せめて貴方なら
どれくらいそうしていただろうか?
ようやく、衝撃の告白から自分の気持ちが収まったのか彼女は顔を上げ、オレを見た。
「そうね……。貴方の言うとおりだったのかもしれない。私は誰にも言うつもりはなかったけど、誰かに聞いてもらいたい……、ほんの少しでもいいから慰めてもらいたいって気持ちはあったのだと思う」
「悪いな。慰め方を知らなくて」
「いいわ。それに気付かせてくれただけでも……」
でも、忘れろ……と言ったところで、簡単に忘れられるはずはないだろう。
だからといって気の毒だったな……で済む問題でもない。
しかも、相手が実の兄だというのが本当なら、一生、ミラの心に疵が残ってもおかしくはないと思う。
親子や兄弟姉妹間の近親婚を推奨するようなお国柄ならば納得ができたかもしれないが、この様子だと彼女の倫理観はオレたちとそこまで差はなさそうだ。
実際、知らない男に逆ギレしてしまうほどに、彼女自身に大きな疵となっている。
だから、たまたまその事実を耳にしてしまった第三者のオレに出来ることは、下手なことを言わない……に限るだろう。
オレは自分の言葉選びがかなり下手なのは自覚しているのだ。
「貴方って……変な人ね」
「は? 初めて会話したヤツにそう言うのも変だと思うが……」
「私は素直なだけ。だけど、貴方は誰がどう見ても変よ」
「なんでだよ」
「自分に攻撃して来るようなヤツを庇って大怪我して、それで、恨み言を一つも言わないで。それに、突然、こんな話を聞かされても平然として……」
「平然としているわけではないんだが……。オレもそれなりに動揺しているぞ」
だけど……、何かを言うよりも先に、泣かれてしまったら何も言えなくなる。
「私の周りに……、貴方みたいな人がいたら良かったのに」
そう言って……、ミラは初めてオレに柔らかく笑った。
「え……?」
「な、何よ?」
「いや……、そんな顔できるんだなと思って……」
「出来るわよ! 失礼ね!!」
「先ほどからそんな風に怒鳴られたり泣かれてばかりだったから……」
「そういう風に貴方が仕向けてるんでしょうが!!」
「特に何かした気もないんだが……」
そう言えば……、高田や水尾さんも突然、怒り出すことがある。
ひょっとして……、気付かないところでオレは何かしてしまっているのだろうか?
「そ、それで……」
「ん?」
ミラはオレを横目で見ながら……。
「身体の方はどうなのよ?」
そう尋ねてきた。
「全身が痛い……」
それに口の中で血の味がしている……。
どうやら口を切ったか?
だが、感覚的に吐血ではないと思う。
「あんな状態で五体満足な方が怖いわ」
「あんたの方は?」
「足を捻った感じ」
それで、立つこともしないのか。
いや、もしかしたら見えないところで怪我をしている可能性もある。
「顔に怪我がなくて良かったな」
「今更、顔や身体に傷が増えたからってどうってことないわ」
「オレの寝覚めが悪いんだよ。目の前で、女の顔に傷が出来るなんて……」
「ホントにお人好しね。損よ、そういうのって……」
「……分かってるよ」
「でも、そういうお馬鹿は嫌いじゃないわ」
「褒めてねえだろ、それ……」
「そう? 精一杯、褒めて差し上げたつもりだけど……」
少しだけ……、この女は若宮に似ている気がする。
だけど……、アイツよりは反応が素直で読みやすい。
これは年齢の差か?
「あ~あ、せめて相手が貴方だったら良かったかもしれない」
「何の相手だ?」
「鈍いわね! 初めての相手に決まってるでしょ!!」
「さっきから人のこと鈍い、鈍いって……。……は?」
うん。
確かにオレは鈍いのかもしれない。
暫く、言われた意味が分からなくて、固まってしまった。
「ちょっ……、ちょっと?」
ミラがオレの顔を覗き込む。
金色の髪が、絹糸のようにサラサラと流れた。
「ば、ば~か!! そんなこと易々と言うな!!」
「へ?」
「自分をもっと大切にしろ!!」
今度はミラの方が固まる。
そして……。
「あはははっ。貴方って、案外、固いのね~」
いきなり、笑い出された。
「悪かったな」
自分だって、固いこと言ってるとは思う。
それに、今の彼女の台詞は社交辞令というヤツだ。
本気にした訳じゃない。
だけど、他に巧い言い方がなくて、そんなことしか口に出来なかった。
「良いわ~。すっごく、貴方って面白い」
歳下に、馬鹿にされてる……。
「ねえ?」
「何だよ」
この上、まだからかう気か?
「貴方は……、あの女ともうしたの?」
「はい?」
あの女……?
した?
「シオリって名前の女……」
それでようやく意味が分かって、一気に顔に体温が集まる。
「ば、ば、馬鹿! それはない! 絶対ない! 天地がひっくり返ってもありえない!!」
何も、ここまでムキになって否定することはないんだが、顔に集まった熱に操られたように口から次々と言葉が飛び出していった。
「アイツとは主従の関係であって、そう言った関係は一切ない! あんな幼児体型にそんな気が起きると思うか?! オレだって相手を選ぶ権利はある」
流れるように出てくる言葉。
いや、もう幼児体型じゃないことも知っているけど、否定したいためかそんな懐かしい言葉まで飛び出してくる。
「……ないの?」
「ない!!」
「じゃ、もしかして……、まだ?」
……そう言う話をしているから、その言葉の意味も深く追求せずに分かる。
「悪かったな! 遅くて!!」
ああ、何をムキになって阿呆なことを暴露してるんだよ、オレ……。
「そうね~。17でまだっていうのはこの世界の男では、ちょっと……」
分かってるよ!
魔界人の男は「発情期」という生理現象があるため、どうしたって異性経験が早くなる傾向にあるのだ。
20歳を超えてもまだなのは、人ではなく神に仕える神官ぐらいだろう。
「うん。やっぱり良いわ」
「何がだよ!!」
「貴方よ。気に入ったわ」
「は?」
あの……、なんか……彼女の様子が……さっきまでと違う気がするんですけど?
瞳がキラキラしてるって言うか……、その……?
「私、貴方に……、いえ、ツクモさまに恋しても良い?」
「はい!?」
思わぬ攻撃!
オレは、50のダメージを受けた。
「ちょっ! ちょっと待て! 何で……?」
「気に入ったからよ」
どこをどうしたら?
「あんた、散々、オレを『鈍い』とかなんとか言ってたじゃないか!!」
妙に焦ってしまう。
落ち着け。
これも社交辞令だ、多分。
「そこも良いのよ。ツクモさまは自分の魅力を知らないのね」
しかもさっきから「さま」が付いてる?!
「ねえ、良い?」
「え……?」
良いか悪いかなんて……。
「オレが許可することじゃねえだろ?」
「そうよね! 燃えてきたわ!! 私がこの先、生きていくための希望が見つかった感じよ!!」
「大袈裟な……」
なんか、こいつ、やたら……、テンションが高くなった気がする……。
もしかして、コレが素なのかもしれない。
「ホントよ。5,6時間ぐらい前までは、兄様への復讐が生きる糧だったけど、今は違う。もっと前向きに生きることができる気がする」
そう言われてしまっては……、オレは何も言えない。
「私の担当が貴方になってホント、運が良かったわ~」
「担当?」
「この作戦……。貴方たちを捕獲するって指令よ。兄様があの娘。シャレードってのが貴方の兄様。バモスってサディストがその残り……といっても一人しかいなかったみたいだけどね」
なんてこった……。
それを聞くまで……、この事態を忘れてたなんて。
しかも……。
「高田の担当がよりによってあの男だと?」
「そうよ。あの娘は兄様のお気に入りだもの。だから……大っ嫌い」
「お気に入りって……。なんで?」
「教えて欲しい?」
妙にニコニコするミラが気になったが……。
「当然だ」
「じゃあ、キスして」
「は?」
思考が停止した……。
「それも、軽いヤツじゃ駄目。大人の溶けちゃうようなヤツ」
思考回路が、その役割を放棄した。
「それをしてくれたら、教えてあげる」
「な? な!?」
戻ってこ~い、オレの意識……。
「情報は等価交換じゃなきゃね」
「ふ、不可!!」
「あら? どうして?」
「そんなの等しくない!!」
血の味が濃くなった気がする。
どうやら、喉を切ってるのかもしれない。
「安いモノでしょ。昔の彼女とキスはしたことあるらしいじゃない」
「ど、どこでそんな情報を!?」
「ふふっ。ちょっとした筋からね。で、私とじゃイヤ?」
「そういう問題じゃねえ!!」
オレは兄貴とは違うんだ~!!
そういうキャラクターじゃねえんだ~!!
「お、大人のキスはまだしたことがない……」
「え?」
ああ、違うんだ。
そういうことを言いたいわけじゃなくて……。
「なるほど……。それなら、仕方ないわ」
「へ?」
あっさりとした彼女の言葉でオレは拍子抜けした。
「確かにね。初めてのそういったキスも大切だし、何より、それがこんな形は私もイヤだわ」
「……つまり?」
「大安売り! 軽いキスで許してあげましょう!!」
安くするな!
そして、何も分かってねえ!!
「ね? ね? ツクモさま? それならどう?」
潤んだ瞳で覗き込む。
だけど……。
「それでも断る」
オレは、今度はきっぱりと言った。
「なんで? 私のこと……、そんなに嫌い?」
「好きとか嫌い以前だ。例え、相手が好きなヤツでも、オレはこんな形で……、というのがイヤなんだよ」
オレは、兄貴とは違う。
こんな取引めいたのはイヤだった。
「……そっか……。じゃあ、この契約はお流れね……」
そう言って、ミラは淋しげに微笑んだ。
その顔に少しだけ、胸が痛む。
でも、だからこそ、この答えは間違っていないと思えた。
「でも~」
「へ?」
ミラが悪戯っぽい顔を見せた。
「貴方が動けないっていうのは、これはある意味、チャンスよね~」
「はい?」
「折角だから……、ちょっとぐらい……」
そう言って、ミラはオレに近付いてきた。
「お、おい! 待て!」
痛みを忘れて叫ぶ。
だが、頭で痛みは忘れても、身体の怪我の方は正直なもので、少しも動かすことは出来なかった。
オレの顔を金の髪が擽り、彼女の吐息がオレの頬を撫でる距離まで来てしまった。
ああ、なんてこった。
女に襲われるなんて、男にとっては珍事以外のなにものでもないだろう。
そんな状況でオレの頭には、何故だか、幼い頃のシオリが声を殺して泣いている姿が見えた気がしたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




