深層魔気と表層魔気
「今日みたいなこと……、できれば止めてくださいね。心臓に悪すぎます」
雄也先輩に向かってそう言ったのは、正直なところ、わたしにとっては一種の賭けのようなものだった。
実際、あれが本当に彼だったかは断言できない。
状況を考えるとその可能性が高いってだけだ。
明確な証拠があるわけではないから、彼にとぼけられたら追及をするのは難しい。
そんなわたしのいろいろな考えを越えてくるのがこの人だったことを忘れていた。
少し、考えるような仕草をしつつ、笑顔で彼はこう返答したのだ。
「どの件に関して……かな?」
なんと!?
そう言葉を返されることは完全に予想外だった。
しかも、「どちら」という言葉ではなく、「どの」ってことは、3つ以上の心当たりがあるってことだ。
一方、わたしの方にはそんな驚かされた覚えはない。
え?
どこからどこまでがこの人の手の上なの?
「じょ、城下でわたしを背後から捕まえた件……です」
自分の顔がぎこちなくなっているのがすっごくよく分かる。
こんなの無理だ。
何を言われても動揺しないってどんな修行をすればできることなのか?
「ああ、その件か……」
しかも、あっさり認めるし!
いや、誤魔化されたりしなかったのは良かったと思うべきなのだけど、どこかこう、納得できないのがあるのってわたしだけ?
「そ、それ以外にも何かあったのでしょうか?」
「内緒」
「ぐぬぅ」
やはりそこは素直に教えてくれる気はないらしい。
いつものように良い笑顔で、良いようにあしらわれてしまった。
悔しさのあまり思わず変な声が出てしまったが、仕方ない。
「なんで気付いたのかを聞いても良い?」
そう雄也先輩に問われて反射的に「嫌です」と言いかけた。
でも、わたしとしてもはっきりと証拠の提示ができるわけでもない。
証明する手立てがないわたしを、言いくるめることも簡単にできるこの人が、誤魔化さずに答えてくれたのだからそれに応えるべきだろう。
「勘……って言ったら怒りますか?」
なんの根拠もないのだから、これが理由としては一番近い気がする。
「それはないな」
ところが、雄也先輩はわたしの答えをあっさりと否定した。
「栞ちゃんは思慮深い子だからね。何の確信もなく唐突に相手を追及しようとはしないだろう」
「そ、それは買いかぶりですよ」
わたしは慌てて雄也先輩に反論する。
わたしは思いつきで行動してしまうことが多い。
だから、九十九にもよく注意をされているのだ。
そう考えれば、「思慮深い」とは対極の位置にいる。
だけど、雄也先輩は笑顔を崩さなかった。
「じゃあ、九十九を簡単に出し抜ける人がそんなにいるとは思えない……という理由なら納得していただけますか?」
「それこそ買いかぶりというやつだね。九十九ぐらいなら、割とどこにでもいるよ」
「相手が侮っていたとはいえ、魔法国家の聖騎士団の一部を翻弄できるような少年が、そんなにあちこちいるとは思えませんが……」
そんなことを聞いたら水尾先輩が怒り狂いそうだ。
それに、本当にどこにでもいるような平凡な少年を、単独でわたしの護衛にするなんて、例え国王陛下や母が許しても、この人自身が許してくれないと思っている。
なんだかんだ言っても、雄也先輩は九十九の能力を信用してはいるのだろう。
「この国の結界も特に反応はしなかったし、何より、わたしの自動防御が発動しなかったというのは大きいでしょう」
封印解放後、わたしは魔法国家の王女殿下直々の指導により、ちゃんとした魔法は使えなくても、魔気による自動防御の精度は増しているらしい。
残念ながら自分ではそれがよく分かっていないので、水尾先輩の言葉と反応、表情から判断した限りのものではある。
「それだけ?」
うぬぅ。
間違いなく的確に誘導されている。
……というか、全てを見透かされている感がひしひしと伝わってくる。
半端な誤魔化しを許さない黒い瞳。
九十九の真っ直ぐな瞳はもともとある罪悪感を刺激してくる感じがするけど、雄也先輩の瞳は悪いことをしていなくても落ち着かない心境にさせる。
どちらにしても、相手の深層意識を強調するという意味では大差はないのだけど、居心地の悪さは桁違いだ。
「一番の理由は……匂いです」
「え? 俺って臭う!?」
心底意外そうな反応が返ってきた。
いかにも少年って感じの九十九と違って、雄也先輩は紳士っぽいから周囲に対して、しっかりバッチリといろいろと気を遣っているのかもしれない。
だから、わたしの言葉を気にしてしまったのだろう。
「いえいえいえ!! そういった意味じゃないんですけど!!」
わたしは慌てて否定する。
「うまく言葉に出来ないんですが、石鹸とか香水とかの香りとは別種の匂いがした気がするのです。体臭って感じでもなくって……。いつもってわけじゃないからこう、なんと表現すれば良いのか自分でもよくわかんないんですけど」
人間界では国語、それも現代文は自慢じゃないが、得意教科だった。
でも、こんな時、適切な表現が何故か見つからない。
作者の気持ち……、というか出題者の意図は分かっても、自分の中にあるモヤモヤっとした感情を外にうまく吐き出せないのだ。
これでは何のために文語表現を学んだのかさっぱり分からない。
もっと勉強する必要があるってことなんだろうけど。
「香りとは別種の匂い……。ああ、なるほど。これは確かに動かぬ証拠というやつだね」
それでも、雄也先輩は何故か伝わったようで、どこか納得したように肩をすくめた。
「因みに匂いは一種類だった?」
「いえ、違います。わたしの口を塞いだ手と、多分、服の持ち主の匂いは違う人だと思いました。多分、恭哉兄ちゃんの……いえ、大神官さまの服……だったのかな……と」
「その通り。この国では見習いとは言え神官の服なんてツテがない限り手に入れることはできないからね」
他国ならともかく、と雄也先輩は付け加えた。
どうやら、この国では神官に変装するというのは難しいらしい。
因みに、九十九の場合、黒幕を欺くために追い剥ぎをした。
まあ、平和的ではないけれど、敵陣に乗り込むための常套手段といえる。
でも……、大神官である恭哉兄ちゃんが見習いって……大分、昔の話じゃなかったっけ?
わたしと初めて会った時は、既にナントカ神官とかいう偉い役職名が付いていたという話だったし。
どんな事情があるんだろう。
「しかし、まいったな。今の栞ちゃんに半端な変装は通じないってことか」
「ど~ゆ~ことですか?」
匂いなんて簡単に誤魔化せそうな気がするんだけど。
特にこの人のことだ。
わたしが考えもつかないような方法をいっぱい知っているだろう。
「栞ちゃんが感じ取ったのは体臭とか香水のような後付の香りではないんだ。魔気をある程度変化させても気づくってことは、深層魔気と呼ばれるやつだと思う。普段、魔界人なら誰の目にも見えるのが表層魔気と言われるものだね」
「しんそ~魔気と、ひょ~そ~魔気?」
ぐぬぅ。
毎度ながら魔界独自の特殊用語に関しては文字が分からぬ。
特に「真相」? 「心操」? 魔気ってやつ。
先に「心臓麻痺」という言葉が頭に浮かんでしまったせいだろう。
そして、もう一つ。
「ひょうそう」……、「氷槍」は多分違うよね。
あ、でも、「神槍」だとかっこいいかも。
「表層魔気は日頃表面に出てくるもの。これは魔力そのものだから流れを少し変えるだけで誤魔化すことができるんだ。封印もだけど、ちょっと強い魔法具とかを身につけるとかね」
表面ってことは……、「表装」……?
いや、「表層」の方かな?
「深層魔気は生命力に近いと言われている。魂という人もいるけれど、詳しいことは分かっていない。詳細の研究が進んでいないから、深層魔気の感じ取り方によっては誤魔化すことは難しい」
「魔気にもいろいろあるんですね」
わたしも魔力の封印が解除されたためか、魔気はある程度視えるようになったと思う。
でも、それとは別に匂い……とは……。
「参考までに……、その匂いはどのくらいの距離で分かる?」
そう問いかけられて、わたしは考えてみる。
雄也先輩や恭哉兄ちゃんの匂いに気づいた距離。
それは……。
「2……? いや、1メートルくらい?」
正直、かなり接近しなければ分からないだろう。
雄也先輩はさっき、近付いたし、恭哉兄ちゃんは横に並んだから気付いたのだ。
あれ?
さっきもこの匂い嗅いだ気がするって。
「…………もしかして、気付いたのはさっき?」
「はい」
恭哉兄ちゃんの方も確信してはいなかったし、雄也先輩に関しては例の「なでなで」がなければ匂いの記憶も薄れ、そのままずっと気が付かずに過ごしていたかもしれない。
いや、匂いに覚えはあったのだから、いつかは気付いたかもしれないけど……。
因みに九十九は除く。
多分、もっと遠い距離でも彼だけはちゃんと分かるだろう。
わたしの答えを聞いて、雄也先輩は右手で額を押さえて上を向いた。
「九十九のことは言えない。俺も日和っていたということだな」
そんなにショックな事だったのでしょうか。
でも、確かにわたし如きに見破られたというのは雄也先輩にとっては悔しいことなのかもしれないね。
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