少女の不安
紅い髪の青年に肩を貸して移動を始めてから、どれくらい歩いたのだろうか……?
「おい、無理するなよ」
「してないよ」
口ではそんなことを言ったものの、間違いなく、中学校の頃、3キロマラソンを走った時以上の疲労を感じていた。
ここで足を止めたらもう前には進める気はしない。
いや、もしかしたら倒れてしまうかもしれないだろう。
もう気合いだけで歩いているような感じだった。
でも、あの頃に比べたら……、ずっと体力はついていることは間違いないのだ。
彼が率いる追っ手から逃げるために、結構、長い時間走り通した上、崖から転がり落ちたりもしたけれど、それを差し引いても今の体力は比べものにならない気がする。
成長期だということもあるのだろうけど、魔界人として、自分が変化しているのは嫌でもはっきり分かってしまう。
肝心の魔法の方はサッパリのくせに、身体だけはしっかり魔界人らしく変化しているのだからなんとも腹立たしい話だ。
もし、わたしが今、魔法を使うことができたのなら、こんな状況、簡単に打破できるのだろう。
水尾先輩はいつも言っている。
魔法を使うのに、人間だとか魔界人だとかはあまり関係ない、と。
この魔界では、魔法はかなりの確率で使うことができる。
要は心の在り方だともよく言っている。
事実、わたしの母は、人間界で生まれ育った人間だというのに、何故か、古代魔法という特殊な魔法を行使しているらしい。
我が母ながら、何者だよ? とは思うけど……、同時に、あの人だからなあ……とも思ってしまう。
「わたしは……、心が弱いのかな?」
思わずそう口にしていた。
時々、不安になるのだ。
単純に才能の問題とかなら諦めがつく。
でも、父親が中心国の王であり、母親はただの人間なのに、今はこの世界でも少なき古代魔法とやらの遣い手。
そんな二人の血を引いているのだから、わたしは魔法に関してだけはサラブレッドも同然なのかもしれない。
それなのに、全く魔法を使うことが出来ないのはどう考えても、わたし自身の心に問題があるのだろう。
水尾先輩からストレリチアで魔法を学んできた。
単純な呪文詠唱だけではなく、契約時に必要な長い詠唱だって、何度も口にしているのだ。
それでも、わたしの指先には、魔法を使う際に必要な魔力が集まりはしなかった。
自分の身体に魔力は間違いなく流れているのも視えるようになったのに、自分の意思ではほとんど動かすことができない。
その事実に、何度泣きたくなったことだろう。
だから、ストレリチアで「聖女の卵」とか呼ばれても、嬉しくはなかったのだ。
わたしは、実際の「聖女」がもっと凄いことを知っている。
彼女は信じられないほどの魔法を操り、「大いなる災い」と呼ばれた災厄を封印し、魔界を救っているのだ。
そして……、今となってはその血もかなり薄いだろうけれど、この身体の中に流れているはずだというのに……、できたことは、大神官である恭哉兄ちゃんの力で、「聖女」と同じ名前の「導きの女神」と呼ばれる神さまを、誰の目にも見えるようにしただけだった。
しかも、それを覚えていない。
つまり、あれはわたしではなく、大神官の能力だということだろう。
「弱くない……」
「へ?」
ぐるぐるした負の思考の渦に飲まれかけていた時、不意に、横から声がした。
「先程の問いだ。お前の心は弱くない。寧ろ、強い方だ……」
わたしは彼に問いかけたわけではない。
ポロリと出てしまった独り言だったのに、彼は、それに応えてくれた。
「で、でも……」
「魔法が使えないことなら気にすることはない。それだけで人間の優劣は量れるはずがないのだ」
少し前なら、そんな言葉も素直に受け止められただろう。
だけど……、今のわたしには、そんな余裕もなかった。
「……それでも、使いたい時に使えないなんて……。自分のせいで、怪我してしまった人を癒すことも出来ないなんて、役立たずも同然だよ」
どんなに溢れる魔力だって、その行き場をなくせば暴走するだけだ。
それだけで、厄介な力としか言いようがなかった。
ストレリチアの日々は、水尾先輩のストレス解消と言っていたが、実際は違うことを知っている。
彼女の魔法に反応して、魔気が自動防御をすることで、わたしの魔力はなんとか暴走せずにすんでいたのだ。
そうでもしなければ、わたしには定期的に、自分の意思で魔力を放出する術がない。
「それでも、お前はそれを補うだけのことはしている。それに……、魔法が使えたとて、全ての望みが叶うわけではない。特に癒しに関しては……、遣い手を選ぶものだからな」
そう言えば……、治癒魔法に関しては、雄也先輩や水尾先輩……、それにワカも苦手だと言っていた。
「お前はコツさえ掴めば、いつか必ず魔法は使えるようになるだろう。だから、今は何も……ってなんで、俺がこんなことを……」
不器用な口調で紅い髪の青年はそう言ってくれた。
「……ありがとう」
身体の痛みがとれたわけではないのに、彼がわたしに対して、わざわざそんな慰めを口にしてくれたことが、妙に嬉しく思える。
「なんか……、変な感じ。わたし、ずっと前からあなたを知っている気がするんだ……」
「知っていただろ? お前の15歳の誕生日に会って……、それから2年以上経っている。それに、俺の方は昔から見ていたことはもう伝えているはずだが?」
「いや、わたし自身があなたを昔から知っている気がする」
「は?」
彼が驚いたような声を出す。
「以前、人間界にいたことってない?」
「……? 何故だ?」
「魔界って基本的に学校はないでしょ。あっても……、多分、『保健体育』の授業なんてないと思うんだよ」
さっき彼と話した時の違和感。
それがはっきりした。
「……確かに、俺は昔、人間界にいたことがある。だが……、お前に会ったのはあの時からだ」
「……そうなの? でも、なんだろう。港町での会話の時もなんとなく懐かしく思ったんだけど、いつもと違って長い時間一緒にいるせいか、人間界で会って話したこともある気がしたんだよ」
「錯覚だ。少しばかりの時間、行動を共にしたせいだろう」
「……かな~?」
でも、なんかそんなんじゃなくて……。
「お前の周りに、該当する人物でもいたか?」
言われて、考えてみた。
確かに、いなかった気がする。
少なくとも、こんな目立つ顔の知人はいなかった。
「あ、でも赤い髪の友人はいたな。ああ、その人にちょっとだけ雰囲気とか口調とかが似ている気もするね」
人を馬鹿にしたような物言いとか、妙に自信家な辺りとか。
でも、彼とは顔が全然、違った。
あの少年はキツネ顔だったが、横にいる青年は……、鷹のように鋭い眼光を放っている。
油断をすれば、本当に食べられそうな気配。
それに……、あの少年は人間だったはずだ。
まあ、ワカの例もあるから、必ずしもそうとは言い切れないけれど。
「そいつが羨ましい」
ぽつりと聞こえた呟き。
「え?」
その言葉を確かめようとしたその時だった。
「あれ?」
不意に、身体にまとわりつく違和感があった。
「今の……?」
「気付いたか?」
「え?」
「どうやら、先程までと様子が違うみたいだな」
「違うって……?」
周りを見渡しても、周囲の風景に変化はない。
だけど……、付近の空気が一変しているのだけははっきりと分かる。
少しだけ身体が重く、どこか息苦しい。
無意識に、彼を支えている手に力が入った。
身体が……、わたしの中の何かが警告音を鳴らし始めている。
魔力の暴走ではないが、体内に流れる魔力……、体内魔気ってやつの動きが変わっていくのが分かった。
「この森に……、さらに結界とはな」
「結界?」
先ほどの違和感の正体……だろうか?
「気を緩めるなよ。何が出てくるか分からんが、お客さんのようだ」
そんな彼の言葉と同時に、木の陰から何かが飛び出してきた。
そして、わたしは思った。
やっぱり、どこに行ってもトラブルからは逃げられないようだ……と。
号砲のような爆発から始まった長い一日は、まだまだ終わらなかったのだ。
この話で、第28章は終わりです。
次話からは第29章「呉越同舟」です。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




