同じ領域で
「ふむ……」
流石にこの辺りでも一番の品揃えを謳っているだけあって、ここの書店はいつもながら、かなりいろいろな本があると来るたびに思う。
普通なら手にとらないようなマニアックな書物まである辺り、注文して確実に狙いの本を手に入れるよりも、自分の足を使って好きなものを探すような本好きには堪らないだろう。
俺が今、手にしている書物もそんな珍しい種類のもので、少部数発行だと記憶している。
どんな店員が決定しているのだろう?
そして、このご時世、そんな書店で経営が成り立っているのかは心配にもなる。
精々、自分が通っている間は、潰れないでいて欲しいものだ。
つまり、そう言う意味では似た者同士である俺たちがこの場所に集まるのは必然と言ってもいいはずだ。
それでなくても、本日受験したばかりの高校のすぐ近くにある。
だから、寄らないはずがないとは思っていたが、俺の予想に違わずあの女はいた。
以前、この書店で会った時よりも、長かったあの黒い髪の毛はかなり短くなっている。
もともとが長すぎだと思っていたのだ。
腰より下まで伸びた髪なんて邪魔くさいし、洗うのも大変だっただろうに。
そして、その女は2メートルと離れてない俺の姿に気付かず、真剣な顔でいつものように書物を物色している。
こんな状況は毎度のこととはいえ、俺はそれが意図的に無視されているような気がして妙に腹が立つ。
暫くして、彼女は目ぼしい本を見つけたのか、書棚に手を伸ばした……が、残念ながら、平均よりもかなり背が低いこの女には、手の届かない位置にあったようだ。
それでも、懸命に手を伸ばす様は、小動物じみていて、見ているだけでも楽しくはあるが、少しだけ気の毒に思えた。
背が低いって大変なんだな。
「これか?」
「うひゃ!?」
俺は声を掛けながら、そいつの肩に手を乗せ、背後から目的と思われる本に手を伸ばして、取ってやった。
「あれ? 来島?」
この段階になってようやく、彼女は俺の存在に気付いたようだ。
一体、どれだけ鈍いのだろう?
「頭、黒いから気付かなかったよ」
そう言って、彼女は笑う。
「いや、単にお前が周りを見てないだけだろ」
「本屋で本見て何が悪い」
「悪いとは言わんが、それでも注意は払えよ」
いくら何でも、ここまで接近しても気付かないとか、隙が大きすぎるだろう。
ちびっこ好きな変態に目を付けられたら、どう対処する気だ?
「そうだね。いきなり背後から奇襲攻撃を受けたら、今のわたしでは対処できないのは良く分かったよ」
「奇襲……って。俺は暗殺者か?」
もっと別の表現があるだろうに、彼女の選ぶ言葉は、いつも独特だった。
「予告なくいきなり肩に手を当てて圧し掛かってきたら、普通はわたしじゃなくても悲鳴を上げると思うけど。公共の場で大きな声で叫ばなかっただけマシじゃないかな。せめて、その前に声を掛けてよ」
悲鳴……?
まさか、先ほどの色気のない声のことを言っているんだろうか?
「だから、先に『これか?』と尋ねたんだが……」
「ああ、それそれ。ありがとう」
そう言って、俺が手にした本を嬉しそうな顔で受け取る。
「相変わらず背が低いと大変そうだな。欲しい本の一つも手が届かないとは」
「どうしても届かないときは、ちゃんと店員さんを呼ぶよ」
「その手間がかかるのが、気の毒だな……」
「いちいちうるさい。あなたは皮肉を言わなきゃ話せないの?」
この女の名は「高田栞」という。
どういうわけだか、俺の領域内によく出没する不思議な女だった。
同じ小学校に通っていた頃には全然縁がなかったのに、それぞれ別の中学校に入ってから、妙に会う機会が増えた気がする。
まあ、3年ほど前に、この書店が出来たって言うのも理由の一つだろうが、この近くにあるゲームセンターにまで出没する女というのはどうなんだろう?
いや、女がゲームセンターに行くなという話ではなく、単純にそんな場所へ1人で行くのは危なくないか? という疑問なのだが。
まあ、この女の性格上、男連れでゲームセンターに行くというのはあまり想像できなかった。
だが、絶対に連れの男の存在を忘れてゲームに没頭していると思う。
そんなタイプの女なのだ。
「今日は1人か?」
「ううん。ワカと……、今日はもう1人連れがいるよ」
「ああ、やっぱり若宮も一緒なんだな。アイツとも高校の門のトコで会った。小学校からの縁とはいえ、お前らホント仲良いよな」
彼女は同じ小学校の「若宮恵奈」という女とよく一緒にいた。
その女とも俺は縁がある。
「来島は1人? ワカの話ではもう1人いたって話だけど……」
「ああ、ソイツなら店内をうろついているはずだが……。アイツの読むのは機械系の専門書が多いから俺と一緒には回らないんだよ。お前らだって一緒に回らねえだろ」
男同士でつるんで仲良く店の中を移動するというのも悪くはないが、漫画や文庫本のような小説ならともかく、専門書でそれは難しくなる。
少なくとも、話が弾む気はしない。
「ふ~ん」
俺の言葉にそう答えながら、彼女は俺の頭に目線をやる。
「珍しく黒いんだね……」
「受験……面接もあるのにいつもの髪でいられるかよ。地毛って言っても信じてもらえないだろうし」
「まあ、赤い髪だからね……」
俺は普段、赤に黒いメッシュを入れたような髪をしているのだ。
周りには地毛といっているが、勿論、誰一人として信じちゃいないだろう。
実際、地毛じゃねえし。
ただ、流石に学校生活は黒い髪のウィッグを被っている。
そうまでして、赤い髪でいたいのかと、目の前の女に聞かれたことがあるが、その時は「まあ、こちらにはこちらの都合ってものがあるんだ」というような返事をした覚えがある。
他人の髪の毛の色なんて、どうでも良いことだろうに。
「つまり……、今日はカツラの日なのね」
「カツラって言うな。それにお前だってめちゃくちゃ短くなってるじゃねえか」
「わたしはカツラじゃないよ。切ったんだよ?」
「それくらい見りゃ分かる。切るにしても思い切ったなと言ってるだけだ」
どうも、この女はどこかズレている気がする。
そして、厄介なことに彼女と話していると自分の感覚までずらされていく気がする。
周りを自分のペースに巻き込むような天然ともちょっと違う、俺の周りにいない本当に珍しい人種。
「邪魔だったからね」
「邪魔なのになんでこれまで切らなかったんだよ。あれだけの長さでソフトボールをやってる方が珍しいだろう?」
よくできるなと見るたびに思っていた。
「切らなかったら伸びていた」
さも、当然のようにそう言う変な女。
「……うん。お前に真面目な回答を期待した俺が莫迦だったことはよく分かった」
長さに深い意味はなかったらしい。
願掛けのようなものだと思っていてまともに聞いたこともなかったが、そのまま聞かない方が良かったようだ。
「来島も元気そうだね」
「お前もな。変わりなくて何よりだ」
そんな定形のような受け答えだったが……。
「久しぶりにあった友人の目にもそう映っているなら嬉しい」
そんな風に彼女にしては珍しい顔で笑った。
「疲れてるか?」
その笑みが少しだけ気にかかる。
「ん? まあ、受験だったから疲れるのは当然でしょ?」
「あんなのただのテストだろ? 日頃からやっていれば問題ないはずだが?」
「その鉄の心臓を分けてほしいよ」
「残念ながら俺の心臓はこの身体に一つしかないので、お前に分け与えることはできないな」
「心臓には左右に心室、心房というのがあるよね?」
「……それぞれ役割が異なったと記憶しているが?」
この女は一見、虫も殺さないような顔をしているが、たまに口を開くとこのようになかなか黒いことも平気で言う。
黙っていれば、可愛いと言えなくもない部類に入るが、その言動でかなり台無しにしているのだ。
まあ、周囲にいる友人の種類を見ていれば、そんな風に育ってしまうのは自然な流れではあるのだが。
それを勿体無いと思う反面、このままでも俺にとっては何も問題ないので、余計なことは言わずにいる。
男が寄り付かなくても、生きてはいけるからな。
「ああ、そうだ」
せっかく彼女に会ったのだ。
つい先ほど、ちょっと気にかかったことを聞いてやろう。
あのことについて、何か知っているかもしれないからな。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
明日からはまた二話更新に戻ります。