少女が持っているもの
「なんか今、九十九によく似た生き物が、凄い勢いでこの部屋から飛び出して行ったのが見えたんだけど……」
開け放たれた扉を閉めようとした時、通路からそんな声が聞こえた。
「あ、九十九本人です」
わたしは雄也先輩の姿を確認してそう答える。
「アイツ……、また何かしでかした?」
なかなか手厳しいお言葉である。
でも、今回の件に関してあまり九十九は悪くない気がする。
いや、勿論、わたしも悪くないですよ?
多分。
「どちらかと言うとやってしまったのはわたしの方……と言う気も……」
「詳しく話を聞いても良いかい?」
雄也先輩にそう言われて、わたしは少し迷ってしまった。
さっき、九十九がこの部屋でやってくれた悪ふざけ。
あれが頭の中にこびりついて離れないのだ。
それでなくても、雄也先輩と九十九は兄弟だけあって似ている。
意識するなという方が無理だろう。
だからといって、話の内容的に、雄也先輩をこのまま部屋に入れず、通路で話すのも抵抗があった。
では、どうしよう?
結局、わたしが少しくらい考えたって新たな妙案が浮かぶわけもない。
下手に誤魔化して、雄也先輩に余計な不信感を持たれるよりは素直に部屋に入れた方が良いだろう。
それに……、わたし自身、彼に確認したいことがあったし。
「少し、部屋が散らかっていますが……」
そう言いながら、わたしは雄也先輩を部屋に案内する。
部屋は先ほどまで九十九とお茶をしていたために食器が出しっぱなしになっているし、少々暴れたために、寝具も少し乱れていた。
……うん。
だらしない娘と思われても仕方がないね。
お掃除とかはあまり好きな方ではないけれど、この部屋は恭哉兄ちゃんを始めとして、人が出入りするので、ある程度整えていた。
自分の部屋ではなくて、借りている部屋ということもある。
でも、今回は片付ける暇すらなかったから申し訳ないが、申し訳ないけど雄也先輩には目をつぶって貰おう。
だけど……、雄也先輩は部屋に入るなり目をつぶるどころか目を見開いた。
「……話を聞かせてもらえる?」
ゆっくり扉を締めながら、雄也先輩は再びわたしに問いかける。
「九十九は何をした? 栞ちゃんがアイツを庇う必要はないよ」
なんだろう。
雄也先輩は笑顔だし、口調も穏やかなのに妙に怖い気がする。
「ほ、本当に九十九が何かをしたわけじゃないんです。そのちょっと……、わたしが『なでなで』を少々やっただけで……」
「……は?」
うまく伝わらなかったのか、雄也先輩の目が点になった。
あれ?
「なでなで」って一般的な言葉じゃないっけ?
幼児語だから?
いや、もしかして実は、方言だったとか?!
「な、『なでなで』……って……。あの……、頭を撫でる行為ってことで良いかな?」
「ああ、はい」
良かった。
伝わってはいるみたいだ。
でも、雄也先輩はどこか複雑な顔をしている。
「この国の王女に会った際、わたしは従者に対して労いが足りてないと言われまして……」
「ああ、王女殿下には無事、会えたのだったね」
城下で見習神官たちから追われて、袋に詰められた状態で九十九に担ぎ上げられた状態での再会を無事と言って良いものか。
さらには衣服を切り刻まれた。
あれもある意味無事とは言い難い気がする。
いや、確かに身体はほとんど傷ついていないんだけど。
「ああ、労いの意味で、九十九を撫でたってことで良い?」
正しくは驚かされた仕返しという意味もあった。
でも、彼にあんな形でお礼を言ったことは今までになかったと思う。
「わたしにできるお礼なんてそう多くはないですから」
わたしは自分が何も持っていないことは知っている。
彼らがわたしの護衛をしてくれているのも人間界での縁ではなく、セントポーリア国王陛下の命令だということも。
勿論、国王陛下から報酬を受けているのも理解している。
そして、彼らからわたしに与えられるものは全て、国王陛下の財産の一部であり、国王陛下の意思が込められたものなのだろう。
だから、それらを使ってお礼をすることは全く考えられなかった。
自分の財産は今も昔もこの身体のみ。
厳密に言えば、それすらもセントポーリア国王陛下より与えられた血肉であるような気もしないでもないけれど、そこはそれ。
これぐらいは自分のモノってことでよいだろう。
身を守れるほどの強さを持っている大人だって、財産を失くして野盗になってしまうようなこの世界で、封印が解けたというのに、未だに自分の身を守るための基本的な魔法すらまともに使えないわたしを、その身を呈して守ってくれる彼らに、何もできないというのがずっと嫌だったという気持ちもあった。
「つまり、その栄誉は俺も受けられるものってことで良い?」
「は?」
雄也先輩の言っている意味がよく分からなくて、わたしは思わず聞き返す。
「なでなで。俺も貰える?」
どうやら自分の聞き間違いではなかったようだ。
「……雄也先輩に? わたしは構いませんが、雄也先輩が嫌じゃないですか?」
確かに労いというのなら、九十九だけではなく陰ながら支えてくれている雄也先輩にこそ必要だろう。
わたしが魔界という異世界でも不自由なく生活していられるのは、間違いなくこの人のおかげなのだから。
「嫌? どうして?」
「わたしが年下だから……でしょうか。あまり男の人って年下の異性からこんな扱いはされたくはないかな、と」
お子様扱いする気はないけど、頭を撫でるというのはそんな感じに受け取られてもおかしくはない行為だ。
「まあ、やってみて」
そう言って、カツラを外しながら、雄也先輩は椅子に座った。
笑顔でこちらを見ているところを見ると、どうやら、本気らしい。
それならば、わたしも腹をくくるしかない!
雄也先輩の頭にゆっくりと手を置いて動かすと、雄也先輩は目を閉じてくれた。
ふわりと九十九と違うものがわたしの鼻に届く。
「いつも……、ありがとうございます」
あの時の九十九と同じように、お礼も言う。
でも、何故だろう。
九十九にした時よりすごく緊張していた。
九十九はカツラの上からだったけど、雄也先輩は地毛だから?
いや、単純に同級生にするか、年上の異性にするかの違い?
何よりも、こんなのでお礼になるのだろうか?
頭がなんだかぐるぐるしてしまう。
「うん、ありがとう」
そう言って、雄也先輩は目を開ける。
どこで手を止めて良いのか分からなかったけど、当人がそう言ってくれたので本当に助かった。
「なるほど……、これは良いものだ」
何故か、しみじみと言う雄也先輩。
「雄也先輩は頭を撫でられるのは平気な人なんですね。男の人は嫌がるイメージがあったのですが……」
だから、九十九に対してお礼を兼ねた仕返しとして選んだ行為だったのに。
でも、二人の反応を見るとあんまりマイナスって感じはしない。
どちらかというと好意的って感じ?
「俺は平気だけど、個人差はあるだろうね。人間界でも頭を撫でる行為は国によって禁忌だったりしたし」
ああ、そうか。
国によって慣習は違う。
その部分は気をつけないといけない。
九十九たちにそういったものがなくて良かった。
知らない間に、相手にとって嫌な行為をするって良くないからね。
「九十九はどちらかと言えば苦手だと思っていたんだが……。チトセさまやミヤドリードが頭を撫でようとすると逃げていたからね」
ああ、母は頭をよく撫でてくれた。
だから、労うという言葉で最初に浮かんだのはそれだったのかもしれない。
たまに抱きしめられもしていたが、それは親だからこその行為で、わたしが彼らにするのは何か違う気がする。
「わたしも九十九は嫌がるかと思っていました。『子供扱いするな! 』って怒るかなと」
「でも、違った?」
「はい……。見たこともない顔を見ました。気を緩めているというか……」
今までにあんな表情を見た覚えはなかった。
特に最近は、どこか不機嫌そうな顔をしていることが多かったから余計にそう思うのかもしれないけど……。
「ふむ……。まだ腑抜けたままか」
相変わらず辛辣なお言葉である。
だけど……、その言葉を聞き逃すほど、わたしも甘くはないつもりだ。
「あの……、雄也先輩にお願いがあるのですが……」
「なんだい?」
雄也先輩は、わたしに笑みを向ける。
わたしがこれから何を言うか、分かっているのだろうか?
でも、この表情からは分からない。
「今日みたいなこと……、できれば止めてくださいね。心臓に悪すぎます」
そう言って、わたしは雄也先輩に精一杯の笑みを見せるのだった。
中途半端な所で終わっている気がしなくもありませんが、この話で第22章は終わります。
次話から第23章「今に繋がる過去の話」です。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




