結界破り
「悪いが、万一のために後ろから支えるぞ」
そう言って、九十九は後ろから、わたしの両手に自分の両手を重ねる。
もしかして、傍から見れば、この状況って、抱きすくめられているように見えるのではないだろうか?
いや、今は女同士にしかみえないはずだ。
だから、問題は……、問題しかない!
「どうした?」
「大丈夫! 問題ないない!」
そう答えるしかなかった。
でも、確かにさっきみたいに吹っ飛ばされることもあるだろう。
だから、後ろから支えられていると安心はできる。
緊張はするけど……、大丈夫って思える。
緊張はしてしまうけど!
それに九十九は治癒魔法もできる。
最悪、御守りの使い方に失敗して、怪我をしても、それが致命傷でなければすぐに治癒してもらえる。
「前を見ろ。何があっても気を逸らすな」
「うん」
耳元に近い位置で、九十九の声がする。
「……頑張ってみる」
そう言った自分の声が、少しだけ震えている気もするが……、それは気のせいだ。
「行くよ!」
わたしは集中する。
神さまへの祈り方なんて知らないけれど、願うことなら、想うだけなら、今のわたしにだってできる!
水尾先輩の魔法を防御している時のように、わたしの中にある何かが少しずつ、左手首に向かって流れている気がした。
その時、法力が込められている大きな紅い石が一つ、勢いよく弾け飛んだ。
さらに、一つ、二つと石たちが弾け、さらにその中の一つが、わたしの後方まで飛んだのが見えた。
「痛っ!」
「九十九!?」
背後の九十九の声に思わず反応する。
「集中しろ。オレは大丈夫だ」
「う、うん」
そうだった。
集中、集中、集中!
壊れろ! 壊れろ!
邪魔しないで!
ワカの所に行かせて!
わたしがさらに願いを込めると、今度は小さな白い石たちが同時に破裂した。
「うわ!?」
その衝撃で手首に鈍い痛みが走った。
だけど……、それはすぐ消えていく。
九十九が治癒魔法を使ってくれたのだ。
なんで、わたしは痛いって言ってないのに分かったの?
「集中」
一言だけ九十九がそう言った。
「は、はい!」
わたしは向き直る。
銀色の鎖に残るのは、紅い法珠のみ。
これでだめなら……、いや、いける!
提案してくれた九十九と、作ってくれた楓夜兄ちゃんと、力を込めてくれた恭哉兄ちゃんたちを信じる!
わたしはわたし自身のことを信じられないけれど、彼らのことは信じられる!
結界、破れろ、破れろ、破れろ!
紅い法珠は、ゆっくりと一つずつ弾け飛んでいく。
ごめんなさい、恭哉兄ちゃん。
せっかく法力を込めてくれたのに。
でも、そのおかげで可能性が生まれた。
ごめんなさい、楓夜兄ちゃん。
せっかく作ってくれたものなのに。
一度はわたしの意思で手放してしまったのに、それでも、この手に返してくれてありがとう。
そして、九十九。
あなたには本当に感謝してもしきれない。
いつか……、わたしはあなたの助けになるから、それで許してね。
最後の一つが弾け飛んだ時……、目の前にあった圧力が消えた。
あれは……、恭哉兄ちゃんが最近、追加してくれたやつだ……、と、消えていく法力の欠片を、最後の一つを見送った。
「おおっ!?」
「き、奇跡だ!!」
周囲から沸き起こる歓声。
だけど……。
「まだです! 前を見て!!」
わたしがそう叫ぶと同時に、目の前から爆風が起こる。
神官たちが次々と吹き飛ばされる中……、わたしと九十九だけがその場に踏みとどまった。
「風属性相手になめた真似を……」
背後から九十九の冷えた声がする。
ちょっと怖くて後ろが向けない。
でも、雄也先輩の弟だから素質はあるよね、とよく分からないことを考えた。
何の素質かは分からないけど、なんとなくそう思ったのだ。
「ああ、さっきから結界に虫が纏わりついている気がしてたんだけど……、キミかあ……」
黒髪の少年はその動きを止めて、わたしに向き直る。
その足元には……、泥と別の何かで赤黒く染まった友人が転がっていた。
そのことにカッとなりかけたのだけど……、わたしの視界を隠すように、目の前に大きな背中が見えたことで、少しだけ頭が冷える。
「それと……? ああ、従者か。着飾ってるから分からなかったよ。なかなかいい恰好だね。よく似合ってるよ」
明かに挑発と思われるような言葉に、九十九は無言で応じた。
「ああ、これ? さっきまでは元気に動いていたけどね。キミたちに結界を破られちゃったから、つい、力加減を間違えてさ。でも、安心して。まだ生きてるから」
なんだろう……。
少年の一言、一言が妙に……、腹立たしく思える。
妙に感情を揺さぶられているような気がした。
「キミたちには初めまして……、かな。ボクはアルト。大神官の片割れだよ」
彼が、何を言っているのか分からない。
それが、わたしと九十九に共通する思いだったことだろう。
「えっとね。ケーナには既に説明したんだけど、ボクはベオグラーズの双子で、産まれることができなかった存在なんだ。母親のお腹で、ベオグラーズに吸収されちゃってね。それでも……、思念だけは残った。それで通じる?」
いや、さっぱり。
え?
わたしの理解力が悪いの?
「バニシングツインってやつか」
九十九が呟く。
ちょっと待て!
九十九はなんでそんな単語を知ってるの!?
英語が得意だから?
バニシング……って、消失?
消失点のことをバニシングポイントと言うって、透視図法を解説した本に載っていた気がする。
そして、ツインは双子?
つまり、消失双子? ……って、割とまんまなネーミングだ!!
「でも、バニシングツインが片割れに吸収? オレが知る限り……、母親の胎内に吸収されると聞いていたが……」
そして、何やら考え込んでいるし!!
あ~、もう!
こんな所はお兄さん、そっくりだよ!
今、考えるべきところはそこじゃないよね!?
「へえ、見た目よりも随分、博識だね。この現象にそんな名前があるんだ。でも、そんなことは何も問題じゃないんだ。どちらにしても、ボクが生まれてくることができなかったことに変わりはないからね」
わたしとしても、この少年が、バニシングツインでもバッティングスイングでもどうでも良いのだ。
ただ……、その少年には今すぐそこをどいて欲しい。
すぐに治癒魔法を使える九十九を連れて、ワカの所に行きたいのに。
「ああ、すっかり雨だ。雷撃魔法はこれだから面倒だね」
「雷撃魔法……?」
背を向けているのに、九十九が考え込んでいるのが、分かる。
「本当に神からの雷だと思った? 神官たちぐらいだよ。そんなことを信じてるのは。神が人間なんかに興味を持つはずがないのにね。ああ、婚儀は別だよ。神の栄養になるからね。婚儀、出産、死亡の三つは……」
栄養?
神の?
「魔法なら……、大神官猊下にだって防げるはずだ」
「普通の威力ならね。でも、ボクが増幅に増幅を重ねた魔法だ。それに完全なる奇襲。最初の一撃が決まれば、面白い様に転がったよ。雷の速さは悲鳴も上げる暇がないからね。奇襲にはもってこいだ」
「下種がっ!!」
吐き捨てるように九十九が言う。
「うん。知ってる。でも、生存競争ってそんなもんだろ? 一度目は手も足もなかったから負けちゃったけど、次は勝ったってだけさ。この国もそれを認めたから、結界も作動してないよ」
それは違う。
結界が働かないのは恐らく、彼に邪心がないからだろう。
確かに攻撃の意思はあるけれど、そこに悪意がないのだ。
これは、子供だからってことなのだろうか?
でも……、それだとわたしたちは不利だ。
こんなことをした彼に、悪意を持たずにはいられない。
だから、ワカも……それで負けたのだろう。
あんな状況で一人、この少年からの挑発を受け続けて……、敵意を抱かずにいられるはずがない。
「でも、よくこの結界を破れたね。高神官が七人がかりでも破れなかった代物なのに。ああ、大丈夫。高神官を含めた神官たちなら、さっき皆、まとめて一緒に吹っ飛ばしちゃったから。邪魔はされないよ。神官は本当に魔法に弱くて笑えるね」
少年の背後には城門があり、その奥に吹き飛ばされたと思われる人たちがいた。
色とりどりのカラフルな衣装。
あれ?
でも……?
「だけどさ~、それはここに倒れているケーナも似たようなもんなんだよね。法力国家に生まれたのに、法力の才がまったくないなんて本当に可哀そうだ。だから、ボクが支えてあげなくちゃ! 大丈夫! ボクは優しいから、ベオグラーズのことなんてすぐに忘れちゃうよ」
無邪気な言葉でストーカーの論理。
こんな子に……、ワカや恭哉兄ちゃんが……。
「分かりやすいね、シオリ。でもさ~、ボクにとってはキミが一番楽な相手なんだよ」
そう言って、九十九の背中越しだというのに、彼の表情がはっきりと視えてしまった気がした。
「左手首のシンショク。進ませちゃおうか?」
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