卒業の実感
「今日も笹さんと会ってきた?」
待ち合わせ場所にいたワカは、わたしの顔を見るなり、こう言った。
これだけはっきりと断言されると、確信できる何かがあるってことだろう。
「うん。さっき、ちょっとだけね」
「ふ~ん。仲のよろしいことで」
そう言うワカの口調は、ちょっとだけ棘がある。
「でも、なんで分かるの?」
「ん? 今日はいつもよりもっと笹さんの匂いがするから」
「犬ですか……?」
どんな鼻をしてるのか?
「私が犬なら、高田は一緒にいられないねぇ。姿を見るなり回れ右して全力で逃げられそう」
そう言ってワカはからかうように笑った。
彼女がそう言うのにも理由がある。
わたしはとにかく、犬という生き物がひどく苦手なのだ。
それも大小関係なく。
でも、そのきっかけは思い出せない。
気が付いたらものすごく苦手だったのだ。
「まあ、匂いについては深く考えないでくれる? 単に笹さんの匂いが独特なだけよ。なんか特殊な香水みたいなのでもつけてるんじゃない?」
そう言えば、前にもワカはそんなことを言った。
確かに九十九の匂いはちょっと不思議な気がしないでもない。
でも、それはオーデコロンとかそう言ったものじゃない気がする。
兄である雄也先輩からも似たような匂いがするし。
でも、彼らは兄弟でお揃いの香りを振りまくタイプには見えない。
どちらも嫌がりそうだ。
そう考えると、少し笑えてしまう。
「匂いね~、わたしはあまり気にしてないけど……」
「あら? 駄目よ~。仮にも彼女なら彼氏の香りには敏感じゃなきゃ」
「嫌だな~、そんなの」
そして、本当に(仮)だから、笑えない。
「その方が浮気とかに対処しやすいじゃない。女性の移り香って仄かと思われるものでも結構なものよ?」
「いや、そんな疑いを持っている時点でそのカップルは先が見えているんじゃないの?」
「男と女は騙し合ってナンボでしょ? 駆け引き、謀計、そして略奪!」
不穏な単語しかない。
「……どこから突っ込めば良いの?」
「う~ん、お好きに?」
姿は見えずとも……、九十九が呆れているような気がした。
そして、姿は見えないのに、何故か頭を抱えている図が見えた気もする。
「それにしても、卒業ねぇ……。なんか実感も湧かないわ」
ワカがわたしをからかうのに飽きたのか、そんなことを口にする。
「そうだね。これで義務教育が終わりって言うのは不思議な感じだけど……」
「言われてみればそうね。小学校6年、中学校3年。思えば、長かった……」
「ワカとの付き合いも長くなったね」
「まあ、腐れ縁じゃなく鎖縁だし? こう切っても縛られるような?」
「……『腐れ』と『鎖』。どっちがマシだろう?」
「切れない縁という点ではどっちも同じでしょ?」
切れない縁……。
本当にそうなのかな?
これからのことを考えると、いずれ、ワカとは縁は切れてしまう方が良い気がする。
以前、巻き込まれたのは魔界人である九十九だった。
でも、ここにいるワカはどこか普通の人と違っても、れっきとした人間なのだ。
あの日……、わたしは初めて魔法の力というものを見た。
今までに感じたこともない恐怖。
あの時に抱いた感情を、周りにいる誰にも感じて欲しくはない。
身近な人だけじゃなく、わたしとは薄い関係の人でも。
たまたまそのタイミングで、わたしと同じ空間にいたというそれだけの縁で、巻き込んでしまうのは絶対に嫌だった。
いろいろ考えるとわたしの中で、結論はある程度出ている気がする。
でも、まだそれを素直に認めたくはなかった。
「聞いてる? 高田」
「はい?」
「校門に『卒業式』の文字。ちょっとベタだけど、今、ようやく卒業って実感できた……と言ったのだけど?」
ワカに呼びかけられて、ようやく気付く。
目の前に大きく力強い「卒業式」の文字。
その先に伸びる校舎への道。
生徒たちの声に混ざって聞こえる大人たちの声。
「そうだね」
なんとなく、校舎を見る。
三年間……、確かにわたしたちはここで過ごしたのだ。
「小学校の卒業式とはまた違った印象だわ。期間は小学校の方が間違いなく長いのに、中学校のほうが濃密な時間を過ごせたってことかしら?」
「まあ、主に中学三年生は勉強漬けだったし」
「いや、それはそうなんだけど……、それとはなんかこう、違う気がするのよね」
ワカが言いたいことはなんとなく分かる気がする。
勉強もだけど、部活とか体育祭、文化祭……、いろいろなことが小学校の時よりも力の入り方が違ったのだ。
単純にパワーアップさせただけとも違って……。
なんだろう?
うまく表現できないのがもどかしくなってしまう。
「肉体的にも精神的にも少しは成長できたってことかな。まあ、色恋も小学生と中学生は違う気もしたし……」
「ワカは……あんまり色恋で騒がなかったじゃないか」
「他人の色恋沙汰の方が見ていて楽しい。恋愛ごとって結構、無駄にエネルギー使うからダルくって……」
「枯れたご年配のようなことを……」
若い娘さんの台詞とは思えない。
「でも、それなりに素敵な殿方たちも数名ほどいらっしゃいましたし? 退屈な学生生活に潤いはあったと言う点において、割と私としては満足よ?」
確かにこの友人が、他の級友たちのように浮かれた雰囲気を醸し出すなんて想像できないのも事実だった。
それでも、こう歳相応のお嬢さんらしく「私、隣のクラスの○○くんのことが好きなの」と頬を染めて……。
うん、いろいろと無理がある気がする。
本当にそんな場面に遭遇したら、元演劇部だったから、演技の練習中? と勘繰ってしまいそうだ。
「高田こそどうなのよ?」
「はい?」
「あの男に彼女が出来た途端、あっさりと昔の男に鞍替えするとはおね~さんも驚きよ?」
「う~ん。鞍替えって言うより……、なんか違うんだよね。あの人は見ているだけで満足だった部分が強くって……、あんまり話せなくても良いやって思ってた。でも、九十九は一緒にいると気楽」
「つまり、偶像崇拝と現実の差ってとこ?」
「なんか嫌な表現だけど、そんなところかな」
尤も、九十九と本当に恋人同士になるっていうのは考えられない。
実際の所、九十九はわたしのことが好きで一緒にいるわけではないし、わたしも九十九のことが好きってわけじゃないのだ。
いや、本当に嫌いじゃないんだけど、恋愛対象……、こう胸がドキドキするような感覚があまりない。
違う意味でハラハラ、ドキドキしっぱなしの気はするけど……。
そんなことを考えていたら、ワカが変なことを言った。
「それにしても……ハレの日に不穏な空気ねぇ」
「へ?」
「気付かない?どこからともなくいや~な空気が流れている気がする」
そう言われて周りを見ても……、クラスの女子が集団で騒いでいたり、男子たちもいつもと変わらない気がする。
「う~ん? 分からない」
いつもより少し賑やかな気はするけど、それぐらいだった。
「気のせいなら良いんだけど……。ああ、もしかしたら卒業式恒例第二ボタン争奪戦の雰囲気かもしれない」
そう言えばこの国では何故か「卒業式に好きな人から第二ボタンをもらう」というイベントがあるとか聞いたことがある。
正直、わたしはボタン一個もらったところで何か良いことがあるとは思えない。
同じ記念なら、写真を一緒に撮ってもらった方が後々にも良いと思うんだけど。
それに制服についているボタンって、確か、金属製だから処分するときもちょっと面倒だよね。
同じ人をいつまでも好きでいる……なんて、漫画じゃないから無理なんじゃないかな。
「狙っている子、多そうじゃない? 元弓道部の二大スターとか、剣道部のアイドルとか。ああ、生徒会グループ辺りも人気高そうよね~」
「生徒会といえば、去年の元生徒会長や書記の人も凄かったよ。体育館の入り口でも、門の側でも女の子の甲高い声が響いていて……」
わたしは去年を思い出した。
あの喧騒は……、素直に、凄かったと思う。
「生徒会長って、割と女の子に人気の出やすいポジションではあるんだけど……、あの方は歴代生徒会長でも一番なんじゃないかと思うわ。お別れ記念に花を渡しに行った高田が、彼女たちの迫力に呑まれて固まっていたもんね」
「結局、学校で渡せなかったから自宅に届けたよ。生花だったから、後日……、ってわけにはいかないし」
そう言うと、ワカはわたしに生暖かい視線を向ける。
「その辺り、高田があの先輩たちに可愛がられていたのが良く分かるわ」
「なんで?」
「あの元生徒会長も書記の方も住所を周りに簡単に教えるタイプじゃなかったでしょ? 尾行した子が何度してもあっさり撒かれるって嘆いていたぐらいだったし」
「いや、尾行……?」
な、なんか不可思議な単語が聞こえた気がするんですが?
「情報源は演劇部の子なんだけどさ」
「それはキミの身内じゃないか……」
「身内……ねぇ。あのスト……いやいや、おっかけ根性をもう少し芝居の方で出して欲しかったわぁ。きっと誰よりも情念溢れた演技が演技になったことでしょうに」
「そこは……、情熱ってことにしておこうよ……」
それにしても、わたしが知らないところで苦労していたんだな、あの先輩方も。
でも、わたしなんて一年生のときに「年賀状書きたいから住所教えてください」って言葉だけであっさり住所を教えてもらえたし、休日とかの部活帰りなんかに家に招待されたりしたから、そんなわざわざ「尾行」なんてことをする必要もなかった。
「去年は元生徒会長と書記の方で女の子の人気を二分してしまったけど……、今年度は見事に人気が各部に分かれたものね。しかも、不思議なことに野球、サッカー、バスケみたいな人気スポーツじゃないあたりが余計に凄いわ」
「女の子の人気を二分って所に突っ込みを入れたいけど……、事実だから仕方ないか。今年はタイプもバラバラだしね。」
「そうそう。いや~、良い年代に生まれたものだわ。明るく爽やか笑顔&無口なクールガイな弓道部だった色白色黒コンビ。女でも羨ましいくらい愛らしさを振りまく剣道部にいたぷりち~剣士」
「剣道部にはもう一人、人気がある人がいなかったっけ?」
「あれはパス。好みじゃない」
人気がある人でもあっさり「好みじゃない」から話題に出す気もないとは……。
「そして、生徒会副会長。典型的な頭脳派知的少年よね~」
「なんで会長にならかったんだろうね?」
「表立って動くより、生徒会を陰で操る方が性にあっていたんじゃない? ほら、メガネって腹黒が多いじゃない」
「全国の眼鏡掛けている人に謝れ」
いくら何でも、眼鏡の人に対して酷い先入観だと思う。
「ただ……、ぷりち~剣士以外は特定の子ができちゃったからね~。あの無愛想な男もギリギリであの女の魔の手に堕ちたし。せめてボタンだけでも……。欲を言えば制服を……。いやいや、やっぱりできるなら本体を!! ……って女の子も多そうじゃない?」
「どんどん危ない人になっていくのは何故!?」
本体に手を出すなんていろいろ、問題じゃないの?
「恋愛とは危険な果実。追い求めれば果ては堕ちるだけよ。ああ、怖い」
「……ワカの発想には負けるよ」
流石に元演劇部だけあって、芝居がかった表現が好きだと思う。
「でも、高田は良いわ。ちゃっかり、あっさりそれなりに活きが良いのを捕まえているわけだし」
「九十九のこと?」
魚とか獲物っぽい表現だけど。
「確かに笹さんなら、退屈しなさそうだもんね。反応も単純で分かりやすいし。あ~あ、わたしにもどこか良いのはその辺に落ちていないかしら?」
「その辺の道に落ちている男を拾うの?」
「……うん、無理」
わたしの言葉にワカは少し考えてあっさりと前言を撤回させた。
普通に考えても、その辺に落ちている殿方にあまり良い人がいるとは思えない。
まあ、どんなことにも例外はあるのだろうだけど。
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