長い一日の終わり
「まあ、こうなりますよね」
どこか呑気な大神官の声。
まるで初老の人間が、縁側でお茶をすすりながら口にするような、のんびりとした口調だった。
それでもしっかりと神官たちの勢いから、ぼんやりしたままの高田を隠している。
大神官は大きく、高田は小柄なため、その外套にすっぽりと収まっていた。
あの大きさ、羨ましいな。
「ベオグラ! 説明! 簡潔に!」
神官たちの接近を若宮が両手を広げて止めながら叫んだ。
神官たちはその制止している相手が、汚れていながらもこの国の王女殿下と分かっているため、それ以上強引なことはできない。
それでも、神官たちのギラギラした目は嫌なのか、彼女は彼らを見ないようにしているようだが。
あの元「青羽の神官」の瞳はもっとどぎつかったぞと言ってやれば、彼女はどんな顔をするだろうか?
「神降ろしをできる神女はこの国でもかなり希少です。そして、魂としては上位を越える聖位。神のご加護が強い人間でもあります。妻にできるなら神官としては理想的でしょう。自分の魂も浄化されますから」
「話、飛びすぎ!!」
若宮がそう叫びたくなるのも分かる。
「しかも意識だけ降臨させた女神が『名神』の中でも有名な方。これは魂が聖位の上、穢れもないことを意味します。何より……、あそこまで全体だけではなく、顔の表情までもしっかり表現できるほどということは、その身体自体も穢れがない証明でもありますので……」
「ああ、なるほど……。穢れなき魂、心、そんでもって身体。チェリー神官たちには本当に理想的なのか」
「この国、変態しかいねえ!!」
我慢できずに叫んでしまった。
「くぅ! 悔しいけど、笹さんの言葉を否定できない!」
ちらりと大神官を見ながら、若宮はそんなことを言った。
何されたんだ?
そして、視線を向けられた大神官は微笑んでいる。
本当に……、何、されたんだ?
「で、高田を戻す方法は? 神官たちが触りたがっているのと関係あるの?」
「今は、その魂が半分ほど抜けている状態なので……、ああ、今回は死んでいるわけではないので大丈夫ですよ。神の意識が降臨する分だけ、少し別の場所に移動しているだけです。受肉だと完全に抜けてしまうので注意が必要ですけれど」
微笑みながら、さらりと言われた言葉には突っ込みどころしかない。
「なんで、毎回、そんな大事なことを後から言うんですか!?」
「『今回は』って何!? 高田、死んだことがあるの!?」
オレと若宮が同時に突っ込む。
「今は魂が、現世から少しずれているだけなので、ある程度の刺激を与えれば、戻りますよ。ただ、名神の意識を降臨させてしまったので、抜けた量も少し多いようですね。少し触れたぐらいでは戻らないかもしれません」
「良し、笹さん! 高田の胸を鷲掴め! こう……、わっしりと!」
「阿呆か!!」
王女がとんでもないことを言ってんじゃねえ!!
そして、高田に「鷲掴み」といえるほど大きなモノはない。
「じゃあ、キスをぶちかませ!? ありえないほどの効果音が出るぐらいのやつ!」
「阿呆だった!?」
「まあ、下手な神官に任せるよりは……、栞さんが信用している九十九さんが一番、適任ですよね」
そう言って、大神官はオレと高田に触れた。
「あ」
若宮のそんな声が聞こえたのを最後に……、オレたちは、あの神殿通りまで飛ばされたのだった。
****
高田たちの姿が消えたことが分かると、神官たちは波が引くように去った。
あんたたちのその分かりやすい行動は、大神官と、仮にもこの国の王女を前に、不敬だと思わないのか!?
だが、それだけ「聖女」という存在が魅力的なのだろう。
あんたたちは、あの少女のことを何も知らないくせに。
「なんで、こうなると分かっていて、高田を巻き込んだの?」
私はベオグラに詰め寄る。
「栞さんの能力確認と……、穏便な『魂導』のためでしょうか」
「……ってことは、ベオグラは高田が『神降ろし』をできることは知っていたわけだ」
「これまでの状況と、少し前に九十九さんからもそれを思わせるような相談を受けましたから」
「……笹さんが……? 何気に笹さんってかなり有能な男よね」
あんなメイクと見事な女装技術まで持っているとは思わなかった。
もうちょっと年を重ねたら、流石に女装は難しいかもだけど……。
「で、穏便な『魂導』って?」
「あの状況で、私一人が魂を送れば、それは力尽くとなります」
「祓い給え、浄め給え?」
こう「大麻」を振るうような仕草をしてみる。
「いえ、あの器を完全に破壊して、出てきた魂をこの組紐でさらにきゅっと縛った上で魂を粉砕するつもりでした」
ベオグラは、繭のような組紐を回収しながら、拳をぎゅっと握る。
その仕草に少し「あれ? 」と思った。
「まさか、物理ってこと!?」
「法力使いや魔法使いはその力が強大なほど、物理を伴う攻撃に弱い方が多いですから。今回のようにまともに身体を動かしたこともない相手にはかなり有効ですよ」
まさかの武闘派発言。
ちょっと待って。
私、もしかして、この男のことを本当に全然知らない!?
「どうしました?」
「いや、私、ベオグラのこと、思ったより知らないと……、微妙にショックを受けている」
ポロリと本音が零れ落ちる。
「これからいくらでも知ることができますよ」
「でも……」
「人生は長いのですから、お互いにゆっくり確認していきましょう。姫のことを、私ももっと知りたいですから」
ああ、うん。
この男に勝てる気はしない。
「そうね。あと100年は一緒にいるのだもんね」
そう言って……、私は、ベオグラにもたれかかる。
「100年……。それは楽しそうですね」
そう言いながら、ベオグラは私を抱え上げた。
「ちょっ!?」
神官がいなくなったとは言っても、ここは城外。
誰が見ているか分からないのに!
「お疲れでしょう、姫。貴女が無事で、本当に良かった」
それでも、彼が嬉しそうに笑うから、私は毒気を抜かれてしまう。
「……そうね。疲れたわ。だから……、このまま部屋まで送ってね」
「はい、分かりました。でも、送るだけですよ」
「当然でしょ!?」
慌てる私に、動じない男。
ああ、この男には本当に敵わない。
****
「ぶ、物体移動!?」
オレが移動魔法を使った覚えがないのだから……、大神官に吹っ飛ばされたことは間違いないだろう。
しかも……、法力ではなく魔法だった気がする。
今度、教えて貰えないだろうか?
これっていろいろな場面で結構、使えそうだ。
そう思いながら、例の壁を作った。
「……ん?」
しかし、なんで、大神官がこの場所を知ってるんだ?
これは偶然か?
いや、「見習神官」たちを回収に来たかもしれん。
でも、若宮の話では既に誰もいなかったらしいよな?
そして、大神官には怒られるから、アイツ自身、伝えてもいないはずだったが?
オレが考え込んでいると……。
「探せ~!」
「聖女、聖女、聖女!」
「聖女に触れる機会などそう多くはありません。あの女性、独り占めはよくない!!」
「どこだ! どこに飛ばされた!?」
「くうっ! 情報が少なすぎる!」
「探せ、探せ~!」
薄壁の向こうから……、鬼気迫るような声が聞こえてきた。
さっきのお祭り騒ぎどころじゃねえ。
なんだ?
これ、中世の魔女裁判ってやつか?
あの時、押し寄せた神官たちは「見習神官」以外もかなりいた。
着ている服から判断する限り、「正神官」も混ざっていた気がする。
あんな奴らの前に、高田を差し出すことなんかできるものか。
しかし、この状態の高田を、オレはどこかで見たことがある気がするんだよな。
あれは……、どこだったか?
刺激……、ねえ……。
大神官が軽く触れたぐらいじゃ、戻ってない。
そうなると、触れる以上のことが必要……ってことか。
だからと言って、若宮が言った阿呆なことは実行する気になれない。
オレは、自分の姿をいつもの……と言っても、黒髪のウィッグは被る必要はある。
地毛は少し伸びてきた。
ウィッグを被りやすいようにもう少し短めにしなければ。
ついでに、高田も服とカラーレンズ以外は元に戻す。
流石に人のレンズを外すのは治癒魔法が使えても怖い。
治せるからって壊しても良いわけではないのだ。
目元だけ気を付けて、メイク落としで結構、顔を撫でたのだが、それでも無反応。
この状態は……一体、いつまで続くのだろうか。
でも……それで思い出した。
この高田は……、人間界の……温泉で見たことがある。
あの時は「神降ろし」をしたとは考えなかった。
知識がなかったこともあるが、あの場所が人間界だったから。
だが……、人間界でも、もし、「神降ろし」ができたなら?
それも、大神官の手を借りず、自力で。
確かにあの時も……多少の刺激を与えたところで正気に返らなかったからな。
バスタオル一枚で抱き締める以上の刺激を与える……って無理だろう。
でも、あの状況と本当に同じだと言うのなら、話は簡単だとも思った。
眠らせて、自然に起きるまで待てば良い。
だが……、この場所は賑やかすぎる。
それに神官たちの領域だ。
この状況だと、見つかってしまえば、何をどこまでされるか分からない。
姿を戻しても、感じられる「体内魔気」とかで判断できるやつだっているだろう。
外見ではなく、高田自身が目的ならば、姿形の変化に意味はない。
それにしても、神官たちって……かなりストレスを抱えてるんだな。
そのことに少しばかり、同情してしまう。
さっきから、すっげ~言葉がいろいろ聞こえてくるんだ。
しかも中には、日本で言う放送禁止用語に近い言葉を叫んでいるとんでもないヤツもいる。
欲求不満が溜まりすぎているようだ。
……大丈夫か? この国。
変態しかいないことはよく分かるが……。
結局何もすることなく、オレは城の通用口まで飛び、高田を抱えたまま、部屋に戻ることに見事、成功した。
後から、若宮に「このへたれ! 」と叫ばれることになるが、そんなところで「勇者」になっても仕方がないだろう?
こうして……、法力国家を襲った、とても長い一日は終わったのである。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




