秤にかけて重いもの
自分の半分が魔界人だと知ってから、一体、どれだけ、無力を味わってきたのだろう。
魔界人なのに、魔法が思うように使えない自分。
巨大な魔力があるはずなのに、自分の意思で操れない自分。
それが、酷く悔しくて……、わたしは、九十九のように見えない壁に両手の拳を振り下ろした。
「高田!?」
打点が分からなかったので、中途半端な力になったと思う。
でも、そのおかげで見えない結界の場所は分かった。
何度も振り下ろすと、手は赤くなっていく。
でも、足りない。
届かない。
破れろ!
壊れろ!
そんな祈りを込めて叩きつける。
そんなわたしに合わせるかのように、雨はますますその激しさを増していく。
「馬鹿! やめろ!!」
「嫌だ!」
九十九が後ろから、わたしの手首を掴んで、上にあげる。
万歳を無理矢理させられる妙なポーズで止められた。
だが、ぞわぞわとした気配がわたしの拳に集まっていくので、治癒魔法を使ってくれているのだろう。
「離して!」
「落ち着け! それじゃあ、無理だ!」
「そんなの分かってるよ!」
だけど……、このまま、見ているだけなんてできるものか。
「でも、皆が言うように、わたしに膨大な魔力があるって言うなら、今、使わないで、いつ使うって言うの!?」
興奮のあまり、目から何か零れた気がする。
うん、これはさっきから激しく降っている雨の一部だろう。
でも……、今のわたしにはそれを拭うことができなかった。
九十九に両手首を拘束されたままだからだ。
単純な筋力では全然、わたしに勝ち目がないことも余計に悔しくなる。
濡れて滑りやすくなっている手首だというのに、全然、動かないことも。
「落ち着け」
「嫌だ!」
「手がないわけじゃない。……だから、オレの話を聞け」
拘束されているわたしよりも苦しそうな声が耳に届く。
でも、確かに彼は言った。
手がないわけじゃないって。
九十九が背後にいるからって、この至近距離で聞き間違えるとは思えない。
わたしは、大きく息を吸って、吐いて、深呼吸を繰り返す。
それを見て、九十九も、手首を握ったまま、わたしの腕を下ろしてくれた。
だが、事態はその間も動いていく。
「ああっ!?」
「王女殿下がっ!!」
神官たちのざわめきとともに、ワカが吹っ飛ばされたのを見た。
「ワカ!!」
それを見て、落ち着いてなんかいられない。
だが、九十九はわたしを逃がしはしない。
油断なく、両手首をさらにがっしりと握る。
「さっきのお前と一緒だ。まだ吹っ飛ばされただけだ。あれぐらいで死ぬようなヤツじゃない」
でも……、吹っ飛ばされて見えない壁に叩きつけられたワカは……、身体を起こすものの、あまり動かなかった。
わたしは九十九が護ってくれたけど……、ワカの護りは今、ないのだ。
だけど……、わたしの握られた両手首が少しだけ痛くなる。
彼だって、我慢しているのだと思う。
「九十九、大丈夫だから……。話を聞かせて。わたしに……、できることがある?」
「ある」
九十九は迷いなく、きっぱりと答える。
「じゃあ、教えて」
「……手はある。だが、オレはそれを選びたくねえ」
「どうして!?」
手があると言うのなら、それを選ばない理由が分からなかった。
「お前と若宮を秤に掛けたら、オレはお前の方がずっと重い」
不意に……、九十九のご両親の墓参りに付き添った日を思い出す。
頭に滝の水を食らったあの日。
あの時のように、水を大量に被った気がする。
手があるのに、九十九がすぐにそれを持ち出さなかった理由。
そんなの出し惜しみとかそんなものじゃないだろう。
彼の性格は基本的に全力を尽くす、だ。
そんな彼が口にしない理由なんてそう多くない。
「それは……、わたしの命がかかること?」
「それは、分からない。だが……、お前の命が秤に乗っかる可能性は高い」
三日後に死亡する……。
そんな言葉が頭の中に蘇って反響する。
それが、今、再び来たようなものだと思う。
ワタシはまだ死にたくないと、どこかで小さな童女が叫んだ声が聞こえた気もしたが、頭を振って、遠くに追いやる。
「お前の命と、あの二人。秤にかける価値はあるか?」
「あるに決まってんでしょ!」
あの二人はワカとあの少年……、ではなく、恐らくは恭哉兄ちゃんのことだ。
わたし一人分の命より、絶対にずっと重い!
「あなたの大切な幼馴染だったら、絶対に反対すると思うけど、わたしは自分だけを選べない」
「は?」
わたしの言葉に九十九が短く聞き返す。
「いや、こちらの話。それよりも、何をすれば良いか教えてくれる?」
「お、おう」
そう言って、彼はどこか納得いかないような声で、わたしの手首を解放してくれた。
そして……、ようやく少し離れたわたしを見て、ぎょっとした顔になる。
「九十九?」
「……あ~、うん。ちょっとこっちこい」
そう言って、彼はわたしの瞼に手を当てる。
そう言えば……、さっき感情のままにボロ泣きした後だったね。
九十九には背中を向けていたから気付いていなかったみたいだ。
「ありがとう」
「いや……、オレも悪い。ちょっと……、言い過ぎた」
「それより……、教えて? わたしにできることなら、なんでもするから」
「――――っ!」
そこで、九十九は何故か顔を逸らした。
「九十九? どうかした?」
「いや、大丈夫だ。うん、大丈夫だ」
九十九は確認するかのように何度か呟くと、わたしに向き直る。
……改めて見ると、やっぱり化粧が上手いなって思う。
彼は……、男性だよね?
いや、何度か張り付いていて今更、そんな疑問が湧くのもどうかと思うのだけど。
しかも、この雨の中、落ちない驚きの化粧品。
それだけでも人間界ならバカ売れしそうな気がした。
「で、どうするの?」
改めて尋ね直す。
そこで、九十九も表情を切り替えてくれた。
「お前のその手首。そこにある御守りに大神官が込めた護りの法力がある。それを使えば……、可能性があるかもしれん」
「これ……?」
わたしの左手首を見る。
楓夜兄ちゃんが造り、九十九がくれ、恭哉兄ちゃんがさらに法力を込めてくれた特別な「御守り」がそこにあった。
「ただ、本来護りとして使うヤツを、結界を破るために使用すれば……、今後、御守りとして機能しなくなる可能性がある。つまり……、お前の護りが一気に減ることになるわけだ」
「使い方は?」
「法力も魔法も基本は祈りだ」
「でも……、さっきは何も効果がなかったよ?」
さっき、わたしは結界を両手で殴った。
でも、ビクともしなかったのだ。
「それだけ多くの祈りと、集中力がいるってことだよ」
「うぬう……。あれでもまだまだ……、なのか」
「アミュレットに想いを込めてないのもあったのだろうけどな」
なるほど……。
これを使えば……、もしかしたら?
「現状、それが一番、可能性が高い。神官たちが法具を持ち出してはいるみたいだが、そのどれも、不発に終わってる」
九十九が、顎でその位置を見せる。
確かに、少し離れた位置で、まだ諦めていない神官たちは、その手に道具を握って、壁を叩いていた。
「お前が持っているのは、この国最高位の法力だ。そこらの法具はその石一粒で蹴散らせる。逆に言うと、それが駄目なら、こちら側からは打つ手なし……だ」
「よし!」
わたしは両拳を握って気合を入れる。
鉢巻があったら、この額に巻きたい気分だ。
「ああ、それと、一応、これも外しておくか」
そう言って、御守りに巻き付けてあった法力隠しのビーズのカバーも外した。
このカバーは、恭哉兄ちゃんに会う時以外は基本的にずっと、付けられていた。
そうしないと、他の神官たちからも、余計な嫉妬をいただくことがはっきりと分かっているから。
「……法力は……どうやら、大丈夫そうだな」
九十九がしっかりと確認してくれる。
わたしには分からないから、ありがたい。
「じゃあ、いっちょ、頑張りますか!」
視えない壁の向こうで、こちらに気付いていないワカと……、その少年に向かって、わたしはそう一方的に宣言したのだった。
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