少年の困惑
「どうして?」
女は怒ったような口調で言った。
「頼む……。今、叫ぶな……」
「あ……。ご、ごめん……」
そう言うと、女は素直に黙った。
オレだって、よく分からない。
この女が崖崩れに呑まれてその姿が消えかかった時、気付いたら、オレはこの女の腕を引っ張り上げていた。
その結果……、土や岩の中に一緒に呑まれてしまったのだ。
幸い、大きな岩が近くにあったのか、ここはちょっとした空洞になっている。
しかし、この岩が頭や身体にまともに当たっていたらと思うと、我が身の幸運に感謝するほかない。
「御礼なんて……、言わないから。貴方が勝手にしたことなんだからね!」
「分かってるよ」
だが、オレも致命傷とまではいかないまでもあちこちが痛みが広がり、身動きがとれない。
治癒魔法も、こんなに集中力に欠けるような状況では意味がないのだ。
それに対して、女の方は、あちこち傷を負ってはいるが、オレよりは元気そうだった。
「……なんで?」
女はもう一回、尋ねた。
それだけ、オレの行動が不思議だったのだろう……。
「オレにも分からない」
「ふざけないでよ」
「こんな状況で、ふざけて……、いられるかよ……。あんたが、土や岩の中に消えていくのが見えたら、そのまま見捨てる事なんて……、できなかっただけだ」
我ながら、阿呆だ。
敵に塩を贈るどころか、命まで助けてしまうなんて……。
「ば、馬鹿ね! あんなの私だけなら容易に脱出できたわ。貴方がいきなり引っ張ったから、逃げ損ねただけよ!」
「嘘吐け」
隠しても分かる……。
この女の魔法力の残量は残り僅かだった。
魔法感知に優れていないオレでもよく分かってしまうほどに。
どうやら、あの黒い炎に全てを賭けたらしい。
そうでなければ、オレの魔法を喰らいながらも、転移でもすればまだ逃げることができただろう。
今もこんな所にいつまでもいないで、場を離れるだけならば、この森でも移動魔法は使えるのだから。
「なんで……」
女の瞳からポロリと雫が落ちる。
「ちょっ!? なんで、あんたが泣くんだよ!」
わけが分からない。
泣きたいのはオレの方だろ?
「だって……、だって…………。」
しゃくり上げて泣く姿を見ると、こいつはもしかして……。
「あんた、いくつだ?」
思わずそんなことを口にしていた。
途端に、女はピタリと泣くのを止める。
「し、し、信じられない!! レディに歳を尋ねるなんて……。なんて無神経な男なの!!」
そう言ってさっきまでの顔に戻った。
「いや……、悪い。なんか、あんたが……、歳下のような気がして……」
普通に話していると、自分よりも歳上のような感じの口調や表情だった。
だけど、さっきの顔は……、そう思えない。
「ミラクティよ」
「は?」
「鈍いわね! 私の名前! ミラクティって言うの」
「紅茶みたいな名前だな」
「ぐ……っ。ホントに無神経ね……。歳は16になったばかりよ」
やっぱり歳下だったか……。
「オレはツクモ……。歳は17だ」
「ふ~ん……。兄さまと一緒の歳なのね……」
ポツリと彼女はそう零した。
「兄さま?」
「知ってるでしょ? あの娘に粘着している紅い髪の男。あの人も今、17歳よ」
「は?」
オレは二年ぐらい前に見たあの男を思い出して……、疑問符を浮かべる。
「『は?』って貴方……」
「アイツ……、同じ歳かよ!?」
少なくとも、会った時点で、兄貴と同じぐらいだと思っていた。
「老けてるな~、アノ紅い髪……」
「貴方って無神経で、かなり失礼な人ね」
「悪い……。なんか意外で……」
オレはそう答えるしかなかった。
****
「……で、貴方どうする気よ?」
「どうする……って?」
「そんな身体じゃここから脱出は不可能よ」
「そうだな……」
それぐらい、言われなくても分かっている。
「そうだなって……」
「大丈夫だ。あんたは取り巻きが助けてくれるだろ。上で張り付いてたけど、オレがこうなっている以上、もう魔法の効果も消えたはずだ。上のヤツらは動けるぞ」
「来るわけないわ。失敗したら、直ぐに退けって命令だもの」
「え?」
「私たちミラージュの人間はいつまでも同じ所にはいない。情報国家とかに居場所が知れたら大変だもの」
そう言って、彼女は溜息を吐いた。
「どんな犠牲が出ても、助けにいっちゃいけないの。自分の身は自分で護れ。護れないような人間には用はないってとこなの」
「なかなか非情だな……」
「そう? 普通でしょう?」
けろりとした顔で言う。
「そうか?」
「それでなくても、恨みを買ってるからね。アリッサムの襲撃以来……」
「なっ!? ……痛っ」
思わず身体を起こそうとしたが、全身の痛みがそれを阻んだ。
しかし……、今の言葉は聞き捨てならない。
「魔法国家アリッサムを襲撃したのは国王陛下の命令。理由は、上質な魔法力の確保」
「え……?」
「貴方が余計なことをしてくれたから、私も思わず口を滑らせているのよ」
つまり……、これは彼女なりの礼ということだろうか?
「そうか……。サンキュ」
「べ、別に御礼を言われるようなことでもないわ! な、何勘違いしてるの? ばっかじゃない?」
そう顔を紅くして、彼女は顔を逸らした。
こうしてみると、やっぱり歳下に見える。
そして……。
「思い出した……」
「え?」
「ミラ……。あんた、人間界の温泉で、あの紅い髪の男を助けに来たヤツだろ?」
「え……?」
あの時、高田によってボロぞうきんのようになっていた紅い髪のヤツは、確かに彼女の名を呼んだ。
確か、「ミラ」と。
「一瞬でかっさらったから、顔は見てなかったんだけどな……。そっか……、兄妹ならちゃんと助けるんだな」
そんなことにホッとする。
オレの兄貴も見捨てる派だと思っているから。
兄弟姉妹の仲が良いのは正直、羨ましい。
「あんな人……、兄妹なもんですか!」
だが、ミラは突然、怒り出した。
そして、彼女の周りに殺気に近い怒りの炎が見える。
「でも……、『兄さま』って……」
「物心付いた頃からずっとそう呼んでいたから、今更、呼び方を変えられるほど器用じゃないわ。だけど……、今はあの人を兄と認めたくはない気持ちの方が遥かに大きいの」
「……どっちなんだよ」
物心付く頃から相手を「兄」と呼んでいたからと言って、必ずしもその相手が「兄」とは限らない。
現に、高田はクレスノダール王子殿下と大神官のことをそれぞれ「兄ちゃん」と呼んでいる。
だけど……、彼女の場合、「兄と認めたくない」と言っているのだ。
それはつまり、本当の「兄」だということではないだろうか?
「一応、『兄』よ。だけど……、『兄じゃない』。兄のはずがない! 貴方なら、できて? 実の妹を犯すなんて所業を」
「は?」
オレの頭は一瞬、真っ白になった。
ミラも、暫く、動きが止まっている。
えっと……、つまり……この女が、あの男に?
「……ってなんで、私がこんなことまで口を滑らせなきゃいけないのよ!!」
オレの考えが纏まる前に、逆ギレされてしまった。
迷惑な話だ。
「あ、あんたが勝手に滑らしたんじゃないか!!」
「信じられない……」
ミラは、口を手で押さえ、震えている。
「こっちだって、信じられねえよ……」
そんな話を突然、こんな所でぶっちゃけられても、対応に困るだけだ。
「な、なんとか言ったらどうなの!?」
「はい?」
「女の疵を知ったのよ? もっと言葉はないの? 『気の毒だな』とか、『そんなの忘れろよ』とか! ホントに気の回らない男ね!!」
ミラは喚き散らす。
でも、兄貴ならともかく……、オレは反射的に気の聴いた言葉を返せるほどそんなに言語処理能力は発達していないのだ。
それに……。
「そんな言葉……。なんの気休めにもならないだろ? オレは、人の疵に塩を塗り込むような趣味はない」
「何か言ってくれないと、こっちだって……」
そう言いながら、ぽろぽろと泣き出しやがった……。
……ったく、これだから女は面倒くさいってんだよ。
都合が悪くなるとすぐ泣きやがるんだから。
対応に困るこっちの身にもなれ!
「誰にも……、言うつもり、なかったのに……」
そりゃ、そうだろう。
誰にでもホイホイ言えるような単純な話じゃない。
「なんで……、初めて会話した人に……、それも……、貴方は男の人なのに……」
「初めて会ったばかりだから……、あんたのことをよく知らないヤツだったから、逆に言えたんじゃねえのか?」
「え……?」
なんで、オレにそんな話をしたのかは分からない。
「……オレは、そう言う疵を負ったことがないからよく分からんが、確かに、いろんな意味で誰にでも言えることじゃないと思う」
「あ……、当たり前じゃない!!」
「だから……、誰にもその疵の話はできなかっただろ?」
だが、誰にも話せない疵なんてものはあるだろう。
その傷が苦しければ苦しいほど、より深く自分を抉っていく。
それが癒されることなく、ずっと刻み込まれたままだったなら。
「あんた……、それがどこかで辛かったんじゃねえのか?」
誰にも、どこにも訴えられないような疵。
実の兄からの鬼畜な所業。
それらを抱えたまま、自分の立場上、そいつから離れることは許されなくて……。
「わ……、私が……、辛かった、ですって……? そ、そ、そんなはず……」
ミラは、それ以上言葉が続かなくなった。
涙が止めどなく流れ始め……、声が出なくなってしまったようだ。
……この状況、オレはどうしたら良いのだろうか?
ここまでお読みいただきありがとうございました。




