悪い虫がつかないように
「笹さん、ごめん。一発殴らせて」
「人の部屋に来るなり、何言いやがる。『NO』を突き付けるぞ」
黒髪の少年が枕を召喚して構える。
そこにはしっかり「NO」と書かれていた。
「……まだ使ってたのか」
それも、自分の魔気が馴染むくらいに。
作り手としては嬉しいし、あげた当人としては大事にしてくれてありがたいとも思うが、その趣味はどうかと疑いたくもなる。
自分で贈っておいてそう思うのはどうかとも思うけれど。
「思いの外、疲れが取れるんだよ、この枕。柄を気にしなければ問題ない」
その柄が大問題のはずなのに、目の前の少年はきっぱりと言い切る。
「何があった? ……と言うか、相談する相手、違うんじゃねえか? 朝のは高田に急な用事が入ったから仕方なくても、本来、王女殿下が男の部屋に来るもんじゃねえだろ?」
「笹さんしかいなかった」
ああ、私には本当に味方が少ない。
こんな時、彼しか思いつかないなんて。
「は? 高田とか大神官猊下とかいるだろ? 兄王子殿下でも良い」
「あの二人に言えることではないし、兄さまに私は弱みなんか見せられない」
「じゃあ、その扉を閉めろ。弱みと言う程度には聞かれたくはない話なんだろ?」
そう言って、彼はすぐに切り替えて、お茶の準備を始めた。
その姿は護衛と言うより……、執事な感じで無駄がない。
手順の確認もせず、無造作にお茶を淹れているように見えるが、彼のお茶は美味しいことを既に私は知っている。
「まあ、急拵えだが、飲め」
そんな執事っぽくない言葉を言いながら、お茶とお菓子を差し出した。
彼は気付いていないかもしれないけれど、これは急拵えの域を越えていると思う。
「なんで、クグロフっぽいお菓子が出てくるの?」
見た目は焼き菓子。
だが、お酒の匂いが強い。
「これは、高田にはあまり食わせたくねえから。アイツ、菓子に入った酒程度でも、極端に魔気が変化するんだよ。アルコールに弱くはなさそうなんだが……」
「いや、そこじゃなくて……」
お酒を使ったお菓子は、魔界ではかなり珍しい。
そんな勿体ないことを考える料理人がいないからだ。
彼は料理人としてもかなり異質だと思う。
いや、料理人じゃなくて彼は護衛だった。
だけど……、匂いだけじゃなく本当にお酒が入っているなら喜んでいただきましょう!
「うっ!?」
一口、食べただけで分かる。
この芳醇な味わい。
普通なら変化するはずの甘口のお酒と甘い焼き菓子があわさって……、最高の味になっている。
「美味いだろう?」
どうやら、かなりの自信作のようだ。
彼にしては珍しい聞き方をする。
「悔しいけど、すっごく美味しい」
私は素直にそう言わせてもらった。
「クグロフより、ババに近いな。ブリオッシュに干した果物を入れただけじゃなくて、さらに上から酒をぶっかけてるから」
「……笹さん、博識ね。でも、それって、変化しないの?」
クグロフとババの違いなんて、普通、人間界にいたからって知ってることじゃないだろう。
「いろいろ試してみたが、酒はあまり変化しないみたいだな。果物を漬け込んでもあまり問題なかった。果実酒は結構、種類が増えたぞ」
「……果実酒?」
今、魅惑的な言葉が聞こえた気がする。
「やらんぞ。その菓子だけで充分だろ? ……と言うか、王女殿下が昼間から飲む気か?」
「え~? そこまで言ったならちょっとぐらい、飲ませてよ~。それとも、夜這いすればおっけ~? お酒のためなら、私、やっちゃうよ?」
「~~~~~少しだけだからな」
流石に本気ではないが、本気だとしたら困ると判断したのだろう。
彼は、どこからか瓶とグラスを取り出して、目の前で注ぐ。
それは透明感のある藍晶石のような色だった。
「毒見はいるか?」
「今更? それに笹さん、毒耐性強そうだから、意味なくない?」
それにこの少年は信じられる。
青は食欲をなくす色だと言われているが、透明のグラスに注がれたそれは、すごく綺麗で飲むのがもったいなく感じられた。
……と言うか、この色。
高田がめちゃくちゃ好きそうな色だ。
彼女自身はあまり身に着けることはないけれど、透明感がある青が好きだったから。
「飲むのが勿体ない色合いだね。でも……、何の果物?」
「果物はプリュムデス。酒はラルムデス」
「……待って」
私は思わず、右手で制止をかける。
「プリュムデスは赤い果物じゃないのかとか、ラルムデスは白い濁り酒じゃないのかという常識的な突っ込みは、この世界では無意味だから置いておいて、なんでそんな高級品使ってるの!?」
「美味そうだったから」
「この料理バカ!!」
これはちょっと、思った以上の人間だった。
え? 何?
他国では料理のためにそこまでするの?
アホでしょ?
プリュムデス、ラルムデスはどちらもこの国では神が遺したものとされている。
他国では多分、別の名称で呼ばれているとは思うけど……。
「あのな~、その酒はジギタリス醸造のもので、果物はユーチャリス産だ。シルヴァーレン大陸ではどちらも安いものだぞ、それ。この国に来てその価格の違いにびっくりしたんだからな」
「……なんだと?」
確かに他大陸では価格が違うのも当然だけど……、安いものを高値で売り付けてるってことなの!?
ちょっと、後で城の帳簿を見てこよう。
どこかで利鞘を多くとっているかもしれない。
「いらないなら片付けて、後でオレが飲むが?」
「飲む!」
私はその青い液体を一気に呷った。
「強っ!? いや、濃っ!?」
独特の風味がして、喉が大火傷をするかと思った。
喉を動かす間もなかった気がする。
これは呑んだ気がしない。
「ラルムデス自体が、かなり強い酒だからな。神話では『勇気の神』ってやつを一口で昏倒させたんだろう?」
「え、ええ。勇気の神イレヴァーブが周りに煽られて……って話ね」
酒が弱いなら周りに乗せられず、大人しくしてろよって思う。
それは勇気ではなく無謀なだけ。
しかも、それでぶっ倒れて、慈愛の女神ノシュケファに介抱されて、調子に乗って押し倒すとかアホだわ。
女神も災難だったことでしょう。
そんな単純な男の子供を授かるなんて……。
「しかし、これは酒好きにもきついわ。誰が飲むっての?」
「兄貴」
けろりとした顔で、即答する。
え?
こんなの人間の身で呑めるの?
しかも、笹さんが呑むのじゃなくて?
「笹さんは呑まないの?」
「呑まなくはないが、甘口で度数もそこそこの方が好きだな。喉で蒸発されるような感覚は勿体ない気がする」
「お子様?」
「子供は酒、飲めねえよ」
まあ、魔界人はお酒の解禁が早い。
他国は分からないけれど、見習神官は最初に神酒の儀式を受けなければならないのだ。
あれ?
よく考えたら、ベオグラってかなり早い段階でお酒を口にしてる?
だから、脳細胞が破壊されちゃった?
酒、怖い。
「それで……、なんでオレが殴られなければならんのだ?」
私が、お酒のショックから立ち直る頃、目の前の少年はようやく口を開いた。
もっと早くに聞かれるかと思ったけれど、大分、待ってくれたみたいだ。
本当にお人好しよね。
「八つ当たり」
「いっそ、清々しいな」
怒ることもなく、寧ろ、この少年は笑った。
だが、その笑顔が、今の私にとって腹立たしく思う。
「護衛なら、主人に悪い虫がつかないようによく見張っとけって話」
「は?」
黒髪の少年は目を瞬かせた。
「大聖堂の一室で、大神官と抱き合っていた。これは大問題じゃない?」
正しくは、抱き竦められていた。
小柄な高田はすっぽりと大きなベオグラに覆い隠されていたのだ。
あれでは高田は身動きもできなかったことだろう。
でも、この場合は関係ない。
これまで異性の影が全くなかった大神官が、自分から異性を抱き締めたという事実が問題なのだ。
そこにどんな事情があっても、あんな大神官は見たこともない。
だけど、自分の予想と反して、目の前の黒髪の少年は落ち着いた口調でこう言った。
「それのどこが大問題なんだ?」
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