導きの女神
「恭哉兄ちゃん」
人気がなくなったことを確認して、大聖堂にいた大神官に声を掛けた。
「栞さん……。姫のお怒りの方は……」
「まだ一週間だからね。未だ怒りは治まらず……という状態だよ」
まあ、素直に喜べないんだろうね。
大分、心配したみたいだから。
でも、開口一番、確認するのはワカの機嫌か~。
ちょっとニヤけたくなる。
「そうでしょうね」
恭哉兄ちゃんは溜息を吐いた。
「で、その姫さんを見なかった? さっきから探しているのだけど……。だから、そろそろ恭哉兄ちゃん成分補給のためにこっちに来ていたかと思って……」
「ああ、姫なら、先ほど九十九さんとどこかに出掛けられたようですよ」
なんで、一週間も面会拒絶状態なのに彼女の状況を把握しているのかはともかく……。
「九十九と?」
何だろう?
二人っきりで外に行くのは珍しい。
「恭哉兄ちゃんは平気?」
「平気……とは?」
「自分の好きな人が、他の男性と一緒にいるなんて……」
大神官ともなれば、焼き餅とか焼かないのかな?
「私だって心中穏やかではいられませんよ」
恭哉兄ちゃんは、そんな意外な言葉を、少し困ったような顔しながら言った。
「そうなの?」
「私も男ですので」
恭哉兄ちゃんははっきりと言った。
「それでも……、クレスの時のように狂おしい思いも、あの少年の時のように切り裂かれるような思いもないので大丈夫でしょう。九十九さんも姫も、お互い友人以上の関係を望んでいないことは分かっていますから」
「え~? 分からないよ~。男女の関係って気まぐれだからね」
わたしは少し揶揄うように言ってみたが、恭哉兄ちゃんには効果がない。
「平気ではないのは栞さんの方ではありませんか?」
「? なんで?」
九十九はわたし以外にもいろんな人と一緒にいることが多い。
水尾先輩なんか、しょっちゅう、九十九の部屋に新作のお菓子をおねだりに来ると、九十九がこぼしていた。
それに……、ワカと九十九も時々、わたしがいなくても一緒にいる。
そんなのいちいち気にしても仕方ないよね?
「……いいえ、なんとなく……ですよ」
恭哉兄ちゃんは、何故か苦笑した。
「あ、そうだ。誰もいないから、丁度良い」
ついでに、聞きたかったことを聞いておこう。
「恭哉兄ちゃん。ここには全ての神さまの彫刻と、絵があるんだよね?」
「はい、そうですが?」
「じゃあ……、勿論、『導きの女神』さまの絵や彫刻も?」
「ありますよ」
その言葉で胸が高鳴った。
先日の、降臨とやらで出てきた女神さまの姿を、わたし自身は見ていないのだ。
あの九十九が「綺麗だった」と言った人。
あのワカが「言葉にならないぐらい神々しかった」と言った人。
そんな評価を受けるような神様に、興味がわかないはずもない。
「見せてもらうことはできる?」
「彫刻は……、無理でしょうけど、姿絵ならば、お見せすることはできますよ」
「彫刻は……、無理?」
なんでだろう?
「『導きの女神』を模した彫刻は、聖歌を歌う時間帯のみ、この祭壇に現れるようになっているのです。栞さんが聖歌を歌えることは存じていますが、流石に、聖歌隊の中に紛れ込むのは難しいでしょう。うっかり、『神降ろし』をされても困りますし」
「ああ、それは……、確かに」
それなら、仕方がない。
それでなくても、未だに「聖女」についての問い合わせが大神官宛に来ているのだ。
しかも、困ったことに、その問い合わせはどんどん増えているらしい。
あの時、あの場で見ていない人が、噂を聞いて増えたようだ。
これ以上目立ったら、絶対、面倒くさい。
「姿絵はこちらです」
そう言って、恭哉兄ちゃんは、祭壇のある大広間から小部屋が立ち並ぶ廊下へと案内してくれた。
そして、その廊下を進んで突き当たったところに、その部屋はあった。
扉を開くと、そこは祭壇のある大広間と同じくらいの広さの部屋なんだけど、部屋の様子が全然違う。
壁にも柱にも、この部屋中のありとあらゆるもの一面に、いろんな人の絵が貼ってあるのだ。
画風が違うから、同じ人が描いたわけではないと思う。
でも……、少し胸がわくわくと躍ったことは分かった。
「こちらが『導きの女神』とされる方です。彫刻もこの姿絵にそっくりですよ」
橙色の瞳……、金色の長い絹糸のような髪で、その女神は柔らかく微笑んでいた。
ただ、その後ろに黒い羽がついてるのが気になるといえば気になる点だけど。
初めて見るはずの女神。
でも……、わたしは、この顔を知っている。
「ディアグツォ……プ」
それはセントポーリアに伝わる聖女の名だった。
その微笑みを浮かべた女神は……、以前、セントポーリア城の王子殿下の部屋で見た聖女と瓜二つと言っても良いほど、雰囲気までよく似ていたのだ。
その違いは瞳の色ぐらいだろう。
セントポーリアの聖女は、瞳の色が紫っぽかったと記憶している。
「よくご存知ですね。彼女の名は『ディアグツォープ』。迷えるものを導き、正しき道へ歩ませるとされる女神です」
「え……?」
この女神の名も……ディアグツォープ?
「ど、どういう事? この女神様のお名前が、『ディアグツォープ』って……。でも、その名前ってセントポーリアの聖女の名じゃ……」
そう言ってわたしは気付いた。
「ディアグツォープ」を聖女の名だと言ったのは、ただ一人。
それも、セントポーリアの人間じゃなかった。
……ということは彼が勘違いしている可能性もあるのだ。
「セントポーリアの聖女……?」
案の定、恭哉兄ちゃんはどこか訝しげな顔をした。
しかし……。
「それはおかしなことではありませんよ。我が国に伝わる聖女とされた女性の中にも『セレブ』と呼ばれる恩恵の女神と同じ名を持つ方もいます」
「へ?」
「旧き時代の王家には神と同じ名を持つ者もいます。ですから、伝説とまで謳われた聖女……、セントポーリアの王女殿下が導きの女神と同じ名であってもあまり不思議なことではありません」
「そうなの?」
「はい。昔はそう珍しくもなかったようです」
「ふ~ん」
歴史上の人物や芸能人の名を付けたくなる親御さん方と似たような心理なのかな……?
「ただ、本当にその名前だったのかは分からないんだよ。人づてからだし……。セントポーリアにはその名が伝わってないみたいだしね」
「その方は国を捨てたとまで言われていますからね」
そうなのか。
いや、そうだった気がする。
「でも……、顔がそっくりなのがますます気になるな~。神さまって実は昔、人間だったって事?」
「それは違いますよ。神と人間はその成り立ちからして違います。神は自然界より生まれ、人間は神からその形……、魂を与えられた者とされています」
おおっ!?
神話の世界だ。
でも、絵本よりも恭哉兄ちゃんの言葉の方がずっと分かりやすい。
「そのために、人間はその力の一部を魔法という形で行使することができます。特に……、王族ともなると、その力は大きいようですね」
「ふ~ん。なんでだろう? 神様が王族中心に力を与えたってこと?」
だから、魔力が強くなるのかな?
「人間に魂を与えたとされる神……、これを『祖神』というのですが、魔界人の多くはその『祖神』の影響を受けているとされます。そして、王族は特にそれが顕著だそうです」
「祖神?」
耳慣れない単語が出てきた。
「自分の力の祖となる神のことです。祖神の影響を受けると、顔や性格、力の質など様々な点が似てくると言われます。恐らく、栞さんが言う聖女がこの女神に似ているというのもそう言うことからでしょう」
「……なんか、難しい話だね」
「そうですね。それに、単なる偶然かもしれませんよ。世の中、似たような方はいらっしゃいますから。ただ、私はそう信じています」
それは大神官として当然の答えなのだろう。
「それに……、この女神はどことなく栞さんにも似ていらっしゃいますね」
「やだな~。わたし、こんな、美人さんじゃないよ~」
そう言いながらも、実は自分でもそんな気がしていた。
以前、あの聖女の絵を見た時に感じた感覚。
それを、今も、感じているのだ。
確かに、瞳や髪の色とかは全然違うし、この女神様の方が全体的に整っている印象がある。
けれど……、何故だか自分に似ているような気がするんだ。
これって自意識過剰な考えかな?
「でも……、神様なのに羽が黒いんだね。羽って白とか金なイメージが強いんだけど」
「人間界の絵画では、そんな印象を受けますね。ただ、魔界ではほとんどの神がこのように黒い御羽をお持ちになっています。白い御羽は創造神とされるアウェクエアのみ。後は大陸神の御羽が赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の御羽をそれぞれお持ちです。それ以外の神が黒ですね」
「? 赤橙黄緑青藍紫なら7色だから6大陸の数と合わないんじゃないの?」
それは虹の色と同じだから七色だよね?
「文献によると、古には聖なる大陸……、というのが存在したようなのです。そしてその属性は『闇』だったとされています」
「闇!?」
やはりあったのか。
それもずっと昔に。
でも……。
「聖なる大陸なのに闇……って……変」
なんとなく「闇」って、黒魔術とか呪われた魔法とかそんな印象があるのだ。
「闇が穢れたものという認識があればそう考えてしまうのも無理ならぬことですね。しかし、闇は何者にも染まらぬ純粋なもの。そういう意味では魔界では人間界ほど毛嫌いはされていないのです」
「人間界との違いが多いね」
「全く違う価値観ですからね。私も人間界の知識に慣れるまでは苦労しましたよ」
「でも、それなら黒も納得。純粋な色ってことでこの羽か~」
そうやって言われると、違和感も拭い去ってしまうのが不思議だと思う。
宗教とかはよく分からないけれど、説明してくれたのが、恭哉兄ちゃんだからかな?
うん。
この女神様には黒い羽も似合っている気がしてきた。
人間界にいたカラスの黒い翼も、よく見るとツヤツヤして綺麗ではあるからね。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




