退路を断って
「よお」
大聖堂の主要部分である礼拝室。
祭壇に繋がる通路の身廊と呼ばれる場所にヤツは立っていた。
祭壇がある内陣にいないのは珍しい。
「お呼び立てして申し訳ありません」
ヤツは優雅に一礼をする。
「俺は帰国の準備で、忙しいんやけど」
尤も、実際はそれほど荷物があるわけではなかったので、そこまで準備で手間取ることはない。
数日分の食料があれば、なんとかなる話でもある。
これまで、何度も定期船を利用してこの国に来ていたのだ。
初めてのことがない限り、何も問題はない。
強いて言えば、事務的な手続きとか、ここに来た時に利用した船の返却手配とかを考えるぐらいだが、幸い、今の俺には黒髪の有能な秘書がいる。
あの青年に任せれば、ある程度不測の事態にも対処してくれるだろう。
そして、それだけの銭は払っている。
「それほどお時間はとらせませんので、お付き合いください」
にこりと微笑む大神官。
だが、その表情にどこか違和感があった。
最近、人前でも笑顔が増えてきたのは知っていたが、それでも今までにこんな笑顔は見たことがない。
「ようやく、吹っ切ったか」
「何のことでしょう?」
口元に笑みを浮かべながら、澄ました顔で応えるその姿は……、どこか黒髪の青年を思い出させる。
「いや……、思うたより、ええ顔をしとるな。安心したで」
出会った頃のような表情だったらどうしようかと思っていた。
だが……、ヤツにしては面白い方向に結論を出したようだ。
それならば、俺も真面目に対応してやる。
いつまでも寝言を言わせる気もない。
「で、何の用だ? さっき言った通り、俺は忙しい」
「お一人での帰国ならば、そこまで忙しくはないでしょう?」
その言葉に思わず笑いが漏れる。
どうやら、隠す気はなくなったようだ。
「それがお前の本性か? 長い間、上手い具合に隠してきたもんだな」
「この部分については、自分でも驚いています」
少し戸惑うような表情。
以前と比べても、随分、ヤツの感情表現が上手くなったものだと思う。
「つまり、俺が国にケルナスミーヤを同伴させることに反対か?」
「当然でしょう?」
笑顔で即答された。
本当に切り替えたらしい。
「つまり、それは……、お前が彼女に懸想してるということで良いのか?」
「その返答に関してはご容赦を。まだ当人にすらお伝えしていないことですから」
思わずくっと笑いが出た。
その言葉だけでも十分な返答だと思うのは俺だけか?
「随分、可愛らしいこと言うな。大神官は案外、夢見る乙女か?」
「ええ。初めてのことを大切にしたいと思う気持ちに男女は関係ないでしょう?」
何があったかは知らないが、随分、余裕も生まれたようだ。
「ケルナスミーヤ自身が行きたいと望んだならば?」
「それならば、仕方がないとは思います」
「……いや、そこはもっと食い下がれよ?」
大事なところで一歩退く。
ここが変わらないと、どうしようもない。
また同じことを繰り返す。
「ちゃんと自分が欲しいものは欲しいと言え!」
それが今まで不満だった。
欲しいものを全て諦めてきた顔。
それは、ずっと見えない何かに縛られ続けていた誰かと重なってしまうのだ。
「そんな中途半端な男のために、俺は一歩も譲る気などないからな。場合によっては、掻っ攫ってやる」
実際に、当人の意思を無視すればこの国の王子が黙ってはいないことだろう。
それでも、これぐらい言わなければ、この男も動かない気がした。
だが……、この男の反応は想像の斜め上に行く。
「困りましたね。私は欲張りなのです」
困惑の表情を隠さずにそんな言葉を吐いた。
「あ?」
無欲の塊みたいな男が何を言う?
「私は貴方のことも好きなのですよ」
そう言って、清廉に見える大神官は微笑んだ。
「……俺、男色の気はないのだが……」
それでも少しだけ頬が緩む。
いや、本当に俺は男に興味はない!
だが、それでも、この感情表現が苦手で、自分の気持ちに蓋をするのが上手い男にここまで言わせたというのは、一種の快挙だろう。
付き合いは十年にも及ぶが、最初の数年は、俺の名前すら呼ばなかったこの男が。
碌に笑う姿すら見せなかったこの男が。
笑いながら、自分に好意を伝えてくれるなど、十年前の自分に伝えてやりたい。
何度も迷いながらもぶつかっていった、あの時のお前の苦労は決して無駄ではなかったと。
「そちらの意味にとられると私としても困りますね。神官に衆道は付きものですが、私も今の所その趣味はないと思っています」
……神官はやはりその道に進むヤツもいるのか。
完全に異性を断つことはないはずなのだが。
神女という存在もあるし。
「『発情期』も女性に対して反応しているようですし」
「……なかなか、ぶっ込んできたな」
「この期に及んで、隠すことでもないでしょう?」
しれっとした顔で答える辺り、他者のように、「発情期」そのものに対して忌避感はないのだろう。
「俺は女性恐怖症かと思っとったんよ」
わざわざ「禊」という期間を設けてまで、完全に離れようというのは俺には理解できなかった。
それに常日頃から、明らかに異性を避けた行動をとっている。
そんなこの男に堂々と近づくのはこの国の王女だけで、邪心なく親愛の情を向けるのは黒髪の少女ぐらいだった。
「女性は好きですよ」
「……待て、神職者。大聖堂でそれは言い過ぎだ」
「考えすぎでしょう? それに異性に興味を持つのは人として、自然な感情です。それがなければ、祈りを捧げるものが絶えてしまいますから」
確かに、子孫が繁栄しなければ、神に祈りを捧げる者もいなくなる。
「今回、『禊』の期間が早まったのは?」
「魅力的な女性がいるのに、何も反応しないほど私も鈍くはなかったようです」
「……随分、正直になったもんだな」
そのこと自体が、俺にとっては驚愕なことだ。
しかし、同時にこれまで相当、いろいろな感情を圧し込めていたことも分かる。
「それで……、どうする気だ?」
「まずは、これから反応を見ようかと思います」
「待て……。これから?」
「はい。これから」
極上の笑みを向ける大神官。
「いや、その顔は向ける相手が違うだろ!?」
俺がそう言って、大神官の襟を掴んだ時だった。
「たのも~っ!」
「何を頼むんだよ!?」
快活な声が聞こえ、もう一人の関係者が友人たちを連れ、この大聖堂の入り口の扉を開いて現れたのだ。
そして、さらに……。
「……あら、私たち、お邪魔だったみたい?」
そう言って、何故か顔を赤らめて、「ごゆっくり」と言いながら、再び入り口の扉を閉める。
「いやいや、ケーナ! ちょい待て!!」
「誤解されてしまったようですね」
「いや、お前も、もうちょい慌てろや!!」
落ち着き払った大神官の反応にペースが乱される。
「あまり反応すると、姫に遊ばれるだけですよ」
「あ?」
「そうでしょう? 姫?」
大神官は入り口ではなく、儀式の準備室へと視線を向ける。
「あと、隠し撮りは止めてくださいね」
ちょい、待てや。
カメラがないはずの世界で、隠し撮りってなんやねん。
よく見ると、少しだけ隣室へ繋がる扉が開いていた。
「あら、バレちゃったね、高田」
可愛らしく舌を出しながら、その扉を開けるこの国の王女と……。
「だから、言ったじゃないか。趣味が悪いことは止めた方が良いって」
呆れたように、その後に続く彼女の友人と……。
「なんでこんな阿呆なことに巻き込むんだよ、お前たちは……」
明らかに巻き込まれた気の毒な従者の姿があった。
王女の手には、この世界では初めて見る機械があった。
随分、形は違うけど、人間界で見たカメラという装置ではないだろうか?
……なんで、そんなものがこの世界にあるのだ?
そんな疑問を持ちながら、俺は大神官を見る。
ヤツは涼しい顔を崩さずに……。
「お呼び立てして申し訳ありません」
俺に対して言った言葉をそのまま口にした。
どうやら、話はここからさらに進むらしい。
俺は、今から結果が分かりきっている物語を見せられるのだろう。
この逃げ場がない大聖堂で。
そう思うと、同じく巻き込まれたあの友人たちがいてくれて良かったかもしれない。
無理矢理にでも、そう思うことにしたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




