場所が変われば
「まさか、お二人に、姫の私室の一つで再会するとは思っていませんでした」
恭哉兄ちゃんは何とも言えない声色でわたしたちにそう言った。
「自分としては、大神官猊下に城門までの案内をさせようとする王女殿下の方が信じられませんが……」
九十九も肩を落とす。
尤も、わたしたちは大聖堂の中で居候しているので、城門まで案内されなくても大丈夫なんだけど。
「ところで、栞さんのご衣装……、どこかで見た覚えがあるような気がするのですが……」
「ああ、これは王女殿下からいただきました」
雄也先輩から渡された服が、ワカの魔法によって、ボロボロになってしまったので、コートをもらったのだ。
コートと言うより、長さ的にマントって言ったほうがいいのかな?
それで、上から覆っている。
修復できるなら直さないと勿体無いしね。
「姫から……、ですか?」
そこで、恭哉兄ちゃんは足を止めて、そのコートを見る。
見た目は黒で薄緑の石がボタン変わりになっている。
生地からしても高級品だと思う。
「栞さんは、姫から何をされましたか?」
「え……と?」
九十九がわたしを人質に脅されたことは伝えたが、具体的にどうされたかは伝えていなかった。
わたしがあの辺りをどうは為せば良いものか迷っていると……。
「護衛である自分を脅すために主人が着ていた服をボロ雑巾のようにされました。これがなければ通常の神経を持っている人間はここを歩くこともできません」
九十九が包み隠さずそう口にする。
その言葉を聞いて、恭哉兄ちゃんは文字通りの意味で、目頭を押さえた。
「我が国の王女が大変なご無礼を働きました」
「大神官さまが頭を下げるほどのことではございません。今回の件は、王女殿下にわたしを害する意思がなかったから起こったこと。わたしももう少し自衛手段を考えなければと反省したところです」
わたしの封印を解いたことで、魔気の護りとやらが発動しやすくなった。
但し、それは自分に対する攻撃を察知した時だけのようだ。
今回のワカのように、本来は「保護魔法」であるものを脅迫の手段にされてはどうしようもない。
だから、わたしの身体に傷一つつかなかったわけだし。
それに……、本気で九十九を脅す気もなかったから、あの場で結界も働かなかったんだと思う。
でも、ちょっと結界の基準を真面目に考えてみなければいけないかもしれない。
「しかし……、衣類を損壊させるのはやりすぎでしょう」
「そうだ。お前はもっと怒れ!」
「そうは言われても……、その場にいたのが王女殿下と九十九だからね」
衣服の損壊と言ってもそこまで激しいものではなかったし。
「……オレの性別を知っているか?」
九十九が怪訝な顔をする。
「知っているけど、護衛だからそんな場面もあるでしょう。今回はわ……、王女殿下だったから手加減してくれたけど、わたしに本気で損害を与えようとする人が相手だと何してくるかわかんないんだよ?」
勿論、好き好んでそんな状態を曝け出したいわけじゃない。
寧ろ、見てくれるな。
だけど、相手の方はわたしが女性だからといって手加減してくれるとは思わない。
どちらかと言うと、積極的に利用されそうな気がする。
分かりやすく目に見えているような弱点を突くのは兵法の初歩だろう。
「わたしの性別が女性だから、手っ取り早く心を折ろうとするなら、辱めることが一番だって思う可能性はあると思ってる。逆に、わたしに敵意がない王女殿下がそんな事態を想定させてくれて良かったと思うよ」
「……それは結果論だ」
だけど、先ほどまでと九十九の表情は明らかに変わった気がする。
「……我が国の姫に対してのお心遣い、感謝いたします。本来なら、外交問題に発展してもおかしくはないことなのですが……」
「王女殿下のしたことだから、もみ消しちゃうんじゃないんですか?」
古来より、高い身分の方々は、庶民の言葉など踏み躙ってきたイメージが強い。
これは、人間界の考え方ってことだろうか?
いや、セントポーリア王妃のやり方がそんな感じだと聞かされているから、人間界に限ったことじゃないとは思うんだけど。
「ディーン様がどうお考えになるかは分かりませんが、私個人の判断としては、栞さん次第では白日の下に出したいほどの事態です」
なるほど、恭哉兄ちゃんは真面目だ。
倫理に外れるようなことをしたくないらしい。
「……それは困りますね。王女殿下にそこまでの悪気はないでしょうから」
でも、もしかしたら、ワカはそれを望んでいるかもしれない。
王位継承権を自ら放り出せないのだから、少しでも自身の評判を下げて兄王子の方が良いと周りに思わせたいのだろう。
だが、そうはいかない。
わたしはワカが王位を継承したくないのは分かっているけど、自分の評判を下げるって手段は何か違う気がするのだ。
「悪気がないところが、厄介なんだよな」
悪気がないということは、結界の作動を止める。
王族の手で結界の欠陥を指摘しているようなものだ。
「……ワカ……、じゃない、王女殿下の性格の土台が分かる気がするね」
「ただ、栞さんが望まないのなら今回は見逃しましょう。次は……、ありません。よろしいですね? 姫」
この場にいない人間に向かってそう告げる大神官。
そう、この場にいないはずの人間。
でも、彼女は聞き耳を立てているに違いない。
具体的には、わたしのコートに付いていた石。
これの一つが通信珠だと、先ほど恭哉兄ちゃんより筆記で伝えられた。
スイッチが入っているかはわからないけれど、盗聴も辞さないとは、ワカの方もこちらに完全に心を許しているわけではないってことだろう。
そりゃそうだ。
わたしたちは確かに友人関係ではあったが、それは人間界での話。
所変わればその状況も変わる。
わたしが素性を隠していたため、余計に信用がおけなくなるのは当たり前だ。
王族が簡単に他国の人間から利用されるわけにはいかないのだから。
「さて、ワカにも一応、伝わったかもしれないってことで……、九十九、着替え出せる? これと同じで羽織れるコートみたいなので良い」
「おう」
これ以上、会話を聞かせることはできない。
そろそろ大聖堂だ。
「大神官さまにお渡し致します。洗浄もせずにお返しするのは、申し訳ないのですが……」
恭哉兄ちゃんに、コートを渡す。
彼は受け取り、その中の石を一つ摘みとった。
パリッと小さな音を立てて、その石はどこかで見たことがあるような珠に変わる。
それは、起動していない通信珠の色と同じだった。
「これで、盗み聞きはできません。重ね重ね、ご無礼をお詫びいたします」
「ワカ……、王女殿下の立場なら仕方ないでしょう。わたしたちは正体が分からないんだから」
「それでも……、やり方がよくありません」
「お前は若宮に甘い! 甘すぎる!」
「わたしも彼女に甘やかされているから良いんだよ」
ただ、これが別の人間だったら違うかもしれない。
ワカだから許せる。
人によって態度が変わるってのは良くないことだと自覚しているけど、こればかりはしょうがないのだ。
「ところで、栞さんは、姫の申し出をどうされますか?」
「多分、引き受けることになると思います。雄也先輩と水尾先輩に知恵を借りることになるとは思いますが」
「クレスは?」
「楓夜兄ちゃん……、じゃない、クレスはもともと、ここに同行するまでの間の付き合いってことでお互い了承しています。大神官さまの友人だから、ここで扱いも違いますからね」
楓夜兄ちゃんは、最近では、だいぶ、元気を取り戻したようだから、もう心配もいらないだろう。
軽口も復活しているしね。
「あの方も落ち着いたようで、本当に良かったと思います」
「魔界でも、実の姉弟間の恋愛って禁忌なのでしょうか?」
ふと、気になって恭哉兄ちゃんに聞いてみたくなった。
「国によるとしか言えませんね。セントポーリアでは少し前の時代まではあったと聞いています」
「あらま。知ってた? 九十九」
よりによって、自分の国ではおっけ~だったとは……。
確かに純血主義だってことは聞いているし、今も、腹違いなら良いってことも聞いているけど。
「知識としては知ってる。明確に禁止されたのは先代王の時代らしい」
「おおう。あまり近親婚って良くないって聞いたことがあるんだけど……」
「人間界ではそう言った様々な事象を研究されていますが、魔界ではそう言った研究はされていませんね」
「医学が発達していないってことでしょうか?」
「生物としての寿命は人間界の人間たちより長いのに、平均寿命は60前後。その意味が分かるか?」
わたしの問いかけに、恭哉兄ちゃんではなく、九十九が応える。
「病気に対する抵抗手段があまりないんだ。抗生物質のようなものもない。オレたちの両親もそうやって死んでるんだからな」
「九十九さんの言う通り、魔界人の寿命は長いようで短いです。200歳まで生きる方もいれば、生まれ落ちてすぐ亡くなってしまう方もいます」
200歳とはまた凄い。
「病気にならないようにしなきゃ……。まずは手洗い、うがい?」
「基本だな。」
そんなわたしたちの会話も恭哉兄ちゃんが、王女から別の通信珠で呼び出されることによって終わる。
「大神官って地位にある人をあんなに気軽に呼び出すってある意味すごいよね」
洗練された動きで立ち去る大神官を見ながら、わたしは九十九にそう言うしかなかった。
地位の高い人間を気分一つで振り回す。
それだけの立場にいながらも、ワカには味方がいないという。
そして、それと同時に暇つぶしが欲しいとも言っていた。
彼女がどこまで本心で語ってくれたかは分からないけれど、わたしが考えるべき部分はその二点だと思う。
そんなことを考えてると……。
「高田、着いたぞ」
わたしが間借りしている部屋に着いたようだ。
「こんなに同じ部屋が並んでいるのによく分かるね」
「分からない方が不思議なんだが?」
そんなことを言われても覚えられないものは仕方ない。
わたしは、九十九や雄也先輩がいなければ本当に何もできないんだなあ、としみじみ思う。
「兄貴に報告する前に、少し、話せるか?」
「うん、それは構わないけれど……、でも、もう結構遅い時間じゃないの?」
「ちょっと気になったことがあってな。兄貴と話す前にオレの中である程度、整理しておきたいんだ」
「分かった」
そう言って、わたしは九十九を部屋に招き入れたのだった。
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