重なる姿
「そうか……。情報国家に……」
私は、彼から話を聞いてようやく納得できた。
高田の思い付きで来ただけではなく、それなりの事情と理由があったことがよく分かったのだ。
それだけでも心苦しさは半減する。
「若宮や法力国家が思ったよりあっさりと手放したと思えば……、そういった事情があったのか」
情報国家は、情報のためなら何でもする国だ。
その情報の利用価値が高ければ、身内すら売ることも迷わないとまで言われている。
そんな国に友人が目を付けられたと分かっているのに、自ら手を離さなければならないと考えた彼女たちの心境はどれほど複雑だったことだろうか。
彼女たちは守らねばならないものが多すぎるのだ。
昔は私も守らなければならないものが多く、背負わなければならないものは重かった。
だが、国がなくなってそれら全てから解放されることになった。
必要なのは自身の身一つだけ。
そのなんと気楽なことか。
国が綺麗になくなるという状況に追い込まれて、それまで自分が守られていたと思っていた存在に実は縛られていたことに気付くなんて、皮肉にも程がある。
「ところでさ……」
私は先ほどから気になっていることを尋ねる。
「組み合わせが違うんじゃないか?」
「何の組み合わせですか?」
「いや、だって……、なんで九十九が高田の近くにいないのか? とか、なんで先輩と高田が二人で仲良くいちゃついてるんだとか、いろいろと気になる要素が盛りだくさんなんだよ」
「高田の護衛がオレだけではないので。それとも……、水尾さんはオレより兄貴と一緒に話す方が良ければ、今からでも替わりますよ?」
「いや? 私は九十九の方が良い」
私はきっぱりと言い切った。
先輩は本当に会話一つも油断できないのだ。
言葉の一つ一つだけではなく、表情や仕草、癖から感情を読み取ろうとする。
魔気に込められる感情の操作については慣れていても、自分の顔に出るものまでは気を使っていなかった。
魔界人……、特に魔法国家では魔気から感情を読み取る人間の方が圧倒的に多いからだ。
私はその癖がなかなか抜けない。
「それなら良かったです」
九十九が笑う。
こうして見ると、随分、大人になったよなと思う。
身長もいつの間にか抜かされて、気が付けば彼の兄である先輩と肩を並べるようになった。
声も低くなったし、身体つきも随分、変わっている。
一番、成長する期間を見たのかもしれないが、立派な青年になったなと思わず近所のおばちゃん目線になってしまう。
私は、自分に身長が追い付かれた頃から、彼を「少年」とは呼ばなくなった。
そんな呼称が似合わなくなったこともある。
兄に比べれば、まだまだ幼い部分はあるが、同年代の男の中では十分、大人びていると言えるだろう。
高田や若宮と一緒にいる時は、少年っぽさが残っているような気がしていたが、こうして、彼を単独で見ると、自分の幼馴染と比較しても、かなり落ち着いて見えた。
いや、ヤツがいつまでも落ち着きがないとも言えるのだが。
「でも、九十九は嫌じゃないか? 高田を先輩に取られて」
「? 嫌だとは思ったことはありません。高田が兄貴の傍にいるのは自然だと思います」
九十九は不思議そうな顔をした。
「そうか? 私はかなり違和感があるぞ」
私が九十九と会った時から、高田とセットになっていることが多かったからだろう。
そのためか、どうしても、九十九以外の男が高田と一緒にいると不自然に思えてしまう。
いや、今更、高田が幼く見えるとは言わない。
確かに背丈こそ低くはあるが、少し離れたところで先輩と一緒にいても、犯罪には見えない程度に彼女も成長はしている。
少し前までは、背徳感を覚えるほどだったのに。
大神官やクレスノダール王子と一緒にいる時は……、まあ、年の離れた妹みたいに見えていた。
しかし……、気が付くと、高田の方が、大神官相手に距離を取り出した。
友人の恋人相手にいつまでも馴れ馴れしい態度ではいられないと判断したのだろう。
「水尾さんが見慣れてないだけで、あの二人は、割と昔から仲が良いですよ」
「昔? 記憶のない時期か?」
「そうですね」
その頃と今は違うだろうとは思う。
しかし、私はその記憶がない時期の高田というヤツには会ったことがなく、精霊から見せられた過去でしか知らないから、それ以上は何とも言えないのだが。
「確かにあの頃とは違いますが……、高田と兄の関係自体が変わったわけでもないですからね」
そう言った彼がどこか、傷ついていたように思えたので、私は思わず手を伸ばし……、その頭を撫でていた。
いや、感情のまま彼を抱き締めなかったことを褒めてもらいたい。
私は、こんな目をする人間に弱いのだ。
私の行動に目をぱちくりする九十九。
「あ……、あの……?」
私の意図が掴めず、なんと声をかけて良いのか分からないようだ。
「あ、悪い」
そう言って、手を下ろす。
ここは船の甲板。
人間界の観光船と違って、人が多く出てきているわけではないが、それでも、人が全くいないわけではない。
実際、高田と先輩はいたのだし。
それでも……、彼に触れずにはいられなかった。
「悪い……、じゃないですよ。水尾さんまで、高田みたいなこと、しないでください」
いや、九十九が高田に撫でられたことがあるってのも、私は初めて聞いた話なんだが?
そう思ったけれど言わないでおく。
「悪かった」
そう言いながらも、彼が嫌がっていたようには見えなくて少しだけホッとする。
女から頭を撫でられて、喜ぶ男は多くないだろうから。
「九十九が……、どこか淋しそうに見えたから」
「淋しそう?」
「ああ、なんだか……、置いていかれた子供のような顔だった」
心細いような、泣きそうな……、手を伸ばしたくても伸ばせないような……? そんな感じがしたのだ。
それが……、兄か高田のどちらに抱いた感情かは分からない。
でも……、私がそう感じたのなら、あまり外れていないだろう。
彼は感情を顔に出さなくはなったが、私とは逆に、その体内魔気に籠る感情まではまだ制御できていないから。
それでも、それに気付くことができる人間は多くもないだろうが。
「……そんな顔に心当たりはないですね」
その言葉をどんな気持ちで口にしたのかは分からない。
だけど……、その言葉で、なんとなく気付いた。
彼の高田に対する感情は、想像以上に複雑なものだったんだなと。
その根幹にあるものは間違いなく「愛」と呼ばれる種類のものなのだろう。
それが「傍にいたい異性」に対してか、「身内のような家族」に対してか、「仕えるべき主人」に対してか、「遠い昔からの幼馴染」に対してか、「身近にいる友人」に対してなのかも、はっきりと分からないけれど。
そして、それは当事者自身もまだ自覚はしていないのだろう。
「心当たりなんてない方が良いだろう。いくつになっても、置いていかれるのは淋しいことだもんな」
この広い世界で、たった一人になってしまうような孤独感。
そんなものは味わうことがない方が良い。
「……そうですね」
そう言いながら、九十九はフッと笑った。
「でも……高田が『聖女の卵』って言われた時……、私は少し淋しかったよ」
「え……?」
「ずっと傍にいた友人が、急に遠くに行ったような気がして」
あの日……。
ストレリチアの城門前で、高田が聖歌を口にした時……、マオが私も契約できなかった大きな魔法を契約した時以上の震えがあった。
単純な魔法では感じられないほどの大気魔気の激しい流れ。
気をしっかり持っていなければ、自分を別の世界に運ばれてしまいそうな漠然とした不安感を覚えた。
少し離れた城内にいた私ですらそう感じたのだ。
それをすぐ間近で見ていた彼の衝撃はどれほどのものだったことだろう。
「遠くに行ったなら、どこまでも追いかけるまでです」
九十九がポツリとそう言った。
そのどこか危うさを感じるような言葉に続けて――――。
「もうあんな思いは二度と御免ですから」
「あんな思い?」
彼が言う「あんな思い」はどれのことを差すのか分からず、問い返す。
「高田は……一度、死んでいるでしょう?」
その何気なく言われた彼の言葉の冷たさに、私は背筋が凍る思いがした。
言葉の意味よりもその彼の表情に。
「それを思えば、大半のことは我慢できますよ」
それは、純一さと静謐さを感じるような言葉ではあったが、何故だか、私は彼に、あの大神官の姿を重ねたのだった。
次話は本日18時更新予定です。
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