母の複雑な思い
「これで……、本当に良かったのかしら?」
私は、栞と九十九くんを部屋から追い出し、雄也くんと二人になった。
平気そうに見えたけれど、娘自身はまだ、明らかに混乱していたのが分かる。
表情が分かりやすいと言われている娘ではあるが、時々、信じられないぐらいに本心を隠すことがある。
それは、魔界にいた時から変わらない癖だった。
母親に心配をかけないように、と。
「それは、後にならねば分からぬことです」
「確かにそうだけど……、できればもっとこのままでいさせてあげたかったわ」
何も知らないまま、ただの人間として生きていた娘。
「お心、お察し致します」
あの日、シオリの言葉であの国、いや、あの世界そのものから逃げ出すことになった。
その後は、何の干渉も受けることなく、ささやかながらもあの娘と二人で幸せに暮らしていたのに。
「一度関わってしまった以上、結局は、逃げられないってことかしらね。私も、あの子も」
私は自嘲気味に呟く。
「貴女方は、私たちが命に代えてもお守りいたします。それが、命を救われた意味だと思いますから」
そう言って、雄也くんは微笑んだ。
この子も本心を隠すことがうまくなったものだと思う。
昔は、あれだけ分かりやすかったのにね。
「あら、雄也くん。それは可笑しいわ。救われた命なら、貴方たち自身も生きなければ駄目でしょ。シオリは何も、貴方たちの命を盾にするために一緒にいることを望んだわけではないのだから」
「分かっております。死んでしまっては、貴女方の御身を守ることも出来ませんから。どんなに見目は悪くとも、抗って生きますよ。私も、多分、弟も」
そう言って微笑む青年はとても記憶にある少年とは随分変わっていた。
逞しく、そして頼もしく見える。
それだけ自分が知らない間に、苦労をしたということなのかもしれない。
「変ね。貴方たちの小さい頃も一緒に思い出しちゃったから、急に成長しちゃった感じがして、嬉しいんだけど、少しだけ淋しいわ」
どうせなら、我が子同様、成長していく二人のことも見ていたかった。
それが叶わなかったのは仕方がないことだけど。
「無理もありません。10年も記憶が封印されていたのですから」
「我が娘ながら、本当に恐ろしい子よね。あんなに小さかったのに、こんなにも見事な封印を施していたんだから」
10年もの封印。
確かに手助けはあったが、5歳で成功させるというのはあまり例がないと思う。
そもそも、封印魔法自体がそこまで簡単にできることではない。
あの知恵者は、本当に余計なものをこっそりと娘に渡していたものだと思った。
だけど、せめて、友人だった私ぐらいには、相談して欲しかったと思うのは我がままだろうか?
「流石というべきでしょうね。しかし……」
雄也くんが言いよどんだ。
彼が引っかかる点は、私も気になっていることでもある。
「あの子に対してその上にさらに封印が施されているところが気になるわね。封印された時期に私の感知能力が働かない状態にあった以上、施された時期、施した人物の特定は難しそうだし、困ったわ」
もともと、魔界人ではない私は、魔法に対する感知能力が高くはないが、それでも、娘の変化に気付けなかったことは、母親として悔しいものがある。
「法力国家に協力を要請できれば良いのですが……」
確かに、法力の担い手が多数集う国、法力国家ならば解呪する術を知る者の一人や二人は容易いとは思う。
でも、そこにいくための手段や方法も、その法力の使い手に対する対価も、それだけのコネもない。
神官に顔見知りはいるけど、単に知っていると言うだけで、世話になることなどできないだろう。
彼の方も……もう、覚えていないとは思うし。
「どちらにしても、いずれは魔界に行かなければならないということは分かったわ。その時はよろしくお願いするわね、雄也くん」
「はい。しかし…………」
そこで、彼は目を伏せた。
「栞のことなら心配ないわ。あの子も分かっている。いずれはその道を選ばなければならないことを……。それに……、口では否定していたけれど、父親のことも知りたいと思っているだろうから」
「その辺りは、なんとか調整できるようにしてみます」
涼しい顔でそう答える青年。
「すっかり、大人になっちゃったわね、ユーヤ」
私は、思わずそう口にしていた。
「いえ、私など、まだまだですよ」
彼は謙遜を口にするが、私から見れば十分すぎるほどの成長だ。
17歳……か。
人間界の基準では高校二年生だけど、彼はもう大人の中で生活しているような落ち着いた印象を持っていた。
「10年……。それだけあれば成長しちゃうわよね。成長期だもの」
私の記憶にある彼はもっと幼かった。
感情はもう少し分かりやすく、相手に感情を読ませないように仄かな微笑みを浮かべてもいなかった。
それが、いつの間にかこんな良い男に育っている。
少しだけ浦島太郎の気分だった。
シオリが彼らを見つける前には亡くなっていた彼らのご両親も、人間界で言う草葉の陰という所で誇らしげにしていることだろう。
「娘も育ってくれたかしらね……。一部は少し、退化した気もするんだけど……」
「そんなことは……」
彼は否定しようとしてくれるが、魔界人と人間は似て非なる存在。
同じ5歳でも雲泥の差であることは分かっている。
ましてや、あの子は記憶を封印するということまでしているのだ。
多少、一般的な魔界人からは劣るのも仕方がないことだろう。
でも、私はそれで良かったとも思っている。
娘は敵ばかりの城で、大人の顔色を窺って背伸びをして懸命に生きるしかなかった。
でも、人間界ではそんなことをする必要がなくなり、伸び伸びと成長させることができたのだ。
少しばかり、伸び伸びさせすぎた気がするけど。
「いいの、いいの。私たちが選んだ道。今更、文句を言っても仕方がないわ。私たちのために犠牲になった友人もいることだしね」
笑いながら言った私の言葉に、彼は目を丸くする。
その言葉は彼にとっても予想外だったのだろう。
その表情を隠しきれなかったようだ。
「まさか……、千歳さま。知って…………?」
「知っていると言うか……。それ以外考えられないから」
言葉を選ぶような確認に、私は肩を竦めるしかなかった。
「あの時の彼女の言葉……。私は忘れてないわ。それに仮令、王族の血を引く魔界人でも、5歳にすぎなかった娘がここまで完全に追っ手をまくことなど何の犠牲もなしにできない。いくら王妃殿下の私兵でも、そこまで腑抜けてはいないでしょう?」
魔界には、長距離間の移動をするために使われる「転移門」と呼ばれているものがある。
それは稼働すれば、その場にいる王族の人間たちには伝わると聞いた。
だから、王族の許可なく簡単には使うことができないようになっている。
あの日、私たちが使用した時点で、陛下と王妃殿下には伝わっていたはずだ。
そして……、魔法での移動ではなく、「転移門」を使う事態というのは、行き先はかなりの確率で他国である。
つまり、私たちは自分の意思で国王陛下の庇護から抜け出ることを選んだと思われるだろう。
そうなってしまえばそれを幸いと、王妃殿下は追っ手を遣わしてシオリや私の命を狙うと予想されていた。
自国では無理でも、他国なら人目を気にせず手を出すこともできるのだから。
そして、彼らの動きをシオリが止めた後、私たちが転移門を使う段階になって、魔界で暮らしていた私の数少ない友人の一人であるミヤドリードという名の女性は、このまま彼らを隠して、自分は足止めをすると言っていた。
その時の笑顔。
様々な忠告。
そして……。
「あれは……、幼かったとはいえミヤドリードの行動を予測できなかった私たちのミスです」
「貴方のミスじゃないわ。あれは私のミスよ」
もう少し考えれば良かったのだ。
せめて、「転移門」についての知識をもっと知るべきだった。
知る機会は何度もあったのに、私が知った最も大事な特徴は、それを使う直前だったのだ。
「千歳さま……」
「な~んてね。暗くなったって仕方ないわ。もう起こってしまったことだもの。同じ失敗をしないことと、この命と栞の命を大切に守りきることこそがあの子……、ミヤへの供養よね!」
努めて明るくそんなことを口にした。
後悔したって始まらない。
もう既に起きてしまったことは元に戻らないのだから。
ただ……、それでも……、あの日あの時、自分のとった行動が、自分の選んだ道が、娘にとって良かったのかは未だに分からないままなのだけど。
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