愛では満たせないもの
「どこがって……、笹さんは良いの? 自分のご主人様に悪い虫がくっついたのよ?」
正直、日ごろの二人の関係を見ている限り、もう少し動揺するかと思っていた。
それでも、少年は涼しい顔をして答える。
「神官最高位の大神官猊下が本当に自分の主人を選んでくれたなら、光栄なことだろう? そこに何の問題があるんだ?」
その言い分に間違いはない。
だけど、そんな常識を彼の口から聞くのはかなり違和感があった。
「笹さんは、良いの?」
もう一度、確認してみる。
「悪くはない。助かるぐらいだ。大神官猊下の前では割と大人しくしてるからな、あの女」
そこに大きなため息が追加される辺り、彼は苦労しているのだろう。
まあ、油断すれば城や大聖堂ですら迷子になってしまうような目が離せない主人だ。
その点に置いては仕方がないかもしれない。
「笹さんは、賛成の人なんだ」
「反対する理由がない。まあ、大神官猊下が本気であんなお子様を相手にするかはともかく、あの方の傍なら、余計な手出しができなくなるだろうな」
ああ、そうか。
彼女は、あのバカ王子に狙われているのだった。
確かに、あの大神官ほどの害虫駆除は、この世界でも多くはないだろう。
「それに悪い虫ってのは、くだらない命令を出すバカ王子や、ストーカーのような紅い髪の男や、他人の彼女と知って印付けするような男のことを言うんだよ」
「具体的すぎて、心当たりしかないわ」
セントポーリアのダルエスラーム王子、卒業式に高田に攻撃した紅い髪の男、そして、最後は来島か……。
確かにあまり寄せ付けたくはない虫しかいない。
「まあ、抱き締めたぐらいでどうにかなるような女でもないけどな」
「おや?」
ちょっと今、私の高性能恋バナセンサーが反応した気がする。
「若宮からすれば、悪い虫ってのは高田の方なんだろ?」
しかし、そのセンサーは彼の言葉によってその性能を落とした。
「は?」
「大神官と高田が抱き合っている状態は、オレに八つ当たりたくなるぐらいに嫌な光景だったってことなんだろう? 違うのか?」
「違う」
そんなはずはない。
私はあんな男のことなどどうでも良いのだ。
「そうか……。まあ、どちらにしても、オレには関係ない」
本当に興味がなさそうな顔で彼はお茶を飲む。
「笹さんは心配じゃないの?」
「心配する理由がないって言ってんだろ? どちらかと言えば、……ああ、大神官猊下に対する病的な信者からは、余計な恨みを買いそうな気配はするが……」
「ほら、心配な要素があるじゃない! 高田にはもっと全うな男を選んで欲しいのよ。安心で安全な暮らしのために!」
「その辺りは当事者間に任せる。大神官猊下も国内の神女を選ぶよりは他国の人間を選んだ方が良さそうだからな」
「素直じゃない男ね」
少しだけ呆れてしまう。
これだけ動きやすくお膳立てしているというのに。
「若宮ほどじゃない」
そう言いながら笑うこの黒髪の少年はこんなに扱いづらい男だったっけ?
もっと素直で簡単に振り回せると思っていたのに。
「でも、笹さんは高田のこと好きでしょう?」
そうでなければ、これまでの態度はありえない。
苦手な娘にあそこまで過保護になれるような男ではないと思っている。
「嫌いじゃないな。でも、恋愛としては無理だ」
「無理?」
「雇用契約に違反する」
「こっ!?」
思わぬところで、思わぬ言葉が出てきた。
「クビになったら食っていけないからな~。金は大事」
意外にも目の前の少年は意外にも守銭奴だった?
いや、守銭奴は料理に金はかけない。
私は、そんな言葉に騙されるものか!
「お金より愛でしょう?」
「それは、金に苦労をしたことがない人間の台詞だ。食わないと心は荒む一方だぞ。愛で飢えは満たせん」
それだけのその言葉で……、彼は思っていた以上に苦労人だということを思い知る。
今のは、一度、荒んだことがある人間の台詞だ。
だからこそ、たった一人でも見習神官から主を護れるし、準神官が一斉に襲い掛かってきても、無傷で対処できる能力があるのだ。
単なる魔力、基礎体力だけじゃない。
それらの能力を身につけなければ、生きてはいけないほどの環境だったのだろう。
「でも、ベオグラと高田がくっついたら、笹さんはクビじゃないの? ヤツなら、十分、外敵から護れるわ」
「そうかもしれんが、成功報酬ぐらいはもらえるだろう。それを元手に新たな仕事でも探すかな」
「料理人?」
「……どいつもこいつも、オレには料理しかねえと思ってるな」
「他に何があるっけ?」
「……いろいろある」
まあ、確かに護衛の腕はあるし、意外にも知識はある。
それだけでも、十分、世の中を渡っていけそうな気はした。
「まあ、高田の護衛をクビになったら、私のところにおいで。高田以上に可愛がってあげるから」
「頭から食われそうだ」
「やだな~、ヘビじゃあるまいし」
彼を食らうヘビか~。
10メートル級でもちょっと無理かしらね。
「……ああ、そうだ。オレも若宮に聞きたいことがあったんだが……」
「何?」
「若宮が昔、送り付けたセントポーリアにヘビ。やったのは狂化だけだったか?」
「おや、懐かしい。みけらんじぇろくんにかけた術は、それだけだったはすだけど……」
あまりにも魔獣を送り付けてくるものだから、鬱陶しくてつい、お返しをやっちゃったのよね。
今にして思えば……本当にお子様だった。
目には目を歯には歯をなんて単純すぎる。
今ならもっと別の形をとれるとは思うのだけど、当時の私は人の手を借りて、それがやっとだったのだ。
「操作、傀儡系は?」
「おや、物騒。でも、そんな魔法は存在するの? 基本、精神に作用する魔法って限られているでしょう?」
そんな魔法を知っていれば、もっと面白いことができると思う。
愛らしい小動物を操って、芸を仕込む……とか。
人間界では珍しくもないけれど、この世界ではかなり儲かりそうじゃない?
「そのヘビはどこで手に入れた?」
「へ? ああ、あのヘビ、もともとは、セントポーリアの王子の物だったヤツよ。この城では基本的には動物が飼えないから。首にしっかりとネームプレート付きのリボンをつけてあげて、お送り返しただけ」
「首に?」
「ええ、そうじゃないと、うっかりあの王子を飲み込まれても困るでしょう? まあ、狂化した魔獣が、人間を狙って襲うことはないと思うけど、念のためね」
しっかりと縛りつけていれば、顎の骨や身体の骨を外して飲み込むことはないだろうという配慮だ。
流石に、何もせずに解き放つようなことはしない。
相手から毒の牙もちゃんと抜いておいた。
「どういうことだ?」
「……何か、あったの?」
「オレが知っている話と違いすぎるんだよ。念のために確認するけど、そのヘビの色は?」
「黒。白蛇だったら祀ったかもしれないけど」
尤も、当時にそんな知識はなかった。
白蛇信仰は人間界独自のものだろう。
「決定だな。恐らく、どこかですり替えられている」
「は?」
「セントポーリア城に現れたのは銀色の鱗に、翼が生えたヘビだったそうだ」
「なんで『翼が生えた大蛇』がいたの?」
それは今となっては神話上の生物だ。
そう簡単に手に入るはずもない。
「オレが聞きたい」
「え? 偽物じゃなくて?」
それが本物なら手放すことなどしない。
勿体ないから。
多分、神の使いとして大聖堂に祀られると思う。
「本物だったらしいぞ。王家秘蔵の宝剣を持ち出して、国王陛下自らが退治したらしいからな」
「……流石、剣術国家。息子はさっぱりでも、国王陛下は本物ね」
「翼が生えた大蛇」は、人の手で鍛えられた道具では切れないとされる。
そして、神話上の生物は、神の力でしか絶命させられない。
だから、王家秘蔵の剣と言うのは、神より渡された物だったのだろう。
「もう一度、確認するが……」
「私じゃない。普通、そんな超生物が、手に入ると思う?」
「……だよな」
そこか納得がいかないような顔で少年も返事した。
でも……この少年。
少し前まで全く知らなかったはずの他国の王城内部のことまでも、いつの間にか調べ上げている。
本当に何者なのだろう?
ここまでお読みいただきありがとうございました。




