打算が働く
「貴方には本当に損な役回りをさせてしまったな。本当にすまない」
黒髪、緑の瞳の青年は素直に深々と頭を下げる。
「元より承知の上だ。俺の方には何も問題はない」
銀髪、青い瞳の青年は穏やかな笑顔で彼に応えた。
始めから上手くいく話だとは欠片も思っていなかったのだ。
だからこそ、手段を選ばずに迫ることもせず、適度な距離感を保ち、婚約ではなく、条件が良い口約束という形を提案した。
うっかり婚約までしてしまえば、王族同士である以上、互いに逃げ道はなく、簡単に解消することもできなくなってしまう。
想い人がいたからと言って、ままならないのが王族、貴族の世界だ。
婚約を解消することによって生じる不利益はかなり多い。
そんなものであの少女を傷つけたくはなかったのだ。
それに、婚約の真似事のような状態でも、いろいろな縛りに捕らわれている青年は動き出すだろうと予測していた。
恋愛に不慣れだからこそ、その感情に激しく振り回される。
想いを自覚してしまったら、口約束でも、一時的に想い人が他の男に奪われることを許したくはないだろう。
そして、若葉マークの恐ろしさは一度、腹を括れば信じられないほどの行動に出る点でもある。
その結果、想像よりは拙速で、かなり強引な方法をもって繋ぎ止めようとしたことに驚くことになった。
いや、あれほどの情熱を持っていたのなら、始めから出せ! と言いたくなるのはこの青年だけではないだろう。
なんとも面倒な話である。
銀髪の青年、クレスノダール王子は先ほどまでのやりとりを思い出すと、溜息を吐きたくなったが、今の状況を考えて我慢する。
「それより、ディーン。王族として他国の人間にそんな弱さは見せない方が良いぞ。簡単に利用されるからな」
その口調に反して、クレスノダール王子は屈託のない笑顔でそう言った。
「この辺りは、なかなかケーナに勝てないな」
自分の両頬を揉みながら、黒髪の青年、グラナディーン王子はそう答えるしかない。
彼は、気を許した相手にまで表情を崩さないということができなかったのだ。
「いや、その王女も今頃は、大聖堂で、大神官に振り回されているところだと思う。ヤツが完全に攻めに入ったからな」
「ああ、アイツはもともと守りの人間ではないからな。これまで大人しかったことが異常なのだ」
「あ~、そうなのか」
クレスノダール王子も思い出してみれば、人間界と呼ばれる世界のカードゲームやボードゲームなどと呼ばれる遊戯で、なかなかえげつない攻めを見せられた覚えはあった。
特に、将棋に関しては、二度とやらないと心に誓ったものである。
「ところで……、ヤツの髪についてなんだが……」
クレスノダール王子はその部分が酷く気になった。
大神官……、いや、神官である以上、短い髪はありえない。
多少、切りそろえるなどしても、肩までの髪となるのは、神官還り……、還俗する時ぐらいのものだ。
神職にあって、神女が婚姻のために髪を下ろすことはある。
だが、病や怪我でもないのに髪を落とす神官など例を見ない。
「ああ、それについては貴方が気にしなくても大丈夫だ。あの男は問題なく法力は使えたのだろう? それならば、大神官の座を譲る必要はない」
グラナディーン王子のその言葉は、まるで、始めから髪を切っても法力に影響がないことが分かっていたかのような言葉だった。
「周りはそれで納得できるか?」
「幸い、人払いをしていたために目撃者は関係者しかいない。さらに、大神官に好意的な人間ばかり。口を封じる必要もないだろう。なあ、ユーヤ」
「はい、確認しましたから大丈夫ですよ、グラナディーン王子殿下」
これまでグラナディーン王子の後ろに、無言で控えていた黒髪の従者が顔を上げて答える、
それを見て、クレスノダール王子は目を丸くするしかなかった。
「……自分、何しとるん?」
その見慣れた相手の姿に思わず、口調も変わってしまう。
「見ての通り、短期雇用契約です、クレスノダール王子殿下」
黒髪の従者……、雄也は笑顔で答えた。
このことを、あの少女は知っているのだろうか?
クレスノダール王子はこの場で頭を抱えたくなるのを、王族の矜持で堪える。
「本業の嬢ちゃんの方は?」
「今回は、やることが共通しているので問題ありません。いつもの副業よりはかなり楽ですよ」
「道理で最近、あまり見かけないと思っていたら……」
「私の立ち位置はもともとこんなものですから」
雄也はそう言って笑う。
どこに行っても、気が付けば誰かの懐に入っている。
尤も、今回の場合は、彼の主人がこの国の王女の友人という位置にあったことが大きかったのだが。
しかし、賃金が発生する以上、中途半端なことをするつもりもない。
自分の主人に害がない限り、彼はちゃんと仕事をする人間なのだ。
だから、双方、問題なく話は進む。
「グラナディーン王子殿下。例の薬は手に入りました」
その時、クレスノダール王子の耳は、雄也の言葉に聞き捨てならない単語が混ざっていたことに気付く。
「……例の薬……やて?」
「昨日、ラーズが大聖堂で髪を切るって宣言していたから、その対策のためにな」
「……ってことは、既に分かっとることやったんか?」
「その辺り、ラーズだからな」
グラナディーン王子は不敵に笑った。
「あの大神官猊下が、王子殿下を相手に、自分の行動予定を報告する義務を怠ると思いますか?」
「……そう言えば、ナイフも準備されていたもので……、ああ、なるほど」
そこでクレスノダール王子はようやく、思い至る。
あの大神官はもともと、王女の前で髪を切るつもりでいたのだ。
だから、その懐に刃物を用意していた。
そもそも神官は神事以外で刃物を持つことは許されていない。
規律を守る彼が、それを持ち歩いていたことに違和感を覚えるべきだったのだ。
そして、大聖堂内を立ち入り禁止としたこと。
正直、邪魔が入らないようにするためと言ってもやりすぎかと思っていたが、髪を切る予定があったのなら、確かに、必要な対応だったと言える。
さらに、彼は大神官という責任ある立場にあった。
仮に色恋に狂ったとは言っても、大神官というこの国だけではなく、神職最高位を空位にしたままで良しとするような人間ではない。
そのためにある程度、根回しをしていたのだろう。
まあ、つまりは……、あの場で振り回された人間の立場として言えることは、「一発殴らせろ」……だろうか?
「まあ、ラーズとしても、大神官を放り投げたかったところだろうが……、俺のために思い留まってくれた面はある」
グラナディーン王子は溜息を吐いた。
グラナディーン王子の幼馴染でもあり、友人でもあるあの青年はもともと大神官の地位に固執していない。
寧ろ、辞めたがっているようにも見える。
だが、この国の王子という立場上、簡単にそれを許すことはできない。
「大神官の職位を放り投げたら、王女と釣り合わなくなるのではないか?」
クレスノダール王子が心配したのはその部分であった。
大神官というこの国の貴族でも持たない権威があるからこそ認められる王族相手との婚姻。
それを自ら放り投げる判断はあまり賢い選択とは思えない。
「元、大神官という立場に権力がないわけではない。ましてや、ヤツは法力が衰えたわけでもなく、かなり若くて先がある男だ。やすやすと手放すことはできん。国として囲う意味でも、降嫁という形になる王女一人で縛り付けられるのなら安いものだ」
グラナディーン王子は澄ました顔でそう言いながらも、雄也を一瞬だけ見た後で溜息を吐いた。
なるほど、先程の意見は彼からの助言だったのだろう。
王女を溺愛している王子にとって、政治的な判断と言っても妹を利用する考え方は気が進まないようだ。
「まあ、ディーンとも話がついているのなら、何も問題はない。振られた男は素直に独り寂しく帰国してやるよ」
どこか自嘲気味な発言だが、クレスノダール王子は気持ちの整理はついている。
彼にとって、今回は始めから不利な勝負だと分かってもいたのだ。
椅子取りゲームの椅子に最後まで座っていられるのはたった一人。
小細工を用いて、退いても進んでも、結局のところ、音楽を止める人間の意思一つで、あっさりと勝負がついてしまうのは、示し合わせた出来レースのようなものだとも思っていた。
それでも……、彼の胸にはぽっかりと穴が開いたようで……、これを埋めるには相当な時間がかかるような気がしていたのだった。
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