この魂に導きを
「私一人では、彼を導くことはできません。巻き込んでしまうことは心苦しいのですが、貴女の力が必要なのです」
「は、はえ!?」
突然のご指名に、高田はかなり変妙な返答をする。
「それは『はい』なの? 『いいえ』なの?」
若宮が難しい顔で高田に言った。
「大神官様……、何故、高田……なのですか?」
オレもその辺り、ちょっと納得できない。
「私、一人では力技となってしまいます。ですが、栞さんなら彼自身が納得できる形に収められるのではないかと」
「私じゃダメなの?」
「はい」
若宮の申し出を即、拒否する大神官。
そのことが不満だったのか、若宮は大神官の足を踏むが、ビクともしない。
高田を見ると、眉を思いっきり下げていた。
嫌というよりも……、不安な顔つきになっている。
「高田を……、あまり、表に出したくはないのですが……」
そのために変装に加え、化粧までしてやったのだ。
「あ~、笹さん。今のキミたち、見ても分からないわ。二人をよく知っている私でも二度見するレベルの変装。それに……、これだけ雨が降ってるから、多少の誤魔化しはできると思うのよ。あの手配書とも違いすぎるしね」
そこじゃねえ。
単純に目立たせたくないだけ。
オレはこれ以上、余計な敵を増やしたくないのだ。
周りを見た。
周囲の神官たちは祈りを捧げ、あれだけの騒ぎが嘘のように沈黙し、この場を見護っている。
これだけの人間の前で……、変装しているからと言っても、余計なことを考えるやつがいないとは限らないのだ。
「九十九……。わたしは、大丈夫だよ」
高田が、オレのガウンを軽く引っ張ってそう言った。
嘘つけ。
すっげ~不安な顔をしているのに。
「わたしは、何をすれば良いですか?」
それでも、彼女は大神官に尋ねる。
この女は本当に、オレの気持ちを考えない。
「笹さん、諦めて」
「分かってるよ。こいつが一度決めたら……、絶対に退かない」
それが分かっているから、嫌なのだ。
「九十九さん、すみません。栞さんをお借りします」
「私の許可は?」
「いらないでしょう?」
「要るわよ! 超! 重要!!」
「大神官さま、王女殿下は無視してくださって結構ですので」
高田は、叫ぶ若宮に対して、さらりと酷いことを言う。
「おいこら! 親友!」
「邪魔しないで、親友」
にこやかに……、高田は若宮に言う。
それを見て、若宮も流石に押し黙った。
覚悟を決めた笑顔。
そんな言葉が頭を通り過ぎる。
「栞さんは、聖歌時の聖歌を覚えていますか?」
「聖歌時の……? どれのことでしょうか?」
聖歌時……、お昼を告げる歌声は三種類ある。
「『この魂に導きを』です」
「ああ、はい。大丈夫です」
「では、それを歌っていただけますか?」
「ま、まさかの一人アカペラ!?」
若宮がそう叫ぶ。
そう聞くと、一気に疲れが出るのは何故だろうか?
「……わたし、歌はうまくないですよ?」
「大丈夫です。大事なのは気持ちなのですから」
「気持ち……?」
そうして……高田は、組紐で拘束された少年の前に立つ。
「まさか……、魔法も碌に使えない娘を引き出してくるとは……。ああ、大神官は馬鹿なんだね。そうは思わないかい?」
「えっと……最初の音は……」
「……って聞けよ!」
「ごめんなさい。ちょっと黙っていてくれると助かります」
高田は節をとって、間違えないように何度も繰り返している。
確かにそんな確認の時に邪魔をされたくはないだろう。
だが、扱いとしては酷い。
同情はしないけど。
「いきます!」
高田は、いつものように気合を入れて、最初の一音を紡ぐ。
『我らが神よ』
彼女は顔を上げて、ゆっくりと聞き覚えがある歌を歌いだした。
それは、雨の中だと言うのに、はっきりと聞こえる声だった。
『我が祈りを お聞き届けください』
そして、それに合わせるように大神官も歌いだす。
耳慣れた聖歌の女声と男声の二重唱が、法力国家の王城前で響き始める。
すると、弾かれたように……、周囲の神官たちも、声を上げだした。
人は誰もが何かを捜し 誰もが行き場を見失う
だが どんな時も決して忘れてはいけない
どんなに迷い悩んでも 自分だけは見失わないように
自分を知る者こそ 神はその尊き御手を差し伸べる
確たる自分を持つ者こそ その魂は導かれる
ああ 我らが神よ
我が祈りを 我が心を 我が声を お聞き届け下さい
我らが願うのは ただ一つ
『この魂に導きを!』
多くの人間たちの声が重なり、ピタリと止まる。
指揮者がいないと言うのに、その声たちは綺麗に切れた。
この場にいたのは聖歌隊ばかりではないだろうに。
その聖歌が終わったと同時に……、雨雲が裂け、天から彗星のように、光が高田に向かって落ちる。
そして……、光を纏ったまま、彼女の身体がそのまま倒れた。
「あ……」
そんな光景は、本来なら、慌てるべきところだろう。
だが、オレの心は何故だか、妙に落ち着いていた。
少しの間をおいて、ゆっくりと、光に包まれた高田が起き上がる。
オレはその神々しくも眩しい光の中に、高田以外の誰かの姿が視える気がした。
「じゅ……、受肉か? そんな……、神女の素養もない、ただの人間の女に?」
少年は呆然と呟いた。
そこには先ほどまでの荒々しさは全く感じられない。
「いいえ」
大神官は静かに否定する。
「栞さんにそんな無茶はさせられません。これは受肉ではなく、意識だけの降臨です」
「意識だけの……? まさか、そんなことが……?」
「勿論、誰でもできるわけではありません。ですが……、栞さんは、非常に条件があっていました」
光に包まれた濃藍の髪の少女の背後には、黒い翼を持ち、金色の長く美しい髪と橙色に光り輝く瞳を持つ女性の姿があった。
その左手には叡智の書「マドズィーウ」を持ち、右手は全ての人間たちを導くために何も持たないとされる女神。
「導きの女神……ディアグツォープ……?」
少年は信じられないものを見るような瞳で、その女神を見つめる。
女神は何も言わず、その口元に柔らかな微笑みを浮かべて、少年に右手を差し出した。
何かに操られるように……、少年は、迷うことなく自由になっている自身の右手を差し伸べる。
そして……。
周囲の神官たちから歓声が上がった。
女神はその右手だけで、迷える魂を見つけ出し、引き寄せていく。
そのたびに、少しずつ、その造り物の身体から、何かを失うかのように崩れていった。
やがて……、その身体から、魂が全て引き出された時、その場には組紐だけが不自然に残される。
その傍には光り輝く女神と……、大神官と少しだけ似た雰囲気を持つ半透明の青年の姿が視えた。
彼は、大神官を見、王女を見、さらに……、ぼんやりとした表情の高田を見た後で、女神に向かって、軽く頷いた。
オレンジ色の瞳を持つ女神は満足そうにその目を細め、青年の手を引き、天に向かっていく。
その光景を……、オレはどこか、現実味が湧かないまま見つめるしかなかった。
それはほんの一瞬の出来事だったのかもしれない。
だけど……、オレにはとても長く感じられた。
「あ……?」
なんだろう……。
先ほど雨は止んだというのに……、雫が手の上に落ちた。
だが、仰ぎ見ても、空はいつの間にか光が満ちている。
雫は……、オレの瞳から落ちていたのだ。
何故か、この涙はとめどなく溢れている。
「なんだ……? これ……」
気が付くと、周囲にも同じ現象が起こっていた。
見守っていた他の神官たちや、若宮にも。
ただ……、大神官と高田だけは特に変化が見当たらなかった。
いや、高田はまだぼんやりしていて、心がここにないようにも見える。
「導きの女神……。やはり、貴女、自らがお見えになりましたか……」
大神官は、天を見たまま、そう呟いた。
「彼の魂は……、導かれた……。一度、拒否した聖霊界の扉を開くことを許されたのですね」
「べ、ベオグラ……」
若宮が涙をこぼしたまま、大神官に近づく。
「ああ、申し訳ありません。降臨は落ち着いたので、姫のお顔についてはすぐに戻りますよ。ただ……、栞さんの方は……」
そこで、大神官は考え込む。
「どうやって戻しましょうか?」
「「は? 」」
涙を零したままのオレと若宮の声が重なる。
「いえいえ、戻す方法は勿論、分かっています。ただこの状況では……」
大神官が珍しく言い淀む。
そして、その直後。
「だ、大神官様! その麗しき『聖女』を戻す役目は是非、私めに!」
「いやいや、その愛らしき『聖女』は私の手で戻して差し上げましょう」
「大神官様! 穢れなき『聖女』に触れるチャンスを!」
「あの素晴らしき聖歌をもう一度!」
「大神官様! その神々しき『聖女』は何者なのですか!?」
怒涛のように、それまで黙っていた神官たちが押し寄せてきたのだった。
珍しく主人公が主人公らしい話。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




