衝撃的な言葉
「栞さん」
恭哉兄ちゃんが難しい顔をした。
「何かありましたか?」
「へ?」
「心拍数と体温が上がっているようです。どこか調子が悪いのでは?」
どことなく心配されているような気がする。
「……ああ、えっと……、精神的に不安定なだけで、不調ではないよ」
少し前の時間に九十九に「お姫様抱っこ」をされたからだろう。
あれは心臓に悪すぎた。
今も尚、思い出しては、顔が熱くて仕方がないのだ。
「精神的に不安定? 姫から何か無体なことでも?」
「……恭哉兄ちゃんのワカに対する評価って結構、酷いよね」
少なくとも、一国の王女殿下に対する言葉ではない気がする。
「あの方は気に入った人間に対して、その反応を楽しむためにからかうという悪癖がありますから」
「恭哉兄ちゃんもされたことがあるの?」
気に入った人間だというのなら、真っ先に恭哉兄ちゃんが一番被害を受けることになる気がする。
「……私の場合はあまり反応がないため、刺激を強められている気がします」
そう言えば、ワカは恭哉兄ちゃんのことを無表情と言っていた。
でも、わたしに対しては結構、分かりやすい。
それってもしかしなくても、この辺りに原因があるのではないだろうか?
「恭哉兄ちゃんにも意地がある?」
「意地とは少し違いますね。ただ……、神官なので、あまり顔に出さない努力はしています」
なるほど……。
「出ない」ではなく、「出さない」とな。
それで、わたしや楓夜兄ちゃんと一緒にいる時とワカの前では表情が違うのか。
それも、演劇部出身のワカに「無表情」って言わせちゃうぐらいに。
「確かに……、この心拍数と体温の上昇は左手首からではないようですね。それならば……、大丈夫でしょう」
「シンショクって体温を下げるの?」
「残されている事例が少ないので、断定はできません」
「そんなに稀な事態って言うのが困るなあ……」
宝くじよりも低確率な当たりを引いても嬉しくない。
「稀……、というより、神喰されていたことに気付く方が少ないのです。大半の人間は10歳になる前に自然死という形で命を落とします」
その恭哉兄ちゃんの言葉にゾッとした。
改めて、昔の自分の判断を褒めるしかない。
そして、同時に……。
「あの日、楓夜兄ちゃんと恭哉兄ちゃんに出会えて本当に良かった」
あの出会いがなければ……、わたしは今もここにいないのかもしれないのだ。
勿論、彼らの力だけではないことは分かっているのだけど。
「私も栞さんにお会いできたことを幸運に思います。こればかりは神に感謝いたしましょう」
「命を助けられたわたしが言うのはともかく、恭哉兄ちゃんがそう思うのって、なんか不思議。その考え方って、大神官だから?」
「いいえ。私、個人の考えです」
おおう。
なんという殺し文句。
「貴女は意識していないとは思いますが、恐らく、貴女によって救われた人間は少なくはないでしょう」
「救われた人間?」
はて?
そんな大層なことをした覚えはない。
わたしにそんな力がないことは、わたし自身が一番、よく分かっているのだ。
まあ、記憶のない時代に九十九と雄也先輩の命を救ったらしいけど……、それぐらいじゃないだろうか?
そして、それはわたしの功績でもない。
水尾先輩についても、実際、助けたのは九十九だった。
わたし一人じゃ何もできなかったと思う。
「買いかぶりすぎだよ、恭哉兄ちゃん。わたしは一人じゃ何もできない。今も、周りに助けられて生きている」
わたしはそう言いながらも、自分の両手を見た。
この手は今も魔法を使えないままだ。
封印が解かれたというのに、全く魔法が使えない。
今のわたしにできることは、魔法とは違って空気の塊を押し出すだけのこと。
もっと誰かの助けになるようなことができれば良いのに、これではただの足手まといのままだった。
「一人で生きていける人間はいません。周囲に支えられて生きているのは私も同じです」
恭哉兄ちゃんはそう言って口元だけで笑う。
「恭哉兄ちゃんでも?」
「当然でしょう? 私は、九十九さんと違って料理もできない男ですよ?」
さらりととんでもない発言をする恭哉兄ちゃん。
「ふおっ!? 本当に?」
「はい。そのために魔界での巡礼中は、生野菜と果物で過ごすしかできませんでした」
「すっごい、意外」
いや、恭哉兄ちゃんは、雄也先輩と同じように万能型に見えるのだ。
そして、そんな巡礼中の恭哉兄ちゃんを見てみたかった。
思ったよりサバイバルな経験をしている気がする。
もしかして、魔獣とかも狩っていたのかな?
「神官の最高位でも、この程度です。幻滅されましたか?」
「いや……、改めて、魔界の料理人の凄さを思い知ったよ」
幻滅とかは一切、考えなかった。
寧ろ、恭哉兄ちゃんに対して、親しみやすさが倍増したというか……。
いや、本当に完璧な人っていないんだね。
そして、ワカはこのこと、知っているのかな?
「栞さんの良いところはそこですね」
不意に恭哉兄ちゃんは表情を崩す。
「へ?」
「普通なら、負の要因と思われることでも、貴女は笑い飛ばす力強さを持っている。そして、迷っている人間の手を取り、導く力も」
「……それって単純に無神経なだけではないの?」
それだけ聞くとそう聞こえてしまう。
「栞さんはご自分を無神経な人間だと思いますか?」
問い返されて考える。
「……うん、割と」
わたしはそう結論付けた。
「本当に無神経な人間ならば……、私もクレスノダール王子殿下も心惹かれることはなかったでしょう。貴女は……、残念ながら覚えていらっしゃらないようですが、貴女は10歳の頃、魔力を持たない身で、私たちを守ろうと魔獣の前に立ちました」
「んなっ!?」
卒業式以外でもそんなことをやらかしていたのか。
しかも、わたし自身は覚えていないのだけど、人間界でわたしに襲い掛かったその魔獣って確か……、犬って話じゃなかったっけ?
今なら絶対、無理無理無理!
「私もクレスノダール王子殿下も、まさか、人間界で魔獣に襲われるなど考えてもいませんでした。そのために反応が遅れ、クレスノダール王子殿下が襲われたのです」
楓夜兄ちゃんが……?
どうだろう?
自分じゃなくて、目の前で他の人が襲われたのなら……、後先考えないわたしは、苦手な犬相手でも……うっかり庇っちゃうかもしれない。
「そのうっかり立ちはだかったわたしは噛まれたの?」
「いいえ。なんとか私の防護が間に合いましたから……。それでも、幼い貴女に怖い思いをさせてしまったことでしょう」
「……まあ、それすら覚えてないから大丈夫だよ」
大阪で魔獣に襲われたというのも話に聞いただけだ。
だから……逆に思い出したくもない。
このまま記憶が封印されたままでいることを祈ろう。
「あの時の魔獣の狙いは、今でも分かりません。クレスノダール王子殿下にしても、私にしても立場上、敵がいないとは言えませんから。それでも……、操られるように私たち三人に向かってきたのは今でもよく覚えています」
懐かしむような恭哉兄ちゃん。
やっぱり、彼は全然、無表情ではない。
もし、そう見えるとしたら、それはワカの前だけの特別仕様ってことだろう。
「あの事件は、私にとって大きな転機となりました。私は誰に強制されるでもなく、大神官を目指そうと思ったのです」
「よく分からないけど……、恭哉兄ちゃんならわたしに関わらなくても、大神官になっていたと思うよ」
あの時点でされた封印は、魔界人の誰の目から見ても見事なものだったという。
それならば……、わたしのことに関係なく、いつかはこの場所にいただろう。
「いいえ」
でも、わたしの言葉を恭哉兄ちゃんは即座に否定する。
「あの当時、私には大神官どころか、神官として一番大事なものが欠けていました」
「一番、大事なもの?」
あの時点で誰が見ても驚くぐらいの知識と技術、そして、それらを可能とするかなりの法力を持っていた恭哉兄ちゃんに欠けていたものがあるとは思えない。
ここからは内緒にしてくださいね、と前置きしながら……。
「実は、あの頃の私は、神を信じていなかったのですよ」
極上の笑みで、神官最高位の大神官さまの爆発物にも似たお言葉に……。
「………………は?」
わたしは、短くも間抜けな言葉を返すしかできなかったのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




