神に選ばれなかったから
「バラバラになっちゃえ~!」
そう言って、ほとんど拘束された状態の少年は、それでも恭哉兄ちゃんに向かって右手を振り下ろした。
ところが……、一瞬、恭哉兄ちゃんの髪が激しく踊っただけで、恭哉兄ちゃんは涼しげな顔をしていた。
「あ、あれ……?」
少年の方が信じられないものを見ているような顔になった。
「じゃ、じゃあ……、今度は火だ! 蒸し焼きになっちゃえ!!」
そう言って、炎を恭哉兄ちゃんに向かって放つ。
しかし、これも恭哉兄ちゃんに当たる手前ぐらいで、フッと消失した。
恭哉兄ちゃんは動いた様子も、何か詠唱した様子もない。
本当に平然と立っているだけだった。
「この程度では……、まだまだ……」
そう言って恭哉兄ちゃんは首を振った。
「お、お前! 何をした!? そんなことできるなんてボクは知らないぞ!!」
彼は指差しながら、腕を振り回す。
その様はまるで駄々っ子のようだった。
そして、その右手からは、恭哉兄ちゃんに向かって無差別に、魔法のようなものが放たれていく。
炎、氷、水……。
それでも、恭哉兄ちゃんには全く届かない。
そこには……、圧倒的な力の差があった。
「なんでだよ! なんで当たらないんだよ!? 一発でも当たればさっきみたいに黒焦げにできるのに!!」
悔し気に叫ぶその姿は、駄々をこねて、もがいている子どもにしか見えない。
だけど、彼のそんな姿を前にしても、わたしたちはただ、対峙する二人を見ていることしかできない。
同情するには……、彼がやったことはあまりに大きすぎるのだ。
「なんでだよ、なんで、お前ばっかり……」
そう言って、彼は拳を握りしめる。
「なんでだよ、なんでボクばっかり……」
もし、本当に彼が恭哉兄ちゃんの双子の兄弟で、産まれることすらできなかったということを信じるのなら……、その恨みをぶつける対象として、生きている恭哉兄ちゃんを選ぶのは分からなくもない。
だけどそこで……、ワカを傷つけたり、関係ない人たちを巻き込んだりする理由までは理解できなかった。
「そんなことをしても何もならないのに……」
わたしはポツリと呟いた。
「ホントにね。ベオグラを殺したって、今更、あのクソガキがベオグラの代わりになれるわけがないじゃない。既に、違う人間なんだから……」
わたしの言葉を受け、どこか冷めたようにワカは言った。
この世に生を受けた恭哉兄ちゃんと、産まれることすらできなかったあの少年とはスタートからして違う。
「それに……、あの身体だって……」
彼の言うことを信じるのなら、どこかの誰かから借りただけの仮初めのモノ。
このまま、あの状態を継続させることなんて恐らく不可能だとわたしは思う。
「肉体と魂は神の手により固く結びつけられているモノ。その造られた身体は、本来の貴方の魂が収まる器でもありません。そのままでは、身体も、貴方も滅してしまいますよ」
恭哉兄ちゃんはわたしの心を読んだかのようなタイミングで、そんなことを口にした。
「え……?」
呆然と……、少年は顔を上げる。
「流石に21年の想いは大きかったようですね。魂としても不完全な状態で、その身体をそこまで意のままに操ることは奇跡に近いでしょう。余程……、貴方の私に対する思念というものが強かったと言うことでしょうか」
あの少年から事情を聞いたわけでもないのに、恭哉兄ちゃんは気付いていた。
そして、断定もしている。
そのことが……、彼の言葉を裏付けているような気がした。
そして、恭哉兄ちゃんにしては珍しく、哀しそうに瞳を伏せたように見えたのは気のせいだっただろうか?
「けれど……、残念ながらその身体と、貴方は何の繋がりもない。肉体から生命力を得られない以上、魂自身の精神力のみで動いているような状態なのです」
「そもそも……、アレ、人間の身体じゃねえもんな」
恭哉兄ちゃんの言葉を聞いて、九十九もそんなことを言った。
人間にしか見えないのに、人間じゃないってど~ゆ~ことなのだろう?
「加えて……、あれほどの力を行使してしまった。ご自分でもお分かりでしょう。その状態のままでいることが不可能ということは……」
「だけど、それでもボクは! お前に復讐したかったんだ! ボクが得るはずのモノを全て奪ったお前が!!」
「そのために……、他者を巻き込むことを承知で?」
「当たり前だ! ボクは、ボクにはその権利がある!!」
「ありませんよ」
恭哉兄ちゃん……、いや、大神官は、きっぱりと彼の「我が儘」を否定する。
「人間を裁くことなど、本来は神の領域。その神に代わり人を裁こうなどというのはあまりにも烏滸がましい行為です。それも全く関係のない第三者の人間たちを巻き込むなど愚かとしか言いようがありませんね」
珍しくきつい言い方だった。
それだけ、あの人が怒っているということだろう。
「神だって? 神はボクを選ばなかった。神が選ばないなら、生き残るためにボク自身が選ぶしかないじゃないか!」
それは……、本当に身勝手な話。
でも、わたしには誰かに重なって見えた。
自分が生きるために、他者を利用する姿が……。
だが、大神官は悠然と微笑む。
「それでも……、神は貴方の存在をお許し下さった」
「は……?」
大神官の言葉に、少年が訝し気な顔をする。
「本来、生を受けることのできなかった魂は、神のその御手により、聖霊界へと導かれるもの。その導きに反すれば自分の意思とは無関係に彷徨うしかありません」
「そうなの?」
わたしはすぐ傍にいるワカに聞いた。
「まあ、流産した胎児にも魂はあるとこの国では考えられているからね。日本にも水子供養の話はあるし。基本的に死んだ魂は、一部の例外を除いて、聖霊界に向かうはずだから……、聖霊界に行けなければ、魔界で迷っていることになるんじゃないの?」
「一部の例外って?」
「生前の功績で神様に好かれちゃった人間。具体的には『聖女』とか『聖人』とか呼ばれている人たち」
それに該当する人に、一人だけ心当たりがある。
「魔界を救った人とか?」
「まあ、あの聖女が聖神界に行ってなければ、誰が行くのか? ってぐらいの話だけどね。」
「そうなのか……」
あの人は……、聖霊界に行けなかったのか。
「その辺も本当に記憶がないのね。『魔界を救った聖女』はかなり有名で、子供の頃の絵本に必ず読まれるぐらいなのに」
「ああ、こいつ……、聖女の話が苦手みたいなんだよ。読み始めて数ページで本を閉じるくらい」
「……本が大好きな高田にしては珍しい話ね」
「うん。なんか……あの聖女の物語って少し苦手なんだよね」
正しくは……、どの本を読んでも、何故か「何か違う」という思いがあるからだ。
その理由はよく分からない。
でも、なんとなく伝説が綺麗すぎて、聖女の人間味が感じられないのはよく分かる。
昔の話だというのに、何故か気持ちが悪くなってきて、それ以上、読み続けられないのだ。
「貴方は違います。宛もなく彷徨うだけの魂ではなく、その意思を明確に持ち、それだけの力も与えられている。それもまた神のご意思ではないのでしょうか?」
「そんなのお前の綺麗事だ!」
「はい、おっしゃるとおりです」
「お前なんかにボクの気持ちが分かるものか!!周りに愛され望まれ産まれた人間に何が!!」
「貴方も私の気持ちなど分からないでしょう? 人間が他人の心を全て知ることなどできるはずがないのですから」
恭哉兄ちゃんは……、神さまを呪っている時期があると言っていた。
そんな人が、大神官として、神を語らねばならない。
そこにどれだけの感情が渦巻いているのだろう?
でも、あの少年はそれすらも分からないのだ。
「しかし……、貴方は人間としても、魂としても、禁足の場に踏み入れてしまいました。それでも、私は神官の端くれとして……、理から外れたものをあるべき場所へと導かねばなりません」
「お前が? ボクを? そんなこと、できるはずがない! ボクをなめるな!」
大神官の言葉に少年が反駁する。
だが……。
「はい。私一人では無理です。ですから……」
大神官は振り向き、とんでもないことを口にした。
「栞さん、お手伝いをお願いできませんか?」
ここまでお読みいただきありがとうございました。




