弟への警告
彼女は、通信珠を使うこと自体は忘却の彼方にあったようだが、その存在を忘れたわけではなかった。
常日頃から身につけていたのか、襟元から紐を引いて、懐にあった小さな袋を取り出す。
いつからか、通信珠は小袋に入って彼女の首から下げられていたようだ。
「魔界の服って……、基本的にちょっとした小物を収納できるポケットみたいなものがついてないんですよね」
俺の視線に気づき、そんなことを口にした。
確かに殆どの魔界人は、自分の道具を様々な形で空間収納しているため、ポケットというのは実用的ではない。
意思一つでその場に取り出す方が、自身の懐を探るより早いからだ。
だが、彼女は今のところ、魔法が使えない。
そのため、肌身離さず身につける方法を考えたのだろう。
「考えたね? これは、どこで買ったの?」
九十九の購入リストにはなかった気がする。
そうなると、彼女が自分で購入したのだろう。
「船に乗っていた時、作りました。時間はあったし、これぐらいなら不器用なわたしでも作れますから」
「なるほど、手作りか……。ちょっとだけ見せてもらえる?」
「下手なのであまり縫い目は見ないでくださいね」
そう言いながら、黒髪の少女は俺に通信珠の入った小袋を渡してくれた。
確かに魔界の既成品とは異なるものだ。
そして、よく見るとこの布に覚えがあった。
この手触りといい、質といい、おそらくは間違いないだろう。
「もしかして……、これ……、俺が渡したハンカチ?」
自分の感覚を信じるために確認する。
「……やっぱり気付きますよね。ううっ。申し訳ありません。もらって早々、石がとれて穴が空いちゃったんです。汚れの方はなんとか取れたんですけど……、石の方はなかなか難しいらしくて……」
気まずそうに目をそらす彼女。
どうやら、俺があげたものをリメイクしたことに少し罪悪感があるらしい。
だが、俺としては元々「御守り」として渡した物だった。
それも、九十九があのクレスノダール王子殿下から買った「装飾品」を渡す前のことである。
流石に、あの「御守り」がある今となっては、他の簡素な物を渡すことはできない。
その護石である魔石が取れたということは、彼女を守るという役目を果たして、砕け散ったということだろう。
小さい魔石だったために、強い魔気に中てられて砕けたと思われる。
役目を果たしたのだから何も問題ない。
そして、「御守り」に使われるような布や魔石にも相性というものがあり、それに合うものがなかなか見つからないというのは分かる。
あの石も布地もセントポーリアで特注し、それをグロッティ村の職人に依頼して加工したものだから、その辺りで購入できるものとは少し異なる。
アレに替わるものを見つけるよりも、新しい物を探した方が早いだろう。
布地にも多少の守りはあったが、それでも今、彼女の左手首に付いているモノに比べるとかなり劣ったものである。
何より、大半の「御守り」は、王族の血が流れる精霊使いが金属加工し、さらに大神官が法力を込めるというある意味では国宝級となってもおかしくはない本格的な「御守り」に敵うはずもない。
だから、てっきりもう捨てられていると思った。
普通の魔界人は、「修復魔法」を含めて直す方法が見つからなければ諦めるものだから。
さらに作り直して他の用途に使うなんて考えもしないだろう。
彼女のことだから、そこに他意はない。
ただ勿体無いから再加工しただけのことだ。
だが、こんなことを弟のような異性に免疫のない男たちが見たら誤解をしてもおかしくない行為だとは思う。
人間界でも、ちょっとしたものを「貴方がくれた物だから肌身離さず持っておきたい」とあらゆる手段で身につけようとする女性も少なからずいた。
彼女たちの言いたいことは分からなくもないが、それを当人に伝えるというのはあからさまなアピールだなと思ったものである。
しかし、事務的に手渡しただけの学校の連絡事項が書かれたわら半紙で、飾り玉を作り、髪の毛で繋ぎ合わせて装飾品としていたモノは、もはや、呪いの域に入る気がした。
流石に相手は人間といえ恐怖を覚えたので、内々に処理させていただいたが。
強い想いが魔法の基本だ。
人間界に広がる占いやおまじないと呼ばれるものだって、正式な手順で素養のある人間が使えば効果が出るものだって多々あったのだから。
「やっぱり、あまり良くないことでしたか? も、申し訳ありません! 水尾先輩には石があれば大丈夫って言われたけど、九十九にも楓夜兄ちゃんにもこれは修復が難しいって言われて……。ああ、やっぱり先に伝えれば良かった……」
そんな呼びかけで、俺は正気に返った。
どうやら、意識がどこか遠くにあったらしい。
不甲斐ないことだ。
慌てている様は小動物のようで可愛らしくあるが、本気で困っている人間をそのままにしておくわけにもいかないだろう。
「謝る必要はないよ。それは栞ちゃんに渡した物だ。再利用でも処分でも問題ない。このハンカチだったものも役目を終えて捨てられてしまうよりは、新たに第二の仕事ができるのなら本望だと思うよ」
そう言いながら、手にしていた小袋を彼女に返した。
布地本体は既に本来の護りの効果が薄れているようだが、黒髪の少女は魔力を解放した後も律儀に肌身離さずに持ち歩いていたのだろう。
今では彼女の魔気を纏っていた。
つまり、すっかり「印付」はされているようだ。
「人から頂いたものを簡単に捨てられるほど、思い切りの良い人間じゃありませんから。貧乏性なんでしょうね。どうしてもギリギリまで使いたくなってしまいます。母子家庭だったせいもあるんでしょうけど……」
彼女は人間界にいた時、母一人娘一人でずっと生活していたと聞いている。
母親が人間で、血族とも会うことができていたのだからそちらに身を寄せればよかったのに、それをしなかったのだ。
その理由は、チトセさま曰く「田舎は過干渉、好奇心旺盛、保守的で排他的だから」とのこと。
それは、父親不明の母子家庭の母娘という存在は、娯楽が少ない地域にとって、格好の餌となる可能性を示唆している。
記憶を封印していた以上、多くを語ることもできなかったため、仮に血族の元へと行っても、肩身の狭い思いをすることになったのは間違いない。
最低限の親戚関係を維持しただけでも称賛すべきことだろう。
それに、下手に実家へ身を寄せて、再婚などしていたらかなり面倒なことになっていた可能性も高い。
尤も、その時は、陰ながら阻止させていただいたことだろうが。
俺は、彼女たち母娘について、弟のように根拠のない確信は持てなかった。
それでも、似ているというだけで、思うところはあったのだ。
それならば、できる限り気に掛けるのは当然のことだろう。
「無駄にしないのは美徳だよ」
俺がそう言うと、彼女は困ったように眉を下げる。
「雄也先輩はわたしに甘すぎですよ。たまにはちゃんと注意してくださいね」
正直な感想を口にしたつもりだったが、おべっかと思われたようだ。
「定期的に注意はしているつもりなんだけど……。今日だって、怖い思いをさせてしまったぐらいだったし」
「あれは、わたしへの注意ではなく、九十九への警告だったでしょう? 確かにビックリしましたけど、そ~ゆ~ことなら仕方ないって思いました。それに、わたしに本気で警告するつもりだったなら、九十九がいない時を狙うと思うんですよね」
それは確かに。
彼女だけに警告するなら、あのまま拉致してからもっと驚かせた方が効果的だったことだろう。
でも、それをする気にはならなかったのだ。
「では、そろそろ九十九を呼びますね」
そう言って、彼女は小袋から通信珠を取り出した。
「それ、貸してくれる?」
「え? あ、雄也先輩が呼びかけます?」
彼女は何の疑問も持たず、俺の右手に通信珠を置く。
この通信珠は普通の珠同士のやり取りとは違い、九十九の頭に直接呼びかける特別性のものだ。
その感度は通常の物よりも高く、眠っている状態でもその意識に呼びかけてしまうとんでもないものである。
さて、彼女が肌身離さず持っているはずのソレに、俺が呼びかけた時、我が弟は果たして冷静でいられるだろうか?
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