身体に飼うかよ」
ライトも好き好んで身体があんなものに蝕まれているわけでもないのだが、彼が口にした「飼う」という表現は、なんだか気に入った。
それなら、まだ自分が優位でいられる気がする。
「だけど、その変なのもあんたが力技で抑え付けちまったろ?」
あの時、九十九が使った魔法。
それは、ライトがこれまで、味わったことがないほど大きな呪縛だった。
自身が他人の魔法によって、生殺与奪の権を握られたことなんて、幼少の頃ぐらいしかないというのに……。
「本来なら、シオリの暴走に使うところだったんだろうけどな」
尤も、そうなったらなったでライトにとっては面白くはないのだが。
「あいつの暴走より、お前の方に危険を感じたからな。オレのとっておきだ。アレで封じることができないならオレにはお手上げだな」
兄なら分からないが……と言いかけて九十九は言葉を止める。
それは自身の劣等感を刺激するだけだから。
「良いのか? 手の内を曝け出しちゃって」
「元々、オレにできることなんて高が知れている。これぐらいのことをお前に言ったところで、大した弊害はないだろうよ」
これぐらいのこと……。
彼は、自分のしたことが分かっていないからそんなことを易々というのだろう。
ライトは、目の前の男の無知さ加減に少しだけ呆れた。
「ま、とりあえず。礼は言っとく。サンキューな。助かったのは事実だ」
彼女の魔気に中てられて、自身の身体を破ろうとしたモノ。
こんな状況で、こんなカタチで彼女の前に晒したくはなかったのだから。
「へえ、あんたでも礼なんか言うんだ」
「そりゃ、言うさ。感謝の気持ちを言葉にするのは大切なことだって習ってないのか?」
「……ミラージュのヤツってそういった道理とかはないと思っていた」
「失礼だな。俺らにだってそれなりの道徳や倫理は多少ないわけでもない」
「……だったら、お前が自分の妹にしたことは……?」
その言葉で、場の空気が固まった。
ライトは、彼の鋭い目から言わんとしていることを察する。
「そうか……。あいつ……、あんたには話したのか」
他人に話せたのか……。
それは少なくとも彼の気持ちを安堵させた。
「そのことについて、あんたに話す義理はない。ミラの男になるなら別だがな」
「じゃあ、ミラには話さないのかよ」
「何を話せって言うんだ? この俺が……。今更、なんの弁解をしろと?」
「あんた、暴走しかかったとき言ったろ。『余裕があればミラを連れてここから離れろ』って。少なくとも、妹の身を案じているのは確かだ」
彼は妙なところで鋭い。
ライトは、あの時、まさか、あの状況がどうにか治まるなんて思ってもいなかった。
自分の中にいる魔力の塊が自身を食い破り、辺り一面が侵される様しか想像ができなかったのだ。
だから、今更、その言葉の真意を尋ねられても困るのである。
「これは、俺たち兄妹の話だ。関係ないヤツは黙ってろ」
そう言うのが精一杯だった。
暫くの間、九十九は腑に落ちない顔をしていたが、これ以上の追求は意味がないと察したのかその会話を止めた。
「ま、確かにオレには関係のない話だな」
どんな事情があっても罪を犯したという事実は消えないのだから。
「で、本題は良いのか?」
含みのある笑みを浮かべながら、ライトは九十九を挑発する。
「何だよ、本題って」
その「本題」の心当たりはあったが、九十九はすっとぼける。
まるで、紅い狐と黒い狸の化かし合いだ。
「シオリと俺の関係……、聞いていたんだろ?」
「知らん」
「じゃあ、教えなくても良いな。シオリも元に戻ったし、めでたし、めでたしっと」
「どうやって戻したんだ?」
「愛?」
「ふざけるな!!」
ライトは冗談のように言うが、九十九にとっては腹立たしい言葉でしかない。
「愛は魔界を救う」
「……あのな~」
「正直、俺にもそれ以外に心当たりがないんだよな~、真面目な話。幼馴染の懸命な声も『知らない人の言葉』で、片付けちゃったからね、アイツ」
ニヤニヤとした顔でライトは挑発を続ける。
「じゃあ、お前はアイツに愛があるって言うのかよ?」
「あるよ」
あっさりと、ライトはその事実を認めた。
そして、問いかけた方である九十九は逆に言葉を失ってしまう。
「いろいろ考えたけど、そ~ゆ~ことなんだろうな、結局。こればっかりは素直に認めるしかないわけだ。昔の……思い出よりも今のあの活きの良い女を選んじまったわけだし?」
「昔の……思い出……?」
「だからさ。聞いてたわけだろ? アイツとの会話。そうでなければ、あんたがあんなに不機嫌なわけないって。それに吹っ飛ばされたことに対して怒るなら、あんたは直接言うだろう?」
九十九は口を噤んだ。
図星なのだろう。
「俺がシオリに会ったのは、お前ら兄弟が出会うよりもほんの少しだけ前のことだ」
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