翼の生えた大蛇
―――― 夢を視た。
いつかどこかで見たことがある豪華な部屋の中で、槍や杖を構えた人たちの姿があった。
その恰好は不揃いで、団体としての統一感がないように思える。
でも、重鎧や軽鎧、胸当てなんかを付けているので、この人たちは傭兵の集まりみたいなものなのだろう。
―――― 駄目だなあ。
意識だけの存在は、その場を一目見るなりそう思った。
集まっている人間たちの顔色は、一様にして悪い。
折角の長い槍や杖も力なく震え、腰は引けている。
少しでも大きな音を出しただけで、この場は乱れてしまうことだろう。
そんなに兵法の知識がなくても、客観的に見て極度の緊張状態にあると分かる状況では、実力があってもその力をほとんど出すことはできない。
素人目にも、勇ましいとは程遠く、頼りない印象に映った。
この場には槍や杖を持つものばかりで、剣を握っているものはいない。
実戦では剣より、槍の方が、敵対する相手との距離もとれる。
だから、実際の戦場では、剣はとどめを刺すときとか、首や耳など身体の一部を取る時ぐらいしか使うことはないと聞いたことがあった。
それらも火薬の出現によりその常識も変わるのだが……。
だが、火薬の前に活躍していた弓は、この場にはないように見える。
遠距離攻撃の基本だというのに……。
―――― まあ、どんな武器でも無意味だってことなんだろうね。
姿が見えない、本来なら、その場にいないはずの傍観者は他人事のようにそう思った。
実際、自分の身には何も関係がないのだ。
手出しもできない。
口出しなども無理な状況。
できることは、この場を何も言わないまま、見守り続けることだけだろう。
この部屋には今、身動きできるのかと思うほどの数の傭兵たちと、彼らに守られるように立っている金色の髪の少年の姿があった。
しかし、あの場所は悪い。
少年は、大きな窓に背を向けている。
そして、その部屋の入り口を塞ぐように、そこだけ明らかに世界観が違う異質で大きな存在があった。
大きく太く、そして長い体には、銀色の細かな鱗がビッシリと生えている。
先ほどから放たれる数々の魔法をかき消している辺り、魔法耐性も高いのだろう。
いや、魔法が当たるたびに、その瞳の色が赤から金色に光って、体も大きくなっているので、魔力、魔法を食べて栄養にしてしまう「魔法使い殺し」みたいな性質があるのかもしれない。
そして、その長い体には大きな翼があった。
翼の生えた大蛇。
まるで、神話の中より抜け出たような存在。
―――― ケツァルコアトル……だっけ?
昔、読んだ書物にそんな名前があった気がする。
もしかしたら、別の名を持っている可能性もあるだろうし、この世界では普通に存在する魔獣かもしれない。
しかし、何よりも異質だと思ってしまったのはその大蛇の頭だった。
そこには大きなピンク色のリボンがついているのだ。
その体の大きさよりも、翼よりも、形の異形さよりも、不思議とそちらに目が自然と集中してしまう。
さらに、その結び目には丸いプレートが付いており、そこには「Michelangelo」と、書いてあった。
あまり考えたくはないが、この大蛇の名前なのだろう。
ある国の文字で、「ミケランジェロ」と読める。
……深く考えてはいけない。
槍を持った人たちが、その「大蛇」の尻尾によって激しく薙ぎ払われる。
複数の人間たちを壁や床に叩きつけるその凄まじさに、飛ばされてもいない者たちも、その身を縮こませる。
魔法も効果がないどころか、その体を肥大させていく魔獣。
槍に至っては、その刃先を掠めることもできない。
厄介なことに負の感情と言うものは連鎖してしまうものだ。
士気はどんどん低下し、戦況は「絶望」の文字しか見えない。
そして、大蛇はゆらりとその大きな体を揺らし、その鎌首をもたげる。
標的を見据えたのだろう。
ゆっくりと入り口から離れ、部屋の奥、大きな窓に向かってその体をずらす。
その視線の先には、金髪の少年の姿があった。
その姿はまさに獲物を狙うヘビそのもので、チロチロと細長い舌を出し入れしつつ、さらに距離を縮めようとしているのが分かる。
人間が使う分には広い部屋も、この大蛇にとっては大した距離ではない。
「お、お前ら、寝るな! 俺を守れ!!」
周囲に向かって少年は叫ぶが、絶対的な強者の前に立ち塞がれるような勇気ある者たちは既に、軒並み倒されている。
それでも、その立場からか少年の呼びかけに応えようと、数人が立ち上がり槍や杖を構えはするものの……、その大蛇が尻尾を軽く振るだけで、その場に転がされてしまった。
尻尾の先が掠めたかと思ったけれど、当たっていたようには見えない。
そもそも、槍はともかく、杖を構えている人が、魔法ではなく直接攻撃を選んでいることがおかしい。
槍に比べて、この場にある杖はあまり近距離攻撃にむいているようには見えなかった。
何より、転がり方もわざとらしいとしか言いようもない。
演技派の人間が見たら、呆れて笑いも出なくなってしまうようなレベルの動きだったことだろう。
それでも、倒れた人間たちは、大蛇から離れた場所でピクリとも動かなくなった。
結果として、その場に立っている人間は少年だけとなってしまった。
―――― 尻尾を振ったことによって爆風が起こったようにも見えなかった。
最初の人たちに比べて周囲に弾き飛ばされたような動きではなかった。
今の流れは床に倒れこんだという方が近い。
それに……、先に倒されてしまった人たちは、少しでも身体を動かそうとしていたのに、さっきの人たちは完全に沈黙している。
―――― もしかしなくても、死んだふりというやつかな?
少年の周囲にいた人たちは床と仲良くしながらも、その意識があるように見える。
目は確かに閉じているのだが、近づいてよく観察すると、その身体が小刻みに震えているのがよく分かった。
しかし、大蛇の狙いは明らかにその少年一人に向けられており、倒れている者たちには見向きもしない。
先ほどから何度か軽く尻尾を払ったのも、単に目的の邪魔をされたくなかったのだろう。
周りから抵抗する気配がなくなったためか、その視線は固定化されたままだ。
もし、この大蛇が少しでもその動きを止め、周囲に意識を向けるようならば、倒れている者たちもそのまま大人しくはしていなかったことだろうけど。
―――― 大蛇の尻尾攻撃って、現実にあるんだね。
意識だけの存在は、場違いにもそんなことを考えていた。
攻撃手段と言うよりも、軽く動かしただけでも、その効果は周囲を黙らせるレベル。
なるほど……、「魔獣」という存在は、本当に普通の人間よりも強いらしい。
そして、自分の身を挺してまで、主を守ろうという気概ある護衛などそう多くはない。
誰でも、我が身が一番可愛いのだ。
絶対的強者に対して無力な人間たちが逆らうことなどできるはずもない。
身を竦めて動けずにいる金髪の少年はもう既に声も出なかった。
すぐ近くには何かに操られるかのようにまっすぐそこに向かった大蛇の姿がある。
それが自分を見下ろしているのだ。
目を逸らせばその瞬間、どうなるか。
でも、そのままでも状況が変わるわけではない。
大蛇がニヤリと笑ったように見えた。
ヘビにそんな表情があるとは思えないが、意識だけの存在の目にはそう映った。
少年に向かって大口を開ける大蛇。
それでも、少年は動くこともできない。
魔法は集中力を欠けば使うことすらできないものだ。
荒事に慣れている人間たちならばともかく、こんな十にも満たない少年では身体が強張るのも仕方がないことなのだろう。
それでも、明らかに生命の危機に瀕しても、抵抗することができないほどの思考停止状態というのは考えものではあるのだが。
意識だけの存在を除き、その場にいる誰もがその次の瞬間にある絶望を想像した時だった。
「王子殿下!」
大蛇の背後から、少年を呼ぶ力強い存在があったのだった。
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