真夜中の訪問者
「いよいよ卒業式……か……」
目の前にある光る珠を見つめながら、わたしは呟いた。
あの日、九十九からもらったこの通信珠だ。
それはあれから少しも変わらず、橙色の光を宿していた。
いざという時のために渡されたコレは、結局、一度しか使うことがないまま明日を迎えようとしている。
その一度だって、緊急事態ではなく使い方を知らないままに彼を呼び出してしまったぐらいだったのだけど。
今の時間は、既に23時を過ぎている。
受験勉強期間中ならともかく、夏休み前の自分ならば、とっくに眠っている時間ではあった。
結果そのものはまだ出ていないのだけれど、受験は終わり、夜遅くまで起きている理由はもうない。
だから、そろそろ寝ようと思ったのに……、なんとなく眠れずにいる。
明日が卒業式だからだろう。
雄也先輩に答えを出すと言った日。
いろいろな意味で区切りをつけなければいけない日。
わたしの中では、とっくに答えはもう出ているのだ。
でも、本当にその決断が自分やその周りにとって正しいのかは自信がない。
わたしが出した答え一つで、確実に周りに影響が出るのは避けられないと分かっているから。
わたしが答えを出すのを何も言わずに待ってくれている九十九は……、今、何しているかな?
ふと、それが気になった。
流石にもう寝ている時間だとは思う。
公立はどこも同じ日に卒業式だから。
いや、男の子は夜更かしが多いって話を聞いたことがある。
もしかしたら、まだ起きてるかもしれない。
「九十九……、起きてる?」
通信珠に向かってなんとなく呼びかけてみた。
さっき独り言をいった時には無反応だったから自信はないけど、以前の状況を考えれば、使い方は多分、これで良いと思う。
でも、どんな風に彼に伝わるのだろう?
マイクやスピーカーも見当たらないから、緊急ベルみたいに呼び出し音がなるのかな?
そして、不意に持っていた珠が光ったかと思うと……、いつぞやのように九十九が部屋に現れる。
「今度はどうした?」
今回は、二度目だからだろうか……?
流石に、以前ほどの驚きはなかった。
「いや、何してるかな~と思っただけなんだけど……」
前回もそうだったが、ちょっと珠に向かって呟いたぐらいで呼び出してしまうのはどうなのだろう?
「まあ、緊急性のなさそうな声だったからな……。前聞いたのはもっと不安の塊みたいな声だったから、慌ててきたんだが……」
「え? 声そのものが聞こえてるの?」
「これの名前と機能を教えなかったか? この『通信珠』ってやつはお前の声が、直接オレの頭に響くようになっているように設定しているものだ。例え、寝ていても起こされるようにもなっている」
なんという睡眠の邪魔。
そ、それは……、迷惑すぎませんか?
「名前と使い方は聞いた覚えがあるけど、声そのものが伝わってるとは思わなかったよ。しかも頭に直接とか……」
まさか、さっきの少し気を抜いていた情けない声がそのまま伝わっているとは思わなかった。
恥ずかしくて思わず穴を掘りたくなる。
「オレが寝ているときにお前が襲われないとも限らないだろうが。奇襲は夜が常套だ。でも、あれだけ派手なことをしでかしておいて、あれ以降、全然、その気配がないから逆に拍子抜けしているところなんだがな」
彼がいうとおり、襲撃はたった一度。
わたしの誕生日に襲われたっきりだ。
「もしかして……、もう諦めた……とか?」
そうだったら良いなという願望を言ってみる。
そんなことはないと分かっているのだけど、期待するぐらいは許して欲しい。
「……だったら良いんだが……」
九十九は一応、そう言ってくれた。
「だが、以前も結界やら、かなり手の込んだことをしてたぐらいだ。失敗したとは言え、一度ぐらいで引き下がるとは思えない」
まだ何もしてこないのは、こちらを油断させるためかもしれないと、九十九が呟いたのが聞こえる。
周りが静かなせいか……、彼はいつもより声を潜めている。
でも、少しだけ低い声が、逆にわたしの部屋ではよく通る気がした。
まあ、今は夜中だからかな?
そこで、ふとあることに気が付いてしまった。
気付かなくても良い事実に……。
今は夜。
それも真夜中に近い時間……。
それなのに、前回と違って今日は、ある程度わたし自身の意思で男の子を部屋に呼び出している。
それは……、女子中学生として、いかがなものか?
「どうした?」
そんなわたしの様子に気付いたのか、九十九が顔を覗き込む。
……って、すっごく近い!?
「顔が紅い……。まさか熱が出たのか?」
「いやいやいやいや?」
熱は熱でも病気とかじゃない!
思わず慌てて否定する。
「この阿呆! 熱が出てるなら、さっさと寝ろ!」
そう言って、九十九はわたしを肩に担ぎ上げた。
「うわっ!?」
不意に持ち上げられた衝撃と、見た目に反してかなり力があることと、九十九がかなり怖い顔をしている……などと、とにかく、いろいろな部分に驚いて声が出てしまった。
「熱を甘く見るな」
そう言ってそのまま、布団に押し込められ、額に手を当てられる。
それだけの行動だったのに、本当に顔の熱が上がっていくのが分かった。
彼は過剰なまでに心配性だと思う。
少し熱が出たぐらいで、この扱いは大袈裟すぎる……とも、思ったのだけど……?
「九十九……?」
だけど……、彼の表情が……いつもと違ったのだ。
心配もあるのだろうけど、それ以上にあるのは怯えとか……、そう言ったもっと不安定な感情を感じる。
「オレの親父は……、熱病で死んでるんだ」
絞り出すような彼の声は、少し震えている気がした。
そう言えば……、少し前にそんな話を聞いた覚えがある。
九十九の母親は、彼が生まれてすぐに亡くなり、父親は3歳の時に熱病で亡くなった……と。
それならば、発熱そのものに対して、彼が過剰反応してしまうのも仕方がないことなのかもしれない。
彼は、また同じことが起こるのが怖いのだ。
「人間界は魔界と違っていろんな薬がある。だけど、それでも熱病で死ぬ人間だってゼロじゃないんだ。オレの治癒魔法では病気は治せない。頼むから、ちゃんと休んでしっかり治してくれ」
「魔界は……、あまり、薬、ないの?」
それはなんだか意外だった。
魔界って、大釜や大鍋の前に立つ魔女のイメージから、結構、多種多様な薬草や薬品が溢れかえっているような気がするのに。
「傷を治す薬草はあるし、疲労を回復させる薬草もあるが、病を治す薬については研究されていなかったはずだ。十年前の知識だけどな」
十年……、、九十九たちがここに来たころの話ってことだ。
今は少し状況が変わっているかもしれない。
「治癒魔法でも病気は治せないの?」
「病気は治せない。そんな魔法もあるかもしれないが、少なくとも今のオレは使えないな」
九十九の治癒魔法は、手の怪我をあっという間に治した。
それだけのことができるのに、なんで病気は治せないのだろうか。
魔法は万能じゃないと聞いていたけど、思った以上に制限があるっぽいね。
「オレがいたら眠れないだろうから、戻るぞ」
そう言って彼が背を向けたのでなんとなく……。
「ちょっと待って」
と、呼び止めてしまった。
「なんだよ?」
少し不機嫌そうに言う九十九。
その彼の姿がどこか痛々しく見えて……。
「少し不安だから、眠るまでいてくれない?」
思わずそう口にしていた。
いや、本当に熱があるわけではない。
だから、一人にされると不安とか淋しいとかそんな感情はなかった。
ただ、なんとなく……、どこか泣きそうにも見えた九十九が気になっただけだ。
わたしより、今は彼の方が心配だった。
「お前、なあ……。まあ、お前の方がソレで良いなら、オレはもう少しだけ残ってやる」
何故か迷うようにそう言って、九十九はベッドに背を向けて座る。
「うん、ありがとう」
その背中と気遣いが……、なんとなく嬉しかった。
その後のことはあまり覚えてない。
わたしたちは特に言葉を交わすわけでもなく、同じ空間にいた。
それでも、わたしは安心したのか、ぼんやりと九十九の頭とか肩とか背中とか見ているうちに眠ってしまったらしい。
―――― そして、夜が明けた。
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