届けられた手紙
大神官「ベオグラーズ=ティグア=バルアドス」は、大聖堂の一室にて、彼にしては珍しく険のある顔を見せていた。
原因は恐らくその手にしている書簡だろう。
いつものように大量に届いた書簡の中に潜り込んだ何の変哲もない書状。
だが、送り主とその内容に問題があった。
そこには挨拶も飾り立てる言葉もなく、書かれた言葉は一文だけ。
特徴もない筆跡で、こう書かれていた。
―――― 近日中に、千年の愛に包まれた救国の神子様にお目にかかりに伺います。
訪問予告。
それも、相手への都合を確認するものですらなかった。
つまりは、いつ来るかも分からない。
しかも……、本来ならば国王や、王子に出してもおかしくはない立場の人間が、わざわざ大神官宛に直接送り付けたことに意味がある。
そして、書かれた言葉の意味が分からないわけではない。
その文面に差出人の性格がよく表れていることも。
毎度のことながら、どこで聞きつけたかは知らないが、この国でも謎が多いとされている「聖女の卵」と直接、会話をしたいということなのだろう。
それも、この国でいつの間にか彼女に付いた「導き」という通称ではなく「救国の神子」と普通なら誰も結びつけるはずのない方向からの接触。
それだけでも溜息を吐きたくなる。
だが、何より彼の気を重くしているのは文章の末尾に押された印章だった。
この世界で、この印章を持つ者はただ一人。
そして、世界でもトップクラスの面倒な相手である。
それでも、この差出人には何か考えがあることは想像に難くない。
公式的な訪問のつもりならば、その宛名をどう考えても大神官宛にはしないだろう。
そして、電撃訪問するつもりなら、相手は予告などせず、いつの間にか潜入している。
この差出人はそんな相手だった。
だが、考えても仕方がない。
大神官は、その書簡を手にしたまま、その部屋から出て行ったのだった。
****
雄也は城内の一室にて、彼にしては珍しく、きつい表情を露にしていた。
その理由は、今、目にしている手紙だろう。
大量の書類を処理している時でも、ここまで面倒だとは思ったことはない。
「どう思われますか?」
その手紙を持ってきた大神官は尋ねる。
「面倒なことになったとは思います」
どこか納得のいかないような表情を隠しもせず、雄也はそう答えた。
大神官から齎された手紙。
それはたった一文だった。
だが、文章にかなりの情報が盛り込まれていることに、雄也は寒気を覚えるしかない。
簡潔ではあるが、そのためにどんな解釈もできるような文章でもあり、分かる人間が見れば、重大な機密が漏洩しているともとれる。
差出人がどれだけの意図を込めているのかは判断できないが、少なくとも、相手をよく知らない雄也であっても、後者の方だろうと考える。
「この方はいつもこのような手紙を書かれるのですか?」
「いいえ。このような文章は初めてです。いつもは、このような文章を書く方ですので」
そういって、大神官は別の手紙を差し出す。
「拝見しても?」
「はい、そのつもりで持ってきましたから」
それはいずれも封書ばかりだった。
差出人の立場を考えれば、安っぽいものもある。
だが、その中身を見て、納得はした。
下神官相手に、過剰な装飾の封書を送り付けるわけにはいかなかっただろう。
「随分、長いお付き合いなのですね」
少なくとも、内容的に15年以上昔から手紙が送られていることになる。
そして、内容は毎回、異なるが、最初の手紙は明らかに幼い子供相手に書かれたものだということはよく分かった。
文章が分かりやすく、難しい言い回しが一切ない。
だが、その次の封書から、極端に難しい文法なども使われているので、恐らくは、返書を見ての反応なのだろう。
「不本意……、いえ、恐れ多いことですが、そうなりますね」
大神官にしては不満を隠さなかったことに雄也は思わず笑みが零れる。
どうやら、大神官自身は望んだわけではないだろうが、手紙を見る限り、随分、この相手から気に入られているようだ。
雄也は印章を見るまでもなく、その差出人が誰であるかを察した。
同じ筆跡を別の場所で何度も見たことがあったためだ。
勿論、大神官宛に書かれた手紙はグランフィルト大陸語だが、そこで見た共通する字母の一部がまったく同じだと思った。
勿論、しっかり鑑定をしたならば違った結果が出る可能性もあるが、内容を見る限りでも全く代筆を頼んではいないのだろう。
あまり表に出せたものばかりではなかった。
「『グリス=ナトリア=イースターカクタス』国王陛下は随分、筆まめのようですね」
雄也がそう言うと、大神官は微妙な表情をする。
「観察日記をつけられている気分になります」
その評価は間違ってはいない。
少し前に食べた食事の内容など、普通はどうでも良いことではあるが、見られている人間からすれば、かなりの恐怖だろう。
しかし、そんなちょっとした日常観察を楽しむような中に、妙に鋭い言葉が紛れ込んでいる文章。
少しの言葉で必要以上に理解する人間の大敵ではあることは間違いないと雄也は思った。
そして、それを承知で……、こんな暗号にも似た手紙をよこしたということは何かあると考えるべきだろう。
検閲の対策もあるだろうが……。
大神官宛に届けられる手紙が誰の目にも触れないとは限らない。
寧ろ、愛しの大神官様宛に届く手紙ならば、あらゆる手段を駆使して、覗き見ようとする輩は一定数存在するような気がした。
「大神官様はこの手紙をどう解釈されましたか?」
「栞さんにお会いしたいから取り次いで欲しい……かと」
なるほど……。
普通にこの手紙を読めば、確かにそう考えるべきだろう。
だが、雄也の考えは少し違った。
「私は……、彼女をこのままここに置かない方が良いという警告かと思いました」
何故、情報国家の国王がそんなことをするのか分からない。
そもそも彼女とは面識がないはずなのだ。
だが、先ほどから考えれば考えるほど、そうとしか思えなくなってくる。
そして、その根拠となる理由としては単純のものだった。
雄也なら、そう書くからだ。
「どういうことでしょう?」
「まず、訪問の期日がありません。取り次ぎの必要があれば、指定するか、余裕を伺うでしょう」
これまでの手紙を読んだからこその確信だった。
会って話す必要がある予定の時は、必ず日時の指定がある。
正しくはいくつかの日程の中で、都合が付く日を選択するように促している。
「その通りです。かの国の王は、私が下神官の時代から、予定を伺ってくださる方でした」
それは傍から見れば、身分差に関わらず相手の意思を尊重する姿勢に見えるだろう。
だが、現実は違う。
「こっちがこれだけの譲歩の姿勢を見せているから絶対に逃げるなよ」という獲物に対する捕食者の姿勢である。
他国の王から直々の要請があって、当時、下神官に過ぎない少年に拒否権などあるはずもない。
だから、今回のように特定の人間に会いたいと名指ししているのに、逃げられる隙をあたえるような脅しをする必要は、それ以外に考えにくい気がした。
「大神官様がこの王を苦手としていることは分かっているので、予告をすれば彼女を城や大聖堂から逃がすと思われているかもしれません」
外に出せない秘密を大量に抱え込んでいる少女。
その彼女に対して、秘密を調べつくすことが趣味と言えなくもない人間が近づくなど……、少女に好意がある人間が看過するはずもないと予想できる。
大神官は基本的に公平な人間ではあるが、他人に対して薄情なのではないのだ。
自分の懐に入ってきた人間に対しては、保護を惜しまない。
「そうなると……、『千年の愛』については?」
「セントポーリアにいる、彼女の味方のことだと思います」
雄也にとっては謎にもならない。
これは母親である「千歳」のことだ。
そして、同時に、情報国家の国王は、彼女の母親の名前まで知っていると考えるべきだろう。
偶然とか、たまたまで選ぶ単語ではない。
後に続く言葉である「救国の神子」たちは、千年どころか万年を越える時代の人間たちだ。
そちらに準える気があるのなら、「万年を越える愛」とすべきだろう。
そして……、彼女を表す言葉に、「聖女」では名前が通り過ぎていた。
万一、この手紙が誰かの目に触れた時、大神官の立場は悪くなる。
だから、あえて珍しい「救国の神子」という言葉を使ったのではないだろうかと雄也は考えた。
流石の彼も、あの少女と「救国の神子」の一人と容姿が似ていることまでは考えが及ばなかったのだろう。
もし、この時にそれを知り、大神官の前で口にしていれば、新たな事実を知るところだったのだが……、残念ながら運命はそこまで導かなかった。
「そうなると……、王子殿下にも相談する必要がありますね」
大神官はそう呟いたのだった。
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