友人としてなら良いけれど
「お前らの中学に三年で『まつばし』ってのがいるだろう。弓道部だったヤツ」
俺は気になっていたことを彼女に聞いてみた。
「弓道部……、あんまり他人の部活に詳しくないけど、確か『まつばし』じゃなくて、『まつばせ』くんならいた気がする」
首を捻りながらも彼女は答える。
「珍しい読み方だな……。まあ、俺も字面でしか見た記憶がないから、たぶん、そいつだと思う」
「……で、その彼がどうかしたの?」
「さっき受験会場で見かけたけど、女連れだった」
その女が気になったのだ。
そして、「気になる」と言っても、別に邪な意味ではない。
「まあ、彼女がいる人だからね。別におかしくはないと思うけど……。それに来島だって、よくゲームセンターにいろんな女の子を連れて来ていたじゃないか」
「俺のことはどうでも良いんだよ。ソイツが以前、弓道場で見かけたときと比べて、やたら生気がなかったのが気になってな。受験のため徹夜して疲れてますって感じでもなさそうだったし」
いくら何でも、ほんの数カ月であそこまで疲労するとは思えない。
年寄ならともかく、同年代。
つまり、まだ若いのだ。
「ああ、そうか。来島も弓道やってたっけ……」
ぽつりと思い出したかのように小柄な女は呟いた。
こいつ……、忘れていやがったな。
「そうだね……。松橋くんは弓道部も引退して、生徒会も無事任期満了になったのに、やたら疲れた顔しているって一時期噂になっていた気がするな~。ワカが彼女に生命力を吸われているんじゃないかって言ってた覚えがあるよ」
「……生命力……ねぇ……」
あれは噂になってもおかしくはないだろう。
それだけ、先ほど受験会場で見かけたあの男の状態は尋常じゃなかったのだ。
なまじ、弓道の腕がよく、印象強かったせいか、そのギャップが激しく、別人かと思ったぐらいだったから。
加えて、連れている女は逆に血色が良かった。
あの若宮が、「生命力を吸われている」と揶揄したくなるのも分かる気がする。
普通ならば、単純に、若さから来る納まりが付かないほど激しい性衝動に振り回されていると考えるのが自然だが……。
「まあ、他人の男女交際に口は出せないし、出さないほうが良いから周りの人たちも誰も何も言っていないんだと思う」
恐らく、周囲がそう結論付けているのだろう。
彼女は困ったようにそう言った。
「無難だな」
確かに、他人の恋愛沙汰なんかに首を突っ込んでも良いことはない。
「でも、来島でも人の体調を気遣ったりするんだね」
「お前は人のことをどんな目で見ているのだ? 見知らぬ他人のことなら正直、知ったこっちゃないが、少しでも認めた人間の様子があからさまに変化していると多少なりとも気にはなる」
正直、勿体ないと思ったのだ。
「ほほう。松橋くんのことは認めたってことなのか」
「ああ。あの男と……、階段の『階』の字に『上』の字の男は、お前らの学校でもダントツだと思う」
明らかに、他のヤツらとはレベルが違うと思った。
恐らくは、部活以外に練習もしていることだろう。
「階段の……、ああ、階上くんね。わたしは弓道に詳しくはないけど、そんなに上手いの?」
「中学生が大会で『皆中』させるだけでもすごいことなんだが……、あいつらは『射法八節』をしっかり身に付け、『残心』に至っては誰もが息を呑むほどの姿だった。弓道経験者であれで印象に残すなってのが無理だな」
目を閉じれば、今でも思い出せるほど、その場の空気を変えてしまう男たちだった。
もし、現代に「侍」と呼ばれるものがいたなら、それはこんな空気を纏っているだろうと思ってしまうぐらいには。
「言っている言葉のほとんどがよく分からないけど、要は、弓道の技術が凄いってこと?」
「……弓道は中てる技術を競うように見えるが、根幹は心身の鍛錬だ。先ほど言った二人は、その所作もしっかりしているってこと」
あまりにも要約しすぎている言葉に、俺は苦笑しながらも付け加えた。
「所作……、動きとかも綺麗ってこと? ああ、それなら分かる。彼らは素人目に見ても震えがくるほどだから……。特に矢を放った後も目を逸らすことができないほど静かで自然で綺麗なんだよね」
それを「残心」というのだが……。
だが、この女にそれを説明すると長くなりそうだからこれ以上、口にすることはやめた。
それにしても……、少し意外だった。
「弓道に興味がないんじゃなかったのか?」
この女は基本的に興味がある、なしがはっきりしている。
それでも……、ヤツらが矢を放つその姿を見たことがあったのか。
「詳しくはないし、あんなの自分で出来るとは思ってないよ。でも、弓道場は何回か見たことがある。部活の帰りとかにね。剣道とかと違って、弓道場は見えやすい場所にあるから」
「なんだったら俺がやるところでも見てみるか? 公営の弓道場なら月水金土日開いてるから、春休みでも見れたりするぞ」
「来島の~?」
露骨に眉を顰めやがったぞ、この女。
「喧嘩なら買ってやろうか?」
「いやいや、そ~ゆ~意味じゃなくて。彼女に誤解を招きかねないことはしたくないから、止めとくよ」
「俺に彼女? そんなものいないが?」
これまでにそんなものがいた覚えがない。
「彼女じゃないのにゲームセンターに案内するの?」
「一緒に行きたいって言われるから連れてきているだけだ」
正直、それだけで彼女面されても困る。
大体、彼女や彼女にしたいほどの女を、野郎どもが群がるゲーセンに連れてきてどうするんだか。
「それ、彼女候補なんじゃないの?」
「いや? そんな回りくどい手を使うような女に興味はない。もっとストレートな物言いの女のほうが俺は好みだな」
その上で、好き嫌いがはっきりしていればもっと良い。
「ストレートな物言い……、ワカみたいな?」
共通の知人だからか、そんなことを言った。
「勘弁してくれ。アイツのストレートは暴力的すぎて俺のようにナイーブな男心は粉砕されてしまう」
そして、あの女は時として、ひどく回りくどいのだ。
あれては、付き合う男はよほどの度量がないと苦労すると思う。
尤も……、目の前にいる女にしても、付き合う男は明らかに苦労することが約束されているのだが。
この「高田栞」という女は妙に鋭い時もあれば、頭を抱えたくなるほど鈍いこともある。
どっちが本質かといわれれば、どちらも彼女の本質なんだろう。
気付いて欲しいことに気付かず、隠したいことを暴き出すなんて、どれほど勝手な「嘘発見器」なんだか。
「来島も似たようなもんだと思うけど……。こうスッパリあっさりザックリ斬って捨てるような言動は治さないと、彼女は大変だと思うよ」
「だから、作らないんだよ。俺如きの言葉に振り回されるような女じゃ駄目なんだ。逆に振り回すぐらいじゃないと」
そんな女は限られているだろうけど。
「……なかなか難しい条件だね」
俺以上に難しそうな女はそう結論付けた。
「まあ、男友達と馬鹿やってるほうが楽しいってのもある。女はいろいろ面倒くさい。自分に干渉して欲しくないといいつつ、相手に対して過干渉なのが多い。勝手に他人の携帯覗くやつとかありえねえだろ?」
「中学生で携帯を持ってるとそんな苦労もあるのね」
「お前も高校行くんだから一つぐらい持ってみろよ」
何気なく言ってみただけだった。
でも、彼女は考え込む。
「……母子家庭ではそんな無理は言えないな」
そうだった。
こいつはその言動から忘れがちだが、何気に苦労人だったのだ。
「自分で稼げば? 高校に入ればバイトぐらい出来るだろ?。」
「母さん一人にはあまりしたくないんだよね。心配かけてばっかりだし」
「まあ無理は言わねえけど。携帯って言っても単に便利ツールなだけで、持っているから偉い、持ってないから悪いってわけでもねえし」
「ただ……、公衆電話を探す手間はなくなって良いよね。つい最近もちょっと探しちゃったよ」
携帯を持っている大人が減っているってことだろうな。
緊急時の連絡手段は携帯に勝てるものなんて俺には思いつかない。
そんなことを考えていると、別方向から声が聞こえた。
「来島~」
「おっと……。連れが呼んでる。じゃ、またな。……と、お互い受かったらよろしく。俺、英語科のほうだけど、今よりは会う確率増えるだろう」
「英語……。異国の言葉を好き好んで必要以上勉強したいという貴方に脱帽だよ。受かったら、よろしく」
そう言って、彼女は大きく手を振った。
どこか子どもみたいなヤツだといつ見ても思う。
俺と同年代のはずだが、その言動は時々幼い。
彼女の彼氏になる男はかなり苦労するのだろうな、とそう思わざるをえなかった。
この会話から暫く経った後、俺がその「彼氏」とやらを紹介されることになるのは、また別の話。
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