見えない努力
努めて努めて。
できる限り、平静を装った。
ごく普通の会話に混ざっても違和感はないはずの言葉ではあったが、それは俺たちにとって爆弾に等しい。
その威力については先に知らされているが、起爆基準は主観であり、かなり曖昧な表現で伝えられている。
いや、ある意味分かりやすかったのだが、どうも自分の考えと基準がずれていることに気付いたのは最近のこと。
個人の裁量によって作られたものは、作成者当人の意思によって標準となる指針が異なってしまうことがある。
そのことは、この国の結界が良い例だろう。
当事者にとっては明確であっても、確認しない限り、他者にとっては不明瞭であることも多々あるのだ。
それぞれが持っている物差しは同じものではないということだろう。
そうなると、明確な線引きを調べたくなってしまうのが、自分の悪い癖である。
同時にどこまで縛り付けられているのかを知りたいという気持ちもあった。
何も分からないままというのは大変恐ろしい状態だからだ。
幸いにして、思っていたより基準はずっと緩かったようではあるが、それでも口にする瞬間は相当の覚悟を必要とした。
爆弾の制作者の性格は、道を外れているタイプではないが、内に潜む激しい感情を圧し殺すことができる人間だった。
それが発揮される場面はかなり限られているが、それでもその姿を知っている身としては万一のことを考えてしまう。
その意に沿わねば、身を持って思い知らされることだろう。
大人しく見える龍にだって、逆さの鱗は生えているのだ。
勿論、目の前にいる少女にそのことを告げる気はない。
知れば、彼女は確実に心を痛めてしまうから。
そうでなくても、責任感が強すぎる少女なのだ。
それらを背負うのは自分たちであって、彼女の知らないところで勝手にされた約定まで気にかけることはない。
「雄也先輩?」
「大丈夫。ちゃんと聞いてるよ」
自分が心ここにあらずという状態だったことに気づいたようで、彼女は不思議そうな顔で俺の名を呼んだ。
「つまり……、栞ちゃんの危機感を煽るために、九十九が足を払ったってことだね?」
「はい。確かにわたしに隙があるのは認めますが……ものの見事に払われました」
倒した場所を見る限り、九十九が心配していたのはそういうことではないと思う。
だが、そのやり方が悪かったためか、残念ながら弟の決意を込めた意思は彼女に全く伝わってないようだ。
しかし、歯牙にもかけられていないというのは、ある意味、男としては気の毒な話である。
それでも、俺相手にいつもと違う緊張感が漂っている気がするので本当に無意味だったわけでもないだろう。
城下で彼女を怖がらせてしまったためかもしれないが、他にも別のハプニングがあったのかもしれない。
その部分も少し気になったのだが、ここで彼女に確認するよりは、素直に傍にいた弟を締め上げたほうが確実である。
意外に思われるかもしれないが、彼女は尋問にかなり強い。
質問者が聞き出したい答えばかりではなく、逆に隠しておきたいことを引き出されてしまうこともあるのだ。
見た目や言動が無防備で無害に見えるが、その実、かなり強かだったりもする。
先程のように勘が鋭く、頭の回転も悪くないため、一見無関係な情報同士の点を線として繋ぐこともできてしまう。
さらに相手からの情報の引き出し方が、俺と違って面白いのだ。
相手も何故言わされたのか分からないような毒気を抜かれる自然な手口。
だが、何も考えてない天然ボケの一種というわけでもなく、彼女が意識して意図的にやっている部分もあるところが恐ろしい。
そんな絶妙なさじ加減は俺にとって尊敬の域であった。
そして、それはとても真似できるような代物ではない。
「しかし、アイツにも困ったもんだね。守るべき対象を転がすし、放っておくし」
「でも……、わたしも『なでなで』で報復してしまいましたし……」
彼女自身は「報復」と言うが、それは十分立派な「ご褒美」である。
普通は、自分より身分が高い人間から触れられる機会というものはあまりない。
育った環境というのもあるのだろうけれど、本当に彼女は偉ぶることもなく、俺たちを気にかけてしまう。
これは美点でもあるが、最大の弱点でもある。
万一、俺たちを人質に取られたら、そのまま相手の言うがままになってしまいそうで怖い。
勿論、そんな状況にしないのも俺たちの役目であるが。
「その辺は栞ちゃんが気にしなくても良いよ。労いのつもりだったんだろう?」
「労い半分、仕返し半分くらいです」
「正直だね」
「事実なのでしょうがないです」
そう言いながら黒い髪の少女は、はにかみながら笑った。
「でも、そろそろちゃんと今後のことを話したいところだな。九十九を通信珠で呼んでくれる?」
「あ。その手がありましたね」
そう言いながら、彼女は両手をあわせる。
最近、毎日のように隙なく愚弟が張り付いていたから通信珠を使うことを思い至らなかったらしい。
水尾さんか大神官、俺がいるためにヤツと二人きりになることもほとんどないのだが。
彼女が魔力の封印を解いてから、明らかに九十九が彼女から距離を取らなくなった。
正直、見ていて鬱陶しいぐらいだ。
確かに目に見える位置にいた方が護衛をしやすいとは思うが、それは守る側の理論であって、四六時中他人が自分の意思とは無関係に目の前にいる生活というのは気が休まらないだろう。
生まれながらの貴族、王族ならばそのことは問題にならない。
周りに下人がいるのは自然なことで、それらの人間は空気のような存在として扱われるものだ。
中には房事すら側に控えさせる剛の者もいる。
身分の高い人間という者は、ある程度、他者に対して鈍感でなければならないらしい。
しかし、彼女はその身に流れる血こそ高貴であるが、人間界にてごく普通の一般人として生活していた。
他人の目が常に自身に向けられているような状況に慣れているはずがない。
百歩譲って自身への監視を享受していたとしても、最近の九十九はやや過干渉だ。
その状況は、かなり居心地が悪いと予想する。
封印を解呪してから、彼女は生活の大半を魔気の制御という名目で、魔法国家の王女のストレス解消に付き合っている。
そのため、生傷が絶えず、治癒魔法が使える九十九が傍にいることは問題にならない。
だが、少々の傷でも即座に治癒魔法を施すのは、彼女にとって面白いことではないらしい。
露骨に眉を顰め、時には治癒魔法を躱そうとまでしたそうだ。
そうなると九十九も意地になり、そんな状況打破を考えた結果……、なんと多少離れた距離でも治癒効果が届く魔法を使うようになったらしい。
これにはかの魔法国家の王女殿下も驚き、その場で突っ伏して笑ったとか。
治癒魔法は基本、対象への接触する方法が一番効果もあり、一般的である。
ある程度の術士になると他の魔法との融合で、遠方や広範囲にも影響を与えることができるようになるのだが、九十九の場合はイメージだけで治癒魔法を進化させたため、通常の融合魔法とは異なる。
相手に簡単に避けられないようレーザーのように放出し、治癒魔法の効果を発揮させることができるようになったそうだ。
勿論、接触よりは効果が落ちるようだが、それでも多少の傷を癒せるならかなり使える場面は増えるだろう。
魔法国家の王女の攻撃を捌きつつ、離れた場所からかなりの速さで飛んでくる治癒魔法をよけるという技術はまだ彼女にはないため、不満度は上がってしまったようだが。
ただすぐに治癒魔法を使いたくなる九十九の気持ちも分かるため、この件に関して俺は静観するつもりだった。
鍛錬のために仕方がないとはいえ、護衛対象に傷を負わせた状態というのは自分たちの、無能さを証明されている気分になる。
本当に僅かな傷も許しがたいのだ。
尤も、それは俺の考えであり、あの弟が同じ気持ちかどうかまでは分からない。
しかし、これについてはお互いに妥協点を探さなければ、彼女のストレスが溜まる一方だろう。
このまま、お互い新たな進化を見せてくれることに期待しても良いが、それについては、圧倒的に九十九が有利かもしれない。
彼女は魔法国家の王女の攻撃を避けることが、再優先事項なのだから。
いろいろと悩ましい話だと思うが、面白いからある程度は見守ることにしようか。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




