全てを手にした男
私の目の前にいる子供は「紅い髪の男」に身体を貰ったという。
このガキが言うことを全て信じたとしても、普通、思念体に実体を与えるなんてことは簡単にできないだろう。
かなりの魔力や技術、法力などの特殊な能力がいるはずだ。
そして、卒業式の日や、温泉旅行中に高田にちょっかいを出した男ぐらいしか、そんなことができそうな男に心当たりはなかった。
あの男が法力を持っているとは思えないが、あれだけのことを起こしたことからも、その魔力は強そうだと思う。
ああ、そう言えば来島の髪も紅……、いや、アレは赤か。
うん、私の記憶から消去しておこう。
でも……、そいつらが高田ならともかく、私を狙う道理はないはずだ。
「その紅い髪の男はこう言ったんだ。『大神官に復讐を果たす気があるなら、力を貸す』ってね。ボクは迷いもなく飛びついたよ。当然だよね。ボクはこいつのことを心の底から大っ嫌いだからね」
「だけど、あんたの言うことを鵜呑みにするなら、殺したのはベオグラの母親なんじゃないの?」
生まれる前の出来事で、母親の意思に拠るものだというのなら、彼は関係ない気がする。
尤も、論理破綻している人間にまともな意見を言っても仕方ないとは思うけど。
「何を言うんだ。こいつも当然、同罪だよ。母親のお腹の中にいる時に、このボクから、その能力の全てを奪ったんだ」
「どういう……こと?」
「おかしいとは思ったことはないかい? たかが21歳にすぎない男がさ。あっという間に大神官の座までのぼりつめた。本来なら50年はかかるはずだろ? ケーナは、そのことに疑問は一度も持たなかったかい?」
「ないわ」
したり顔で問いかける子供に私は即答する。
「え?」
意外だったのだろう。
この子供はただでさえ大きな目をさらに大きくした。
「ベオグラはそれだけの努力をしてるもの。それを見てきた人間たちは誰もが、尊敬こそしても、疑うなんてことはないでしょう」
それはホントのこと。
確かに私は離れていた間のベオグラのことまでは知らないし、今も私が知らない面もあるのだろう。
未だに毎日、新しい発見があるのだ。
少し見ていただけで全て分かってしまうほど、底の浅い男とは思えない。
だけど、誰よりも努力して、誰よりも祈りを欠かさずにいるからこその法力なのだ。
そんな努力が報われないはずもない。
法力国家の王族として、そんなこと考える必要もないことだろう。
「へぇ~。随分、こいつを買ってたんだね~、ケーナは」
このクソガキ……。
わざと過去形を使いやがった。
確かに、ソレは黒い塊で、その生命反応すらない。
だけど……、だからって何もせずに諦めるものか。
「買っているのよ、悪い? 何でも良いから、そこをどいてくれない?」
「嫌だね。それに、こいつはもう既に手遅れだよ。ボクには分かる。生命反応はない。魂まで砕いちゃったかもね。ケーナはそれが分からないほど愚かじゃないだろ?」
「分かってるからそこをどけって言ってんのよ」
「嫌だから丁重に断ってるんじゃないか。それとも……、力尽くでどかす? ボクはそれでも良いよ。ケーナに負ける要素はないからね。圧倒的な力の差って言うのを感じなければ分からないなら、その身体にゆっくりと教えてあげよう。こいつの代わりにね」
そう言って、このガキは微笑んだ。
余裕の笑み……、人を馬鹿にしているクソガキ独特の笑みだ。
これだから、ガキは嫌いなんだ。
自分が優位だと分かった時のその態度と表情が……。
「直ぐに乗ってくると思ったけど……、やっぱり冷静だね。そ~ゆ~ところがボクは好きだな」
「お生憎。会ったばかりで悪いけど、私はあんたが大っ嫌い」
私は、はっきりと言い切った。
「なんで、そんなことを言うのさ? ボクはこいつと同じモノだよ」
「全然、違う」
「同じだよ。産まれたか、その前に消えたかの差ぐらいで」
「それって十分な違いだわ」
産まれたか、産まれることができなかったか。
それは、生存競争に負けただけの話だ。
そして、生物として、そのことは大きく違う。
「ケーナは『一卵性双生児』って知ってる? あれってさ~、稀に、片割れに取り込まれることがあるんだよ」
「一卵性双生児……?」
「そ。一卵性だから、全く同じ。遺伝子の全てが同一の存在。好みも力も大差がない。魂だってほとんど同じだよ。だから、吸収された。ボクはその残った部分を懸命に守って20年以上、力を溜め続けたんだ。だからさ。コイツのモノはボクが貰う権利があるとは思わない?」
一卵性双生児は細胞分裂を繰り返した過程で偶然できた存在……だっけ?
理科は得意じゃないけどそんな話を人間界で聞いたことがある。
遺伝子すら同じだから、一卵性双生児が犯罪を犯して、警察が容疑者を誤認するという探偵漫画を読んだこともあった。
「思わない。……ていうかあんた、馬鹿でしょ」
「なんだって?」
私の言葉に分かりやすくガキが眉間に皺を寄せた。
「双子だから……、同じ遺伝子だから『片割れのモノは自分のモノ』ですって? ちゃんちゃらおかしいわ。確かに、産まれる前は全く同じだけど、生を受けた時点で完全に別人になって違う人生を歩むのよ。そんなことも分からないなんて……。それで大神官と同じなんてどのツラ下げて言ってんだか」
「仕方ないじゃないか。ボクは産まれることが出来なかったんだから。それもコイツのせいで……」
「は~。……ったくこれ以上、疲れさせないでくれる? そんなの単にあんたが弱かっただけでしょ?産まれる以前の生存競争にすら勝てなかったんだから、無事産まれていたとしても、恐らく生きてはいけなかったでしょうね」
その言葉が癇に障ったのか、このガキの表情がひどく冷たいものへと変わる。
「ケーナ。ボクを怒らせたいの?」
「あんたの感情逆撫でたぐらいでどうこうなるとは思えないけどね。こっちはとっくに脳天きてんのよ!」
いい加減、この遣り取りも飽きてきた。
我慢は既に限界に来ている。
なんでも良いからそこをどけ!
周りの空気が澱んでいるせいか、相手の力は読めないけど……、それでも、ここまでのことをされて黙って引き下がれるほど、私はお人好しじゃない。
「ケーナはさ。少々、痛めつけないと分からないみたいだから……、ちょっとだけ遊んであげるよ。でも、まだこの身体に馴染んでいないから、もし、うっかり殺しちゃったら、ごめんね?」
クソガキ独特の無邪気さと、残酷さが同居した笑みを浮かべて、ガキは手を伸ばした。
「吹っ飛べ~!」
その言葉で、私は、10メートルほど吹き飛ぶような衝撃波を喰らった。
そして、見えない壁に背中を強打する。
「いたたた……」
胸に激しい痛みと、背中にツキンとした鈍い痛みが同時に怒った。
「な~んだ。たった一発で駄目かい?」
だけど、これで分かった。
「はっ! な~んだはこっちの台詞だわ。あんたはベオグラと似てもいない。どう見たって、ベオグラの法力とは全く違うもの。ちょっとだけ似せてるだけ。口先ばっかりの偽者じゃない」
私はそう断言する。
「なんだと? ボクはソイツだ! 力の祖は一緒なんだ! それが異なるなんておかしいじゃないか」
「確かに力の祖は一緒かもしれない。だから、ちょっと似せることは出来る。だけど決定的に違うモノがある。」
痛む胸を押さえつつ、立ち上がる。
「そんなはずはない! 全く、同じだ! ボクはずっとコイツを見ていたんだ。ずっとコイツに憑いていたんだ。コイツに関しての情報は完璧のはずだ!」
「情報は……ね。だけど、あんたには神のご加護ってやつがない」
ベオグラは世界各国を廻り、巡礼を行っている。
そのためにそれらの神から加護を受け、その法力を増大させ、保っている。
あの日……、髪の毛を切り落としてもその力はほとんど変わることはなかった。
カミより、私を選んだのに……、それぐらいじゃ、他の人間を想ったぐらいじゃ揺るがないほど、数多くの神々たちから受けた加護は消えなかったのだ。
それは、人から見聞きしたくらいで、少しくらいベオグラを観察していたぐらいで真似できるほど半端な代物じゃない。
「神のご加護……か。そんなのあるわけがない! ボクは選ばれなかったんだ! そんなボクがどうやって加護を受けろって言うんだよ」
「だから紛い物って言ってるのよ」
考えてみたら、腹が立つ。
こんなクソガキにベオグラが……。
「取らせてもらうわ。ベオグラの仇」
城下の結界が働かないのは、相手に悪意がほとんどないのだろう。
子供だから、この行動を当然の権利だと思っている。
ムカつく話だ。
そして、さらにこのガキは周囲に結界を張ったとか言ってた。
そのためか、周りには不自然なほど誰もいない。
城からも城下からも人が集まる様子がなかった。
加えて、力の差はかなりあることは分かっている。
様子見の一撃で私は吹っ飛ばされたのだ。
こいつの力は魔法ではなく、法力がベースであることは間違いない。
でも、ベオグラよりは強くない。
ただ、恨みの籠もった人間……、いや、コイツは思念体だけど……、そういう手合いは時として、法力や魔法を越えた力を発揮すると聞いたことがある。
そりゃそうか……。
21年分の恨み……だもんね。
積もり積もった力が蓄えられ、増幅されていったと考えるべきだろう。
根が深すぎる。
誰もこのガキの存在を知らず……、恐らく、憑かれていたと思われるベオグラ自身も気付かないまま、21年の歳月が過ぎていった。
積もり積もった恨みや妬みは大きいと思う。
そして、自分が手にするはずだったものを全て手にした半身……。
それを、一体、どんな目でこのガキは見ていたのだろうか?
「だけど同情はしない」
私は言い切った。
いろんなものを恨みたい気持ちは分からないでもないけれど……、それでも、その代償が大きすぎるから。
「ベオグラを返して。私はあんたなんかよりベオグラが良い」
比べる価値もないほどに。
「ケーナ……。ボクを怒らせたね」
ガキの表情がさらに変わった。
逆鱗に触れたんだと思う。
だけど、怖くはない。
いろいろなことに未練はないわけじゃないけど、それでも……。
「ベオグラ、あんたは怒るかもしれないけど、一緒に逝ってあげるから待ってて」
そう呟いただけなのに、私は不思議と恐怖がなくなる気がしたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




