少女からの反撃
タイトルはともかく、少し糖度が高めの話……だと思います。
九十九から、いきなり抱き締められ、思い切り突き飛ばしてしまった。
「あ……、ご、ごめ……」
意識したわけじゃない。
でも、自然に身体が動いてしまった。
怖かったのだ。
よく知っているはずの九十九が、全く知らない男の子みたいで。
よろめいた九十九は一瞬だけ目を見開いたが、突然、高笑いをした。
こんな笑い方は彼にしては珍しい。
いや、ここ最近、ずっと彼はこんな風に大笑いしていなかった気がする。
気難しい顔をして、何か考え込んでいたようだった。
「つ……、九十九?」
わたしが呼びかけると、彼は笑うのをピタリと止めて、こちらを見た。
また何かされるのかと思って、無意識に後ずさったが……、九十九の表情は妙に晴れ晴れしく見える。
まるで、何かが吹っ切れたように。
「安心した」
「は?」
九十九の言葉の意味がよく分からなかった。
わたしに突き飛ばされて安心とはどういうことなの?
「いや、最近、あまりにも男扱いされてなかったので、少し自分の性別に自信がなくなっていたところだったんだ」
言われてみれば、水尾先輩もあまり九十九を男として扱っていない気がする。
でも……。
「十分、男だよ。身体つきだってがっしりしてる。最初にぎゅっとされた時も腕が力強くって逃げられそうになかったし……」
そこまで言って、はたと気付く。
わたし、さっき、思いっきり九十九に抱きしめられてたよね?
何気にそれって初めてのことじゃない?
何度も手を握られたことはある。
わたしは覚えていないけれど、母の手で、一緒の布団に突っ込まれたこともあったらしい。
九十九が寝てしまった時に、膝枕だってしたことはあるし、支えとかでくっつくこと自体は何度もあった。
でも……、非常事態でもなく、不可抗力でもない時に、正面から抱き寄せられたことは覚えがない。
それを意識しだすと、途端に顔が妙に熱くなってきた。
まずい!
どうやったら、顔って冷えるの?
「……すっげ~、紅いぞ、顔」
そんなわたしの気持ちも考えずに、彼は簡単に言ってくれた。
「分かってるよ! でも、仕方ないでしょ!? わたしは九十九と違って、彼氏がいたこともないんだから!!」
人間界で九十九と交際しているふりをしたが、それぐらいだ。
それ以外では全く! これっぽっちも! 縁がなかった。
そりゃ……、思い起こせば、人間界にいた時に、旅行先で来島から抱き締められたり、セントポーリア城で雄也先輩に肩を抱かれたり、港町であの紅い髪の人にさっきみたいに抱きしめられたりしたことはある。
でも、彼らはそんなことをしそうな雰囲気を持っているから、そこまで気にならなかったのだ。
ああ、手慣れているなくらいにしか思わなかった。
でも、今回は九十九だ。
話が全く違うのだ!!
「いや、オレも彼氏がいた覚えはないのだが?」
分かっているだろうに、彼はそんなすっとぼけたことを言う。
「彼女がいたことあったでしょ!? そんな九十九と一緒にしないでよ。わたしは慣れてないんだから」
「……寂しい人生だな」
「うるさい! しみじみ言うな! 彼女がいたからってそんなの自慢にならないんだからね!」
「自慢する気はねえよ。結局、うまくいったわけじゃねえし、短期間だった。それに……、オレだって慣れてるわけじゃねえぞ」
「嘘だ! さっきの抱擁は手慣れてた!」
完全に隙を突かれた。
あれで、慣れてないとか信じられない!
「あのなあ……。お前だって結構、慣れているようにくっついてくるぞ? どんだけ、人を枕にしてんだよ」
それを言われると少し弱い。
そして、九十九を枕にしたことは、数えたことはないけれど、一回や二回じゃない気がする。
「でもでもでも! 本当に慣れてないんだから、こ~ゆ~からかうようなことは止めてよ!」
九十九は乙女の純情を弄ぶタイプには見えないから、完全に油断してた。
ええ!
悪いのは、隙だらけだったわたしってことですね?
「からかったんじゃなくて、試しただけなんだが……」
「金輪際、禁止!」
確かに護衛としてはいろいろ思うところもあったのだろう。
でも、誰でも気を許していたわけじゃない。
楓夜兄ちゃんだって、恭哉兄ちゃんだって、雄也先輩だってわたしは結構、緊張しているのだ。
「へいへい。でも、必要な時に触れるのは許せよ。……ったく、さっきの袋詰めにして、抱えることには抵抗ないくせに、変なやつ」
「全然、違う!!」
何故、その違いがわからないのだろう?
見えない状態で持ち上げられた所で見えないんだから足がつかない状態に心もとなく思うことはあっても、担ぎ上げている人のことなんて考える余裕はないのだ。
「……って、何、ニヤニヤしてんの?」
九十九がすっごく上機嫌だ。
妙に瞳の光が満ち溢れて、わたしとは別の意味で頬を紅潮させている。
「単純に嬉しい。ようやく、やってやったぜ! って思ってる」
この男……。
確かにこれまでに、彼にそう思わせてしまうほどのストレスを与えていたことは申し訳なく思うが、それはそれ、これはこれ。
このままじゃ、済ますことなどできない。
なんとか反撃の糸口は……と、考えて、わたしはあることに思い至った。
「ワカに言われて気付いたけど、わたし、九十九にお礼したことってないね」
「そうか? お前、結構、何でもないことでも礼をいっている気がするけどな」
「言葉だけでなく、行動で示したいけど、受け取ってくれるかな?」
「ほほう。この流れでオレにやり返そう、と? 面白い。受けて立とう」
九十九が挑戦的な笑みを浮かべる。
この顔……すっごく雄也先輩に似ている気がした。
うん、やっぱり二人は兄弟なんだね。
彼ら兄弟は顔の造形は似ているが、基本的に表情が少し違うのだ。
だけど、同じ表情をすれば、やはり、間違いなく血が繋がっている兄弟と断言できる。
しかし、ここで退く気などない。
後悔するなよ?
「届かないから、少し屈んでくれる?」
わたしがそう指示を出すと、九十九は少し変な顔をしたが、素直に従ってくれた。
「目を閉じて、もう少しかがめる?」
まだちょっと届かない。
少し前から身長の差が開きだしたから、この辺りは仕方がないことだ。
目を閉じた九十九の顔が間近にあった。
改めて見ると、彼はやっぱり整った顔をしている方だと思う。
この距離では今、目を開けられる方が緊張しそうだ。
互いの息がかかりそうな距離に顔を近づけて……。
「いつも、ありがとね」
そう言って、九十九の頭をゆっくり撫でた。
思ったより、九十九の黒い髪は柔らかく、ふかっとわたしの右手が沈む。
ああ、そういえば、彼はカツラを被っている状態だったなと思い出した。
猫を撫でるように慎重に優しく手を動かすと……、九十九の顔がふにゃりと融けた。
……えっと?
目の前にいるこの少年は誰でしょうか?
思わず、手を止めて、表情が崩れた九十九の顔を見る。
わたしが止まったことで、九十九も正気に返ったのか、すばやく仰け反った。
「え……っと……?」
なんと声をかけたら良いのか迷っていると、九十九が顔を下に向けた。
表情は見えないけれど、真っ赤に染まった耳だけは隠せない。
肩がふるふると震えだし、握った拳に力が入ったのは分かった。
「このどあほおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
絶叫とともに去りぬ。
それなりの大音量で叫びながら、九十九は転げ出るようにして、わたしの部屋から出ていった。
後に残されてしまったわたしとしては複雑極まりない事態だ。
九十九がやってくれたお試しな悪戯に対抗して、なでなでをしたら、「すっごい可愛い生き物」に出会いました。
こう胸がむず痒くなるような不思議な感覚。
……でも、これは間違いなく恋じゃない。
そんな方向性のものではないことは分かる。
悪戯心を通り越して嗜虐心に近い感じ。
もっと、あの可愛らしい生き物を愛でたい……みたいな?
ワカに会ったせいか、影響され……いや、彼女が背中に取り付いている気がする。
わたしは口元に手を当てた。
ああ、すっごくわたしの口も緩んでる。
あんなものを見せられて平気でいられるほど、わたしは場馴れしていないのだ。
でも……、この後はどうしたら良いのだろう?
少しだけ夢見心地のまま、わたしは開け放たれた扉を閉めようと、ゆっくりと入り口に向かうのだった。
「生温い」と言われそうですが、現状では頑張りました。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




