少年は反撃に遭う
オレは彼女の腕を引き寄せ、そのまま身体を力強く抱き寄せる。
高田にここまで警戒心というものがないのは、そういった方向において怖い目にあったことがないからだと思う。
命を狙われるような危機は何度も遭ったが、彼女自身がそういった対象で見られたことはないのだろう。
そのこと自体が悪いとは思わない。
だが、意識が今のままではオレが困る。
意識がある状態で、初めて正面から抱きしめた彼女は、見た目以上に小さくて、そしてかなり柔らかかった。
オレの両腕に抵抗なくすっぽり収まっている。
あまりにも柔らかすぎて、力加減を気にしなければ、このまま潰して中身が出てしまうかもしれない。
そう思って、オレは少しだけ力を緩める。
その時だった。
どんっ!!
胸元に見事な掌底が叩き込まれ、思わず、よろめいた。
「あ……」
高田は自分の両手を信じられないものを見るように見つめた後……。
「ご、ごめ……」
謝ろうとした。
お前が謝らなくて良い。
そんな必要はどこにもないんだ。
だから、そんな顔をすんな。
オレがそう仕向けたのだから。
だが、望んでいた反応が得られて、オレは思わず、高笑いをしていた。
言っておくが、抵抗されて悦んだとかそういう変態的な感情ではない。
ただ、本当に嬉しかったのだ。
「つ、九十九?」
いきなり笑いだしたオレの様子を窺うように、高田が呼びかけてくる。
オレが笑いをピタリと止めると、彼女は少し後ずさった。
その反応は、明らかにオレに対して警戒をしている。
それだけのことが、不思議と嬉しい。
「安心した」
「は?」
「いや、最近、あまりにも男扱いされてなかったので、少し自分の性別に自信がなくなっていたところだったんだ」
「十分、男だよ」
オレの言葉を否定しようと高田が反論する。
「身体つきだってがっしりしてる。最初にぎゅっとされた時も腕が力強くって逃げられそうになかったし……」
そこまで言って、彼女は言葉を止め……、分かりやすく顔が蒸気していく。
なるほど、これは楽しい。
「すっげ~、紅いぞ、顔」
「分かってるよ! でも、仕方ないでしょ!? わたしは九十九と違って、彼氏がいたこともないんだから!!」
「いや、オレも彼氏がいた覚えはないのだが?」
作ろうとも思わない。
オレは男に興味はないのだ。
「彼女がいたことあったでしょ!? そんな九十九と一緒にしないでよ。わたしは慣れてないんだから」
慣れてないのは分かっている。
分かっているからこそ、オレは行動に出てみたのだ。
「……寂しい人生だな」
「うるさい! しみじみ言うな! 彼女がいたからってそんなの自慢にならないんだからね!」
先ほどまでのどこか他人事のような雰囲気が全くなくなった。
言葉に感情がこもっている。
「自慢する気はねえよ。結局、うまくいったわけじゃねえし、短期間だった。それに……、オレだって慣れてるわけじゃねえぞ」
「嘘だ! さっきの抱擁は手慣れてた!」
兄貴と一緒にすんなよ、と言いたい。
過去に彼女というものがいたことがあるが、その相手に対して、さっきみたいに正面から抱きしめたことなんて一度もない。
キスしたことはあるが、あれは向こうが不意打ち気味にしてきただけで、オレからしたわけじゃなかったんだ。
……いや、良い経験はしたと思ってるけど。
「あのなあ……。お前だって結構、慣れているようにくっついてくるぞ?どんだけ、人を枕にしてんだよ」
男じゃなくて枕。
これは結構酷いだろう。
せめて生命がこもっているものの扱いをしてほしい。
ああ、船の中では座椅子になったこともあったな。
「でもでもでも! 本当に慣れてないんだから、こ~ゆ~からかうようなことは止めてよ!」
「からかったんじゃなくて、試しただけなんだが……」
「金輪際、禁止!」
思った以上の反応。
でも……、どうやら、嫌われはしなかったようだ。
顔は真っ赤だし怒っているのは間違いないが、それでも、オレに対する嫌悪感や憎悪はないように思える。
「へいへい。でも、必要な時に触れるのは許せよ」
不可抗力で触れなければいけない場面はある。
身体を張って彼女の身を守るために、その辺りは目をつぶって欲しい。
「……ったく、さっきの袋詰めにして、抱えることには抵抗ないくせに、変なやつ」
扱いとしては袋詰めの方が酷いだろう。
しかも荷物のよう肩に担がれるとか、完全に人としての扱いをしていなかったのに。
「全然、違う!! ……って、何、ニヤニヤしてんの?」
おっと、笑みを隠しきれてないようだった。
でも、まあ、仕方がない。
こんなにも嬉しいのだから。
「単純に嬉しい。ようやく、やってやったぜ! って思ってる」
オレは拳を握りしめながら、正直な気持ちを口にした。
後にして思えば……、この不用意な言葉が、とんでもないカウンター攻撃の先端を切り開いたのかもしれない。
オレ自身が見誤っていたのだ。
―――― この「高田栞」という女の厄介さを。
「ワカに言われて気付いたけど、わたし、九十九にお礼したことってないね」
前後の脈絡もなく、彼女は突然そう言い出した。
心なしか、目が据わっている気がする。
「そうか? お前、結構、何でもないことでも礼をいっている気がするけどな」
基本的に高田はお礼を言える人間だ。
自分の立場ならしてもらって当然という考え方を持っていない。
この辺りは人間界……、というより母親である千歳さんの教育の賜物だろうけど。
「言葉だけでなく、行動で示したいけど、受け取ってくれるかな?」
なるほど……。
どうやら、やられっぱなしは嫌だということのようだ。
挑むような瞳がオレを捕らえる。
さっきの慌てぶりも嫌いではないが、オレはこちらの方が好きだ。
この力強い瞳は昔からオレを引き付ける。
「ほほう。この流れでオレにやり返そう、と?」
何を企んでいるかは分からないが、魔法も使えない状況でできることなんて限られているだろう。
「面白い。受けて立とう」
オレはその挑発に乗ることにした。
「届かないから、少し屈んでくれる?」
届かない?
その言葉を変に思いはしたが、好奇心には勝てない。
素直に少し腰を曲げる。
「目を閉じて、もう少しかがめる?」
この距離で目を閉じろ?
もしかして、顔をぶん殴る気か?
でも、それじゃあ、やり返すには弱いだろう。
何より、明確な暴力行為なら城下はともかく、この大聖堂内の結界は間違いなく作動する。
それに赤面抱擁を超えるような仕返し?
押し倒すならかがむ必要はないからキスか?
それでも、高田の性格上、口はないだろうから頬辺り?
いやいや、高田だぞ?
先ほどの反応から見ても、男慣れしていないのは間違いない。
男親もいないし、彼氏もいたことがないなら自分からくっつくことはそう多くないだろう。
オレは枕だったから気にせずいられただろうが、今はちょっとだけ男扱いされている。
だが、女って妙に思い切ることもあるからな~。
それでも、やはり先が気になって目を閉じる。
そして、高田の吐息が顔にかかるのが分かった。流石に緊張する。
いや、まだそうと決まったわけではない。
それでも……、少しだけ期待してしまうのが男ってやつなのだ。
しかし、オレの予想に反して、ふわりと頭に何か載せられた。
「いつも、ありがとね」
その優しい声色と共に、頭に置かれたものがゆっくりと動かされた。
その予想外の行動に目を開くが、たどたどしく撫でられる頭の心地よさが妙に安心感をもたらす。
何よりも、彼女の表情は見たことがないほど穏やかで慈愛に満ちていた。
まるで大切な宝物を慈しむような顔。
それがなんとなく懐かしい気持ちにさせる。
ああ、やっぱりあの子はそこにいる。
彼女の中で眠っているのだと思い、再び目を閉じて、その心地よさに身を任せようとした時に彼女の手が止まり、……そして、オレは気がついた。
先ほどまでと違って、見開かれた瞳は普段から大きいのに、いつも以上にその存在をアピールしていた。
それを見て、オレは思わず背中をのけぞらせる。
「え……っと……?」
高田がどう言葉をかけて良いのか迷っていた。
そりゃそうだろう。
オレからも言葉は出ないのだから。
オレは顔を下に向ける。
触るまでもなく耳が酷く熱い。
さっき、高田が顔を赤らめたが、オレは多分、それ以上に紅くなっている気がする。
「このどあほおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
その言葉の勢いのまま、逃げるように高田の前から逃走を図った。
自分で自分が信じられない。
完全にガキのような無防備な顔をしていたことだろう。
何のことはない。
警戒心がなかったのはオレも一緒だったのだ。
少女視点より糖度が控えめになっていると思われます。
……何故だ?
ここまでお読みいただきありがとうございました。




