合格の証
「九十九、それ何?」
九十九は左の薬指に銀色の指輪を嵌めていた。
そこには茶色っぽい石がついているように見える。
いや、そこに指輪が嵌っていることが気になったわけではない。
単に、九十九がそれを見ていたから気になっただけだ。
そこに他意はない。
「知らん。大神官から受け取った」
「恭哉兄ちゃんから? ……左手の薬指に?」
人間界にいた友人の一部が黄色い声をあげそうな話だ。
いや、魔界だから意味は違うと思う。
違うと思いたい。
「期間内まで護ってくれって」
「護る?」
「試験合格の証らしい」
「えっと……、九十九からその指輪を奪えば合格ってこと?」
「いや、合格したから受け取ることになった……とか?」
「なんで?」
九十九は、何の試験に合格したのだろう?
「いや、たまたま試験の場に居合わせたらしいんだが……、よく分からん」
話を聞いた限りでは、九十九も分かってないらしい。
大神官から渡されて、「これを護ってください」と言われたそうだ。
「居合わせたって……、何かした? その胆力とか、判断力とか救済の心が試されたような」
数日前に、王子殿下がそんなことを口にしていた気がする。
そのことが何故か不意に思い出された。
「なんだそのよく分からん基準。でも、救済って言うなら……、心当たりはある」
「心当たり?」
「今日の聖歌時に大聖堂の控えの間に昼食を運んだら……、会堂が騒がしくなったんだよ。ちょうど聖歌隊が退場した頃だったかな? 何気なく扉の隙間から覗いたら……、大神官がぶっ倒れていたんだ」
「は? 恭哉兄ちゃんが?」
午前中のお勉強の時間ではいつもと変わらない様子だったのに……。
もしかして、どこか悪かったのに無理させていた?
「近くに準神官たちが二十人ほどいたけど、そいつら、混乱するだけで大神官に駆け寄る様子も、他の人間に助けを呼ぶ様子もなかったから……、思わず、会堂に飛び込んで……、応急処置をした」
準神官は確か、見習神官の上の位階だったはずだ。
「……じゃあ、大丈夫なんだね?」
わたしはホッと胸をなでおろした。
九十九は治癒魔法がある。
そして、病気に関しても人間界で得た知識があるから、一般的な魔界人よりはずっと適切な処置ができるはずだ。
「脈、呼吸は正常、意識だけがない状態ですることは、回復体位にするか、頭を揺らさないように輸送するぐらいだよ」
「流石に荷物のようには運ばないか」
頭を揺らさないように……、それならば、いつものあの運び方は危険だろう。
あれは意識がある時の手段だと思う。
わたしは意識がある時に何度も運ばれているが、結構、揺れて怖いのだ。
そして、お姫様抱っこのように横抱きにするには、九十九と恭哉兄ちゃんは体格が違いすぎる。
おんぶは頭を揺らさないようにできるけど、その体勢にするまでがかなり大変だと思う。
そうなるとずるずると引きずるぐらいしかできないってことになる。
……ところで、「回復体位」ってなんだっけ?
「……周囲の準神官たちに指示して応急担架を作らせたよ。で、控えの間まで運んだ時に……、『昇格試験終了』って言われた」
「……ってことは……」
「大神官が倒れたのは芝居だったらしい」
「なかなか酷い抜き打ち試験だったわけだね」
ああ、なるほど。
咄嗟の時に動じない胆力、冷静な判断力。
何よりも助けるために動けるか……。
王子殿下が口にしていた基準を満たすわけだ。
でも、少しばかりえげつないやり方だとは思ってしまう。
この国最高位の大神官が大聖堂内で倒れてしまったら、その場が大混乱してしまうのは仕方ないだろう。
もっと別の人材はいなかったものだろうか?
「で、九十九は神官ってことになるの?」
「阿呆。信仰心もなく法力が使えないオレが神官になってどうするんだよ」
「そりゃそうだね」
確かに一番大事なものが、九十九には欠けている。
「問題は、準神官の昇格の証は、年に3個しか渡されないらしい」
「なかなか狭き門だね」
昇格に挑戦するような準神官がどれぐらいいるかは分からないけれど、3人は多くない気がする。
「で、ここに1つ」
「そうなるね。残り2つか」
「この昇格の証を持って、試験最終日の聖歌が終わった後に大神官へ進呈すれば、下神官へ昇格することができるらしい」
「……ん? ちょっと待って」
今、何かがひっかかった。
「その昇格の証を持ってって……、試験合格で終わりってわけじゃないの?」
「だから『護れ』と言われたんだよ。手段は問わずにこの指輪を手に入れ、最終的にゴールに辿り着けば合格ということらしい」
「最初の試験の意義が見いだせない」
なんという出し抜き戦なのだろう。
そして、奪い合う時点で神官の資質としてはいかがなものか?
「多分、それらの経緯も含めて観察されていると思うけどな」
「経緯?」
「力ずくで奪ったやつは多分、試験に落ちる」
「……まあ、そうだろうね」
方法はどうであっても、人から奪取している時点で褒められた行動ではない。
「で、恐らくは奪われたやつも試験に落ちる」
「……なんで?」
「油断しすぎってことになるだろ?」
「おおう。九十九が言うと、説得力がある」
わたしが手を叩いて納得すると……。
「……喧嘩売ってるか?」
九十九からジロリと睨まれた。
「いやいや、九十九は護衛だからね。油断はしないでしょう?」
「……どうも、お前の言葉には裏がある気がしてならない。」
「考えすぎだよ」
そう言いながら、九十九の左手の薬指を見る。
それは、不自然なほど、九十九にピッタリサイズだった。
「でも……、それを『護れ』ってことは、奪いに来る人がいるかもってことなんだよね?」
「その辺りが分からないんだ」
そもそも……、試験を合格したからと言っても、神官でもない彼に渡すという辺りがおかしい。
「九十九に渡すこと自体が、試験の一環ってことなのかな?」
「そうかもな」
王子殿下が、わたしや水尾先輩の魔法を見たいと言ったのも確か、試験の下見という話だった。
他国の……、それも、魔法国家の王女という立場にある人間すら試験に組み込もうとしたのだ。
それならば、わたしの護衛である九十九を巻き込むことに躊躇いがあるはずもない。
そうなると、雄也先輩も同じように巻き込まれている可能性はある。
恭哉兄ちゃん……、大神官は九十九が人間界で生活していたことは知っている。
それに、わたしの護衛と言うことも。
護衛という立場にある者が、胆力、判断力がないはずない。
さらに、従者という立場上、多少の救護方法も知っていると考えるはずだ。
勿論、考えすぎだとも思う。
だけど……、何かが引っかかるのも事実だ。
「九十九、それ、外せる?」
「……おお」
九十九はスッと指輪を外し、わたしに渡す。
わたしの左手首にある「御守り」みたいに弾かれるかと思ったけど……、大丈夫だったようだ。
「譲渡は可能ってことか」
「お前、それでケガしていたらどうするつもりだったんだ?」
「九十九は治癒魔法使えるし大丈夫でしょう? それに、危険がないと判断したから渡したんじゃないの?」
わたしの「御守り」を九十九が受け取ろうとするだけで、手の皮がずる剥けとなるのだ。
自分より他人が傷つく方が苦手とするような人間が、何も考えずに渡すとは思えない。
「その指輪にそこまでの法力が込められてないからな。それに、試験に使うヤツにそんな危険な仕掛けはしないだろう」
「まあ、確かに」
「だが、オレとしてはもう一つの可能性が怖い」
「もう一つの可能性?」
「この件……、王女殿下が絡んでないよな?」
「おおう」
その可能性は考えてなかった。
でも、ワカはこの国で神官たちにある程度の命令を出すこともできる。
さらには……、大神官とも毎日顔を合わせているのだ。
これ自体が、彼女の壮大な悪戯だとしたら……?
それなら、左手の薬指って辺りも納得してしまう。
人間界では婚約指輪とか、結婚指輪を嵌める指だったはずだから。
「その辺は、明日、確認するか」
九十九はわたしの手から指輪を受け取ると、再び、左手の薬指に嵌めなおす。
「なんで、左手の薬指なの?」
「法力が籠った指輪は基本的にこの指に嵌めると聞いている。大神官も聖歌時には付けているぞ」
なんと?
それは知らなかった。
ううっ。
ますます分からなくなってしまう。
果たして、この指輪は本当に試験か。
それとも王女殿下の御戯れか?
わたしがその答えを知るのはもう少し先の話であった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




