聖女の卵たち
「それでは、ご厚意、ありがたく頂戴致します」
水尾先輩が旅立ってから遅れること三日。
わたしたちはストレリチア城から離れ、城下の聖堂にある転移門「聖運門」と呼ばれる場所に立っていた。
「聖運門」そのものの外見はセントポーリア城で見た「転移門」と変わらないが、光が仄かに緑色をしている。
セントポーリア城のは確か橙色だった。
ストレリチア城下に大聖堂とは別の聖堂があることを初めて知ったが、実は最近建てられたらしい。
有事の際の脱出経路はいくつあっても良いと言うことだろう。
だが……、その聖堂が、国を救った「導きの女神」のために建てられたと聞けば……、少々、複雑な気持ちになってしまうのはわたしだけだろうか?
「道中、気を付けてくれ」
「はい。王子殿下も、ご自愛くださいませ」
グラナディーン王子殿下より、気遣われたのでそう答える。
「さようなら、もう一人の聖女さま」
そして、王子殿下の傍らに立つ少女より、言葉をかけられる。
「さようなら、本物の聖女さま」
「『聖女』の行はともかく、……なんで、敬語?」
少女は不服そうな顔をした。
「王子殿下の婚約者と、一般人が同列なわけないじゃないですか」
「同じ『聖女の卵』なのに?」
「違いますよ」
立場だけではなく、その能力も。
自分の力を磨き上げてその場所に立つ彼女と、成り行きでうっかりその場所に立ったわたしとでは雲と泥の差だろう。
「ま、いっか。また会えるよね?シオリ」
「はい、勿論、オーディナーシャさま」
わたしは、王子殿下の婚約者と抱擁を交わす。
彼女がいれば、ワカは絶対、守られる。
そう信じている。
「栞さん。どこにいてもご無事をお祈りしております」
「心強いお言葉、ありがとうございます、大神官さま」
恭哉兄ちゃんには昨日のうちにちゃんとお別れをした。
だから、今は大神官に対してのお別れだ。
わたしの左手首にある「御守り」は、城下での騒ぎの際に、法力が籠った石も、法珠も全てなくなってしまった。
今は、深紅の法珠が10個もついている。
ワカ曰く「世界最高の御守り」らしい。
今度は壊さないようにしなくちゃね。
九十九と雄也先輩は、そんなわたしたちを後ろで見守ってくれている。
彼らも個人的なお別れは既にしているらしい。
だから、余計な口を挟まないのだ。
さて……わたしがお別れしなければいけないのは、後一人いるはずなのだが……、周囲を見回す。
「ワカ」
大神官の後ろに隠れている友人を見つけ出す。
「行くのね」
ワカは一言だけ言った。
「うん」
だから、わたしも一言だけ返す。
今はあまり刺激したくないのだ。
わたしは、この「若宮恵奈」という人間をよく知っているから。
「絶対、気を付けること」
「うん」
「無事にまた帰ってくること」
「うん」
その言葉に少し笑みが零れる。
「帰る」ってことは……、ここを家のように思っても良いということだろう。
本来なら、家となるはずのセントポーリアには既に居場所はないのだから、ワカの言葉は大変嬉しかった。
「変な男に引っかからないこと」
「うん」
ワカの基準の「変な男」はどのくらいだろうか? とも思うけれど。
わたしが良いと思ってもワカのお眼鏡に適うかな?
「定期的に手紙を書くこと」
「分かった」
母にも手紙を書いている。
だから、雄也先輩に頼めば届けてもらえるだろう。
「自分を大事にすること」
「へ?」
「高田は……時々、かなり無謀なところがあるから」
「……気を付けます」
なんとなく九十九が背後で頷いている気がした。
「とにかく無事でいて。私の願いはそれだけだから」
「その割にはいろいろと注意された気がするけど」
「細かいところは気にするな!」
努めて明るく言ってくれている。
でも……その目が赤く潤んでいる。
「ワカ……、ちょっと良い?」
「え?」
わたしはワカの頭に手を伸ばす。
そして……。
「ワカこそ、今まで守ってくれてありがとう」
そう言いながら、感謝の気持ちを込めて頭を撫でる。
すると――――。
「ぐっ!?」
いきなり力強く締め付けられた。
「わ、ワカ!?」
「高田……、高田ぁ……」
わたしの肩に顔をのせ、そのままがっしりと締め付けられたまま大泣きされたのだ。
ずっと、名前を呼ばれ続けるが……、わたしは彼女の頭を撫でることしかできない。
ただ、わたしにできたことと言ったら、「ああ普通は大泣きする時、こんなに声を上げるものなのだな」と、明後日の方向に思考を飛ばすことだけだった。
***
「見苦しい所を見せたわね」
「ワカの涙腺大崩壊は初めて見た気がする」
ワカは貰い泣きをしてしまうほど、涙腺は緩みやすいタイプだ。
恐らく、わたしよりも涙もろい。
でも……、ここまで声を出して大泣きされたのは、多分、見たことがなかった気がする。
「何度も言うけど、気を付けて」
「うん。大神官さまと仲良くね。あまり意地張っちゃ駄目だよ」
まあ、恭哉兄ちゃんは懐がかなり大容量みたいだから、ワカの我が儘ぐらいは受け止めてくれそうだけどね。
「高田こそ、笹さんと仲良くね」
「仲は良いつもりだけど?」
少なくとも九十九との仲は悪くない。
男女の関係って言うより、間違いなく友情方向だけど。
「ああ、はいはい。笹さん、この子、よろしく。泣かないように守ってね」
「おお。オレの方が泣かされるだろうけどな」
ワカがわたしの背後にいる九十九に声をかけると、彼はそう答えた。
そんな彼の言葉に対して、ワカと、王子殿下の婚約者が同時に噴き出す。
「いやいや、そこは笹さんがしっかりしないと!」
そう言いながら、ワカが九十九の背中を強く叩いたのだった。
****
「行っちゃった」
友人たちを飲み込んでしまった聖運門を見ながら、私は呟いた。
「ケーナ、これで良かったの?」
「うん」
本音を言うと良かったわけではない。
でも、それでも笑って見送ろうって思っていたのに、あの手が私の頭に触れた時、我慢ができなくなった。
本当はあの子に縋り付いた時、何度「行かないで」という言葉を飲み込んだことだろう。
その飲み込んだ分だけ、涙は溢れて止まらなかった。
感情を押し殺さなければいけない立場にありながら、なんとみっともない真似をしたことか。
「また会えるから大丈夫」
私はそう言って、将来の義姉に向かって笑う。
確かに、外には危険があるだろう。
でも……、あの子たちなら大丈夫。
そんな気がするのだ。
私相手に一歩も引かないどころか、攻撃魔法を一切、使わずに戦意を喪失させた護衛。
荒事に慣れている気はしたけど、まさか……、王族を相手にも引けを取らないほどの立ち回りができるとまでは思っていなかった。
確かに、私は魔法の行使に慣れていないが、それでも、魔力だけなら、兄以上なのだ。
自慢じゃないが、魔法の威力だってあると思う。
「そうね。また会える……か」
将来の義姉も笑う。
彼女だって、我慢しているはずだ。
隠してはいるが、実は、私と同じくらい涙もろいのだから。
こう見えて、彼女との付き合いは長いのだ。
そして、これからもっと長くなるのだ。
「笹さん、信じているからね」
これまでの彼らの関係や、先ほどのあの子の様子を見る限り、道はとんでもなく長そうな気もするが……、大丈夫だろう。
彼は私が胸元に張り付いた時、引き剥がそうともしなかったが、それに応えることもしなかった。
確かにその場には大神官がいたこともあっただろうけど……、彼は言っていたのだ。
『好きでもない女に応えるほど軽くもねえ』
そんな彼は、高田に対してだけは、いつも自分から手を伸ばしている。
それは護衛という立場にあるためだと本人は言うだろうけど、私は覚えているのだ。
人間界にいた時、温泉で自分から彼女を抱き締めたことを。
ただの護衛がする必要がない抱擁。
邪魔しちゃ悪いとは思いつつ、互いに本意ではない状況だからと思って、割り込ませてはもらった。
そして……、高田も、彼に手を伸ばして、その手をしっかりと握り返している。
それをどこまで意識しているか分からないけれど、困った時に探すのは、間違いなく彼の姿だ。
私が、大神官を探すかのように。
だから何度も願うのだ。
「私の親友を泣かせたら承知しないからね! 笹さん」
「そこまで心配しなくても、笹さんなら、恵……、ケーナ以上に大切にしてくれると思うけどなあ……」
後ろでそう呟く将来の義姉の言葉を、私は聞こえないふりをして、振り向かずに聖堂を後にしたのだった。
新たな「導き」を願って……。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




