女神の導き
本日、三話目の更新です。
「カルセオラリアってどんな所ですか?」
わたしがそう尋ねると……、例によって、雄也先輩から一冊の本が手渡された。
「時間もあるし、今回はスカルウォーク大陸言語で書かれた本で良いかな?」
「良くないです。シルヴァーレン大陸言語か、グランフィルト大陸言語で書かれたガイドブックをお願いします」
わたしはきっぱりと断る。
船は、10日ほどで港に着くらしい。
以前の船より速度がないのに到着時間が早いのは、単純に距離の問題だろう。
そんな短い期間で新たな言語の習得とか無理だ。
しかも、翻訳用の辞典はグランフィルト大陸言語かシルヴァーレン大陸言語で書かれたものだった。
日本語訳にして欲しい。
ああ、アルファベットより漢字、カタカナ、ひらがなが見たい。
「じゃあ、こちらだね」
シルヴァーレン大陸言語で書かれた本を渡された。
ぐぬぅ……。
ストレリチアに滞在していた期間の方が長くなったから、こちらを忘れかかっていることを見抜かれている気がした。
「水尾先輩は、カルセオラリアの王子殿下をご存じなのでしょう? どんな方ですか?」
九十九から説明を受けた後、合流した水尾先輩に尋ねてみる。
彼女は、カルセオラリアの王子殿下と幼馴染だったはずだ。
以前、そんなことを聞いた覚えがある。
「第二王子の『トルクスタン=スラフ=カルセオラリア』は、薬品調合好きの変態」
水尾先輩らしく簡潔で、かなり酷いお言葉だった。
薬の調合好きな変態さん……。
その「変態」の文字は薬が好きなことに対してか、本人に対してかが分からない。
それだけ、この世界では薬の調合をする人が少ないのだ。
ストレリチアでは、その人のおかげでいろいろと助かったこともあるわけだから、ちょっと変わった趣味もあまり馬鹿にしたものではないと思うだけど。
「妹王女の『メルリクアン=リーシャス=カルセオラリア』にも、何度か会ったけど……、あまり印象に残ってないな」
水尾先輩はポツリと言った。
「メルリクアン王女殿下は大人しい方だからね」
「雄也先輩も面識があるのですか?」
「ダルエスラーム王子殿下のお供で何度かカルセオラリアには行っているよ。それに……、メルリクアン王女殿下もトルクスタン王子殿下も5年の他国滞在期はセントポーリアを選んでくれたからね」
おおう。
ここで、セントポーリアの王子の名を聞くことになるとは……。
突然の出会いから一年以上経っても、まだ彼はわたしを探しているらしい。
ここまで来ると、もう意地になっているとしか思えない。
手に入らない娘なんてとっとと諦めて、別の女性を探した方が国のためにもなると思うのだけどね。
「第一王子『ウィルクス=イアナ=カルセオラリア』については、私はあまり話したことがないんだよな。いつもなんかきつい顔していた印象しかない」
「ウィルクス王子殿下は勤勉な方だね。一番、機械国家の名に相応しい方だと思うよ」
「水尾先輩が第二王子殿下としか接点がないことはよく分かりました」
話を聞く限り、彼女の幼馴染なのは第二王子殿下だけってことなのだろう。
つまり、家族ぐるみの付き合いというわけではなかったということか。
それを考えれば、これまで、真央先輩がその国にいる可能性を全く考えなかったのも仕方がない気もする。
「カルセオラリアはメシが不味いって若宮から聞いたんだが……」
「おおう?」
九十九からは思わぬ方向からの話が出てきた。
いや、ある意味、すっごく彼らしくはあるのだけど。
「不味いっていうか……不味い? いや、美味くない?」
「いや、それはフォローになってないよ」
水尾先輩の言葉に、雄也先輩が呆れたように言う。
「いや、確かすっげ~不味いってほどじゃなくて、食べられなくはないけど味気はない感じだったような記憶が薄っすらとあるような、ないような?」
「味気は確かにないね」
カルセオラリアに訪問の経験がある二人の会話を聞いた限りでは、食事に期待をしてはいけないことだけはよく分かった。
「最後に行ったのは7年ぐらい前だったからはっきり覚えてないんだよ」
「じゃあ、俺の方が近いか。昨年も行っているから」
「……なんでストレリチアにいるはずの人間が、カルセオラリアに顔、出してんだよ」
水尾先輩が尤もな部分に気付く。
確かに、ずっとストレリチアにいたはずの雄也先輩が、当然のように他国に顔を出すのは……、ああ、大神官さまの強力育毛剤の件があったか。
「グラナディーン王子殿下の御遣い。大神官猊下からも時々、依頼があったよ」
「……他国の人間を何、当たり前のように使ってんだよ、ストレリチア!」
「対価を頂いている以上、立派な仕事だよ」
「雄也先輩はお給料をもらっていたのですね」
この人は本当にどこに行っても生きていけそうな気がする。
「いや、高田のその反応もどこかおかしいから! 王族や大神官が他国の人間使うとかどれだけ人材、足りてないんだよ」
「雄也先輩がどこに行っても優秀で評価されるという話ですよね?」
「先輩が優秀なのは分かってんだよ。どこの国に行っても、評価されるだろう。だけど、問題は、そこじゃなくて……ってどうした?」
水尾先輩がさらに続けようとした言葉を止める。
わたしたち三人が同時に目を丸くしたからだ。
わたしや九十九はともかく、雄也先輩までもが驚いたのはちょっとびっくりだけど。
「ど、どうした?」
その様子に水尾先輩も慌てる。
「いや……、水尾先輩が雄也先輩を自然に褒めましたよね?」
「は?」
「オレも驚いた。兄貴のこと『優秀』って……。当人の前で言うのは初めてじゃないですか?」
「えっと……、ありがとう?」
九十九がはっきりと言い切ってしまい、さらに雄也先輩はお礼まで言ってしまった。
少し動揺しているのか、彼にしては少し迷いのある言葉だったと思う。
そこで、ようやく、彼女も苦手としていた当事者を前に、自分が何を言ったのかに気付いたようだ。
この二年ほどの付き合いで、水尾先輩が雄也先輩のことを「大嫌いな人間」から、「苦手ではあるけれどその能力は認めている先輩」に変わっていることは知っている。
だけど、それを当人に言うこともなく、どこかぎこちなさを残しつつも、普通の先輩後輩のような状態に見えるようになっていたのだ。
「……私が先輩を褒めるのはそんなに驚くことか?」
不服そうな顔をしながら問いかける水尾先輩に対して……。
「「はい」」
わたしと九十九が声を揃えて答え……。
「苦手意識を持つ人間相手に対して、前向きな評価するのはなかなかできることではないね」
雄也先輩も感心した。
でも、それを雄也先輩が言うのはどうかと思う。
彼も基本的に苦手な人間であっても、私情を交えずプラスの評価ができる人だから。
自分の感情を押し殺して、苦手な相手とともに行動するなんて、かなり難しいと思う。
でも……、それぐらいできないと、セントポーリアの王子や王妃、国王陛下、さらにわたしたちの間を動くことなんてできないのかもしれない。
「二年も世話になっていて、いつまでも昔のことをグダグダと言っていても仕方がないだろ」
「昔のこと?」
そう言えば……、水尾先輩が雄也先輩のことを苦手としている理由を聞いたことはない。
何かあったのかな? とは思ったけど……、その辺りについては関係ないわたしがあまり立ち入るのもどうかなとも考えていた。
いつかは話してくれるのかな?
「ストレリチアの情報管理がどうなっているのか。一度、グラナに確認しておかなければいけないな」
水尾先輩がそう呟いた。
確かにあの国は情報に対して、少し甘い気がする。
ワカは人間界にいた期間が長いせいか、情報流出に神経を尖らせていたけれど、大神官さまや王子殿下は割と重要と思われる話をあっさりと口にしていた覚えがある。
……でも、恭哉兄ちゃんは人間界にいたことがあるので、単純に、性格の違いなのかもしれない。
隠し事をしないと言えば聞こえが良いが、自分たちの事情をあまり重要視していないのだろう。
「情報国家が怖くないのでしょうね」
なんとなくそう思った。
わたしはその国について、少ししか知らないのに、その僅かに聞こえた話で充分震えることができたのに。
そんなことを考えていたわたしは、三人がなんとも言えない視線を送っていたことに気付かなかった。
そして、この時、わたしは考えもしていなかった。
このカルセオラリアに向かったことで、わたしと九十九が運命的な出会いをしてしまうことを。
そして、その邂逅が、それぞれの将来を左右することになるなんて、夢想だにしていなかった。
特にわたしは……、この時、このタイミングでカルセオラリアに行かなければ、後の運命が大きく変わっていたことだろう。
運命の女神の導きというやつは、本当に不思議な所で発揮されるのだなと思うしかなかったのだった。
次話からはいつものように定時に二話更新に戻ります。
そして、この話で第27章は終わり、次話から第28章「獅子搏兎」に入ります。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




