叶わない望み
少々、差別的な表現があります。
ご注意ください。
これはどうしたことだ?
暗闇の中、胸クソ悪くなるような声が聞こえる。
会った時から……、いや姿を見る前からヤツは気に入らなかった。
ヤツが行っていたことも……。
アイツがいなければ、魔封じをされた状態でもぶっ殺してやるところだ。
……って何故、俺は俺のままなのだ?
薄っすらと重い瞼を開けて、現状を把握しようとする。
声の感じから、ヤツとそこまで距離は離れていないことは分かっていたので、すぐにその存在を確認できた。
ヤツは何やら竜巻のような風に囲まれた大樹の前で何やら呟いているようだ。
目を閉じて、感覚の全てを聴覚のみに注ぎ込む。
魔法を封じられていても、集中すれば、それなりに耳で音を拾うことは可能だ。
すぐ傍にある轟音に書き消される可能性もあるが、その声だけを選別し、聞き取る努力をする。
繰り返すが、大変、気に食わない声なのだ。
『愚かなるグールよ。お前のしたことは利口な者のすることではない』
「……」
『答えぬか。その様子では、生きているのが不思議なくらいだ。今や、お前の心も読めぬほどにな』
「…………」
『だが、感謝しよう。お前という愚者の手により村は……、いや、この世界そのものが救われたかも知れぬ』
「………………」
『後のことは、我らに任せ、そのまま眠れ。他のグールも、この風のことも全て片付けてくれよう』
まあ、なんと言いますか……。
俺も、そんなに気が長い方じゃないわけですよ。
身体が悲鳴を上げているような気もするけど、先ほどよりはずっとマシなわけで。
ならば……、することは一つだな。
……だが、俺の身体は自分で思っていたよりも遥かに重症だったらしい。
身体は重力に従い、地に縛り付けられているというよりも、地に縫い付けられているという表現の方がしっくりくる。
つまりだ。
俺は殺したいほど憎い相手の傍にいながら何もできずに、コイツのその口上に対して耳を塞ぐことすら許されないという責め苦を味わわなくてはならないのか?
いっそ、殺せ。
頼むから。
そんな俺の苦悩は文字通り、吹き飛ばされた。
一瞬だけ、風が強まったかと思うと……、それまで周囲に感じられていた風の圧力が消えたのだ。
「その方に手を出すことは許しません。その手を離してください!」
凛とした声。
今までに何度も聞いた声と変わらないのに、漂う空気が全く違う。
そして、これこそ俺が知る女だ。
表情は暗く、どこか消え入りそうな儚さを持ち、虚ろな瞳をしながらも、鋭く冴え渡る声とそこにいるだけで周囲を圧倒する存在感。
その矛盾を兼ね備えた人間、それがあの女だったのだ。
感覚の全てを聴覚に注いでいるためか、先ほどよりも明確にそれが感じられる。
『他の大陸、他国の王の血を引く娘よ。お前もこの男と同じ……、いや、それ以上の愚行を重ねようというのか?』
「自らの保身のために無抵抗な者たちを手にかけるのが正当な行いだというのなら、私は愚者で構いません」
少女はきっぱりと相手の考えを否定する。
『国を捨てた者ならではの科白といったところか。この村を……、いや、この領域を護るためなら、私は、恩人であろうとこの手にかける覚悟がある』
「勘違いされているようですね」
『なんだと?』
「自然に恵まれ、他国間との争いもなく、国民がいつも笑顔でいられるあの国を捨てることなどできるはずがないでしょう。私が国を捨てたわけではありません。身内が私を捨てたのです。私はいつだってあの国と共にあります」
どこか彼女らしくない言葉なのに、今の彼女には相応しいと思えてくるから不思議だ。
『そんなことはどちらでも良い。その穢れし存在から離れよ』
「お断りいたします」
『娘よ。お前は何も分かっていない。その穢れし存在が、この領域に大いなる災いすら引き寄せたのだ。その事実があっても尚、お前はその穢れの存在を認めるというのか?』
「彼が穢れだとは私は、思いません」
『穢れだ。白き集いの中で、唯一の黒きモノ。それを見て、負の感情を抱かない者がいるはずがない!』
「だから……、集団で虐げることも構わないと?」
『無論だ』
彼女の問いかけに、相手は迷いもなく言い切る。
それが全てだと言うように。
「ならば、これ以上の議論は不要です。私は、この子どもを守るために魔法を行使します。本来は、母に止められていますが、状況が状況だけに已むを得ないと判断しましょう。どうなるかは私自身にも分かりませんが……」
子ども……?
ああ、なるほど……。
やはり、この女は穢れた存在とやらを守る方に回ったか。
昼間、俺がチラリと見た限りでは、大樹の前にいた……というか、張り付けられていたソイツは黒い風貌をしていた。
恐らくは黒い肌の長耳族だったのだろう。
この群れは白い肌の長耳族の集団だ。
ソイツが突然変異で生まれたか、何らかの理由で群れの中に紛れ込んでしまったのかはわからないが、その異質さは、ここの群れの連中にとっては格好の的となったはずだ。
黒は闇や穢れの印象を与える。
災い、災厄、穢れ、不浄……。
なんとでも、名目をつけて攻撃対象とすることは可能だっただろう。
ふざけた話だ。
神の御羽だって黒いのに。
長耳族というのは、変化を酷く嫌う種族だと聞く。
その中で、少しでも毛色の変わったのが現れると、そいつに集団暴行を加えることなんて、当然の行為……、いや、やつらにとっては神聖な儀式と化すことだろう。
生かさず殺さず、連中が飽きるまで儀式は続く。
一思いに殺さないのは、全ての悪いことをソイツのせいにすれば、自身が救われた気分になるからだ。
体調が悪いのも、天気が悪いのも、恋人の機嫌が悪いのも皆、ソイツのせい。
そうして、群れのフラストレーションの行き場は全てソノ異物に向けられ、ストレス解消の道具となり続ける。
誰かが、うっかり殺してしまうか、用済みと判断されるまで半永久的に。
長耳族たちに繁殖力があまり強くはない。
その反面、生命力が強く寿命は呆れるほど長い精霊族だ。
簡単には死ねなかっただろう。
つまりは、こういうことだ。
小屋の外での騒ぎは、この連中たちが黒い長耳族へ虐待。
それに栞が気に掛け、その現場に居合わせたシオリが反応……、感応してしまった。
だが、これは展開としては面白くなったのかもしれない。
身体が動かせなかったことで、こうなるとは思わなかったのだが。
あの女がこういった形で、魔界人として覚醒するとは思わなかったが、何らかのアクションは起こすと思っていた。
この状況は人間界で育った平和な頭では理解しがたく受け入れがたいし、魔界人には理解できたとしても、地獄絵図を見慣れていない者ならやはり、目の前で繰り広げられる光景は心中穏やかではいられなかっただろう。
さて、どうする?
長さまとやら。
相手はあんたが口にしたとおり他の大陸……、それも魔力の強さだけなら世界で1,2を争うシルヴァーレン大陸の中心国の王族の血を引いている娘だ。
六大陸の中で一番、魔力が劣っているスカルウォーク大陸の魔界人しか相手にしたことがないであろうあんたに、一体どれほどのことができるだろうか。
プライドの高そうな男の鼻っ柱が折れるところを想像するだけで、十分、楽しめる。
だが、俺の望みはいつも、後一歩のところで叶わない。
今回もそうだった。
「……だ、…………ろ」
絞り出すような、微かに聞こえる声。
何故か、いつもあの女に引っ付いている男の気配がないと疑問に思ってはいたのだが、声から察するに、瀕死の重傷といった印象を受ける。
また、無茶でもやらかして、怪我でも負ったか。
『愚かな。まだ、その身体で動こうというのか』
まったくだ。
アイツと意見が合うのは癪だが、正論ではある。
声だけで、状況が判断できるって、どうよ?
「た…………、や…………ろ……」
ヤツの声など届かなかったのか、男は馬鹿の一つ覚えのように、その言葉だけを繰り返す。
「……か…………、……め……ろ…………」
ただ、その言葉だけを……、何度も、何度も。
だが、無駄だ。
その女は今、「高田栞」ではないのだから。
そして、男だってそれは分かっているはずだ。
分からないというのなら、それは愚鈍だと言う外ありえない。
それでも、男は制止の言葉を紡ぎ続けるのだろう。
「高田、やめろ」と。
「ごめん……なさい…………」
そんな男の言葉に、彼女は一言だけ口にした。
それと同時に、木々の間にざわめきが広がっていく。
まるで漣のように。
「私を心配してくださっているのですね。魔気から判断する限り、貴方が純粋で優しい方だというのは分かります。ですが……」
そうして、女は決定的なことを告げたのだ。
「私は、貴方のことを全く知らないのです。」
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