素直な天邪鬼
―――― 吐き気がする。
コイツの甘ったるさには。
誤って砂糖をたっぷり入れてしまったドロ甘な珈琲を一気飲みした時みたいに気持ち悪くて、胸焼けまでしてくる。
俺は甘いものが苦手なのだ。
魔力が完全に封印されていた頃ならともかく、今ならこの俺の魔気がどんな質なのかも理解できているはずだ。
それなのに、腹立たしいほどの無防備さを遺憾なく発揮してくれる。
―――― ああ、吐き気がする。
こいつのこの雰囲気が。
まだ何も知らない、穢れのない魔気。
ドロの沼にずっぽりと入り込んでいる自分を一方的に咎めるような清浄さ。
そして、それが自分の中の闇を酷く刺激しているのだ。
穢したい。
堕としたい。
――シタイ。
だが、残念ながらまだその時期ではない。
より確実で、絶大な効果を狙うなら、アイツの前でなければ意味がない。
アイツは俺の聖域を侵した。
だから、目の前でアイツが大切にしている「聖女」が堕ちる様を見せつけてやろう。
だが、もし、こいつが本当に「聖女」だと言うのなら、俺にとっても最後の砦。
「ライト?」
隣から呼びかけられて、思考が現実に戻る。
「ん?」
「なに、ボーっとしているの?」
「お前の無防備さに、心底呆れていただけだが?」
半分は真実。
だが、全て本当のことを言うはずもない。
「ボーっとしているあなたも十分無防備だと思うよ。わたし以外の魔界人なら一発KO.間違いなし!ってな感じ」
この女はどれだけ俺をなめているのだろうか?
確かに敵陣にも等しいこの場所でぼんやりと考え事をしているという大きな隙を作っていたことは認めてやる。
だが、それをこいつに指摘されたことに対しては酷く腹立たしく思えるのだ。
俺は周囲に意識を飛ばし、魔気の流れを感じ取ろうともしていた。
どこで、緊急事態が発生しても、ある程度の身動きと、対策がとれるようにと。
伊達に、無駄に敵が多い国の人間やっているわけじゃないのだ。
そして、この場所に来た4人も特定できている。
どんな流れでそうなったのかは分からないが、この女の御仲間と、妹が行動を共にしているようだ。
それ以外の人間の気配は感じないので、すでに撤収が完了しているのだろう。
もしくは……、うっかり全滅してしまったか。
まあ、あの中には魔法国家の第三王女がいた。
だから、そうなってもおかしくはないかもしれないのだが。
「悪かったな。まだ傷が治りきっていないのだから、少しぐらいはボーっとするに決まっているだろ」
「さっきは治ったって言ってなかったっけ?」
「『大方、治った』と言ったつもりだったが? あれだけの時間でそう簡単に治癒できるなら苦労はない」
……というよりあいつらは、わざと完全に治癒させなかった。
見た目に変化は少なくとも、少し触れただけでも激痛が走る程度に。
つまりは、まだ俺に疑いがあるためだろう。
当然の処置だが、甘いと言わざるを得ない。
この俺が、魔封じぐらいで、大人しくしていると思うなよ。
「そうか……。まだ万全ではないんだね」
「あいつらの治癒は人間が使う治癒魔法とは少し違うようだからな」
だから、時間もかかるし、面倒な手順を必要としたのだろう。
でも、まさか……、着ていた服を全てひん剥かれることになるとは思わなかったが……。
あれは屈辱だった。
今頃、後からこの場所に来た奴らも焦っていることだろう。
特に重傷な男は長い時間、さらされるだろうな。
気の毒なことだ……。
「……で、お前はこの先、どうするつもりだ?」
「へ?」
「いつまでもここに留まるわけにはいかないだろ?お互いに……」
俺としては、この胸くそが悪くなるような領域から、とっととおさらばしたいのだ。
だが、俺がそう言うと、こいつは何故か複雑な顔をした。
「確かに長居するつもりはないけれど、ある意味……、ここは結界内だから下手に動くよりは良いような気もするんだけどね」
それで、俺は気付いた。
「ああ、お前はセントポーリアから追われているんだったな」
だから、こいつらは一つのところに一定期間以上、留まることができないのだ。
セントポーリアやジギタリス、更にはストレリチアで逗留したとしたにも関わらず、定住には至らない。
特にストレリチアでは確固たる地位も手に入れていたというのに。
この女は、「王女の友人」、「大神官の友人」、さらには「聖女の卵」の称号を得ていた。
だが、表舞台には立とうとしない。
それは、俺だけでなく、故国の身内からもその身を狙われていることも一因なのだろう。
「あなたは……、どこまで知っているのかな」
そう言って困ったように笑う少女。
「さあな。俺がお前のことをどれだけ知っていようと、その全てをお前にそれを話す義務はない」
「本当にストーカーなんだね」
「おう」
「……いや、否定してよ」
「お前の知らないところでお前のことを調べたり、お前を追ったりしている事実が明確な以上、否定する材料が見当たらないだろう」
そして、恐らくは、彼女自身も知らないことも知っていると思う。
記憶の有無に関わらず、この女は、他人に対してはある程度の興味は示しても、自分に関することについては、避けているからだ。
「あなたって、今も謎がかなり多いけど……、ある意味、正直だよね」
「正直と評されるのは珍しいな。大半は『捻くれ者』と呼ばれることのほうが多い」
「そうだね。素直に捻くれているって感じ」
なんなんだ、その表現は……。
この女は本当に会うたび、俺の調子を狂わせる。
だが、それが妙に心地良く思える時があるからタチが悪い。
自分が、まるでどこにでもいる普通の男になったような錯覚を覚えてしまうこともあるのだ。
そんなことが、今更許されるはずもないのに。
いっそ、この女がもっとつまらない人間だったのなら、この俺も何一つ迷うことなく行動できたことだろう。
「お前は……、本当に素直だよな」
表現と表情が特に……。
「そう? わたしも割と天邪鬼だと思うけど……」
「どこが?」
「もっと忠告をきけと良く怒られるところかな」
「……それは、天邪鬼じゃなくて、お前の学習能力が足りていないってことなんじゃねえのか?」
「さり気なく酷いことを……」
「取り巻きの心中をお察し致すってとこだな」
その部分に関しては、同情を禁じ得ない。
それでも、護衛たちがこの女に悪意を向けることはないだろう。
彼女の行動など可愛いものだ。
確かに無謀で無防備な言動も目立っているが、それは取り返しがつかなくなるようなほどでもない。
確かに危険行為がなかったわけでもないが、彼女が思い切った行動に出た時ほど、何故か悪くはない結果が出ている。
「『Fortune favors the brave.』というやつか……」
何気なく、口にしてみた。
彼女の強さを表すのに、これ以上適した言葉はないだろう。
この世界では、想いの強さが勝敗を分ける。
運命の女神は迷いがある人間には近づかない。
あの女神は、自分の思いを貫こうとする人間ほど手を貸したがるのだ。
「……あれ?」
彼女が変な顔をした。
「今……? え?」
「どうした?」
「いや……あれ? 英語? え?」
「ああ、気にするな」
魔界人の脳に生まれつき備わっているとされる自動翻訳機能は、基本的に大気魔気のおかげで成り立っている。
何も考えなくても、言葉を発するだけで、大気魔気が勝手に変換して脳に伝えるという話だ。
だから、体内魔気とかは関係なく、魔界にいればほとんどの人間、精霊たちと会話が可能だろう。
但し、稀に大気魔気の影響を受けず、変換された声が届かない者もいるらしい。
そんな存在に会ったことがないので実際、どんな状態かは想像しかできないのだが、恐らくは、無意識に会話を拒絶したがっているか、生まれつき自動翻訳機能の働きが何らかの影響で鈍っているのだと思う。
ただ、先ほどの発言した言葉には、俺が翻訳より、意図的に大陸言語を優先するように意識した。
その意思を大気魔気が汲み取り、その発した言語通りに伝えたことだろう。
そのため、彼女には本来の大陸言語として伝わったはずだ。その大陸言語が、英語と呼ばれる人間界の言葉に似ていたのだ。
何故、その言葉を選んだのか?
単に一番好きな大陸言語だっただけである。
「……それも、わたしの聞き間違いでなければ、『運命の女神は勇者に味方する』って言った?」
意味も知っていたか。
まあ、不思議でもないことだ。
人間界でも割と知られた格言として、存在していたからな。
確か……、あちらの言葉では、「Fortes fortuna adiuvat.」だったか?
長く人間界から離れているから、自信はない。
「さっきの言語が不満なら、『La suerte favorece a los valientes』でも、『La fortuna aiuta gli audaci.』でも、『La chance sourit aux audacieux.』でも、『Судьба благоприятствует смелым.』でも、『Das Glück ist mit den Tüchtigen.』でも好きなものを選べ」
「な、何語!?」
「フレイミアム、シルヴァーレン、グランフィルト、ウォルダンテ、スカルウォークの大陸言語だな。本来の言語音で聞こえたはずだ」
俺はできるだけ、早口でそう言った。
だから、彼女にどれだけ聞き取ることができたかどうかは分からない。
だが、彼女はきょとんとした顔で言った。
「……ライファス大陸は?」
「始めに口にした『Fortune favors the brave.』。これがライファス大陸言語だ」
「でもそれって、英語じゃないの?」
「魔界の大陸言語と、人間界の数多くある言語のいくつかに共通する部分があることは否定しない」
「……そうなると、わたしが知らないだけで、薩摩弁や沖縄弁、博多弁みたいな言語もあるのかな……? 宮崎県の西諸県弁なんて、フランス語みたいに聞こえるって友人が言っていたから、おかしくもないかもね」
そう言ってどこか嬉しそうな顔をした彼女に、「なんで九州、沖縄限定縛りなのだ? 」と突っ込みたくなったが、俺はなんとか我慢したのだった。
言語については魔界の言葉と言うことで、突っ込みはなしでお願いいたします。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




