少年は動揺する
始め、オレは状況が分からなかった。
目を開けると、すぐ傍で平和そうに寝息を立てている女の姿。
それが、高田の姿だと理解するまでに数秒を要した。
そのままの姿勢で状況を整理してみる。
昨夜、オレは高田の呼びかけに応じ、彼女の部屋に空間転移をした。
そこで、彼女の顔が熱っぽかったことに気付き、無理矢理、布団に押し込めて……?
疲れていたためか、安心したのかは思い出せないが、そのままうっかりこの部屋で寝てしまったのは間違いないだろう。
だが、何故同じ布団に入っているのだ?
その必要性はまったくないはずだよな?
自分の服装を確認する。
昨日の服のままだった。
ズボンを含めて、着崩れるなどの乱れている様子はない。
そして、目の前でまぶたを閉じたままの少女も、その格好が部屋着か寝間着なのかは分からないが、昨日見た姿のままだ。
勿論、上から下まで乱れた様子もない。
いや、あったらオレの方が困る。
強いて言えば、髪の毛だけ多少の乱れはあるようだが、寝てるんだからそれは当然のことだろう。
つまり……?
「うわっ!?」
思わぬ事態に思わず飛び起きて、その場から離れた。
やや大きな声を出してしまったためか、彼女も反応してその両目を開ける。
「九十九? おはよ~」
明らかに目が覚めきっていない顔で、ぼんやりとした声を出す彼女。
「朝から盛大に寝ぼけてんじゃねえ!!」
いや、状況的にはそちらのほうが助かる気がするが、思わず突っ込んでしまった。
「ん~?」
高田が寝ぼけ眼のまま、きょろきょろして……。
「あれ? なんで、わたしの部屋に九十九がいるの?」
今頃気がついたのか、どこか暢気なことを口にする。
「帰り損なったんだよ」
一緒のベッドで寝ていたとは流石に言えなかった。
何もやっちゃいないが、状況的に疑われる気はする。
「ああ、ごめん……。起きるまでいてくれたんだね」
そんなオレを特に気にした様子もなく、目をこすりながら、彼女はよろよろと身体を起こして、枕元の時計を確認する。
今の時間は、午前5時を過ぎたところだ。
寝直すには少し微妙な時間だと思う。
「……って、おい!」
そんなオレの考えを全身で否定するかのように、またも眠る体勢になる高田。
「ちょっと待て!」
「ん~?」
「お前、オレがいるのにそのまままた寝る気か?」
「うん。眠いし」
いや、自分が男扱いされてないことに対しては昨日の彼女の反応でよく分かっている。
それについては、お互い様だから別にどうでも良い。
ただ、それを差し引いても危機感がないにも程がある。
「九十九も寝る?」
高田はさらに危機感がないようなことを言い出した。
「待て、待て待て待て!!」
「お布団出すよ?」
流石に一緒の布団というつもりはないようだ。
だが、そこじゃない!
「オレはすぐ帰るから! お前は! ちゃんと! 寝とけ!!」
そう念を押していた時だった。
「栞~。珍しく起きてるの?」
ノックとともに彼女の母親が姿を見せてしまった。
ちょっと待て!
この前は確認しなかったのに、なんで今日に限ってすぐ開けるんですか!? 千歳さん!!
どう見たってこの状況はあまり良くない。
……というか、男にとっては最悪の状況な気さえする……のだが……。
「あら、九十九くんも起きてたの?」
拍子抜けするほどあっさりと彼女は口にした。
「護衛、お疲れさま。電気つけっぱなしだったから覗いたら、そんなところで休んでいたでしょう? 思わず栞の布団に入れちゃったけど、狭くなかった? 前もって言ってくれれば、そこに別の布団を敷いてあげたのに……」
え……っと?
もしかして、護衛の一環と思われた?
いや、その点については、確かに間違ってはいないのだが……。
「いや……、千歳さん? その……仮にも、年頃の男女が同じ布団で休むなんて……」
思わずそんなことを口にしていた。
「あら? 今更、そんな遠慮しなくても。貴方たちは小さい頃から一緒に過ごしてたわけだし、問題ないでしょ? お風呂も一緒に入ったのは……流石に覚えてないでしょうけど」
彼女が言うように風呂については全然記憶にないが、一緒に過ごしていたし、一緒に寝たことだってあるのは確かだ。
だけど、それはガキの頃の話だ。
この年齢になって、その感覚でいるのはいろいろと問題しかないだろう。
「信用しているからの行動だったけど……、もしかして、ウチの娘に悪戯しちゃった?」
口調は穏やか。
表情は笑顔。
だけど、その裏に何か隠れている気がするのは気のせいではないと思う。
「いや、それはありえません」
ここで慌てても良い方向には転がらない。
だから、オレはきっぱりと否定した。
実際、何かした記憶もない。
「そこまで断言されると母親としてはいろいろと複雑ねぇ……。まあ、この娘もいつまで経っても幼い印象が拭えないせいもあるけど……」
そう言って、千歳さんは高田の髪を撫でた。
それにしても……、この人は不思議だ。
実は、人間であることを聞いてしまったから、余計にそう思う。
普通の人間として、歳を重ねているはずなのに、更けている印象が全然ないのだ。
オレは兄貴と違って千歳さんと接する時間は長くなかったけど、それにしたって、魔力も記憶も戻った今のこの人は、昔の……、思い出に残る彼女のままだった。
「何?」
オレの視線に気付いて、彼女は尋ねた。
「いえ……、改めて、お変わりなくて何よりだと」
「そうかしら? あの頃よりいろいろと変わったと自分では思っているんだけど……。ああ、そうね。貴方たちに比べれば変わってない気はしちゃうわね」
彼女はオレを見つめて……。
「あんなに小さかったあの子がこんなに……って、まるで親戚のオバチャンになった気分だわ」
そう冗談めかして、目元を拭うような仕草をした。
幼い頃、オレは母を知らなかった。
いや、正しくは母親という存在そのものを知らなかったのだ。
尤も、周りには父親と兄しかいなかったのだから、そのことに疑問を持つこともなかったのだけど。
その後、出会ったこの人と……、その友人が母親代わりになってくれた。
そうして、オレは母親というものを少しだけ理解できたんだと思う。
それでも、彼女たちは極端な考え方をするところがあったので、魔界の一般的な母親というものは未だに分からないままなんだが……。
「あの頃より成長できているとしたら、兄のお陰です。兄はあれからもずっとオレを育ててくれましたから」
それも、かなりスパルタ気味に。
「あの後の話を彼からも聞いたわ。貴方たち兄弟には、かなり苦労させてしまったみたいね」
彼女はオレたちに対して申し訳無さそうな顔をする。
「いいえ。苦労したとは思っていません。寧ろ、普通の魔界人ではありえない経験もできて良かったと思っています」
これは本当のことだ。
魔界人は一般的にあまりよその国に行くことはしない。
今の生活を大きく変えようとすることなく、変化の少ない暮らしを守っている。
他国の文化や習慣に触れるような「旅行」という文化もない。
身分が高ければ、他国に行って生活しなければいけない期間がある。
自分の国の護りから抜け、別の大陸で決められた期間を過ごすらしい。
だが、オレたちのような一般的な人間ではそんな機会はほとんどない。
生まれた国、大陸から出るのは、自分の護りが薄くなることを意味する。
そのため、ある程度自身が持つ魔力の護りが強くなければ、他国での生活は難しいと言われているのだ。
個人的な理由を付け加えるなら、あの国で生活する必要がなくなったというのは、オレにとってかなり都合が良かった。
既に、守るべき人間がいないのに、好きではない場所にいつまでも留まっていたいとは思えない。
そう考えると、ここに来てからも、魔界に報告のため出入りしていた兄は本当に凄いと思う。
「そう言ってもらえるとありがたいわ。私も栞も本当に幸せね」
そう千歳さんは笑った。
高田に良く似ている顔で。
魔力と記憶が戻った今の彼女が、別の人間だとは思えない。
多分、兄貴もそうだろう。
なんでオレは、「シオリ」のことは分かったんだろう?
良く知っていた魔力の気配は全く感じなくなり、母親である千歳さん以上に雰囲気も変わっていたのに。
それでも、オレは、初めて「高田 栞」に会った日から、「シオリ」に間違いないと、何故か確信していたんだ。
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