利害は一致する
「一番、栞さんを怖がらせたのは貴方だったと記憶しています」
そんなことを口にする大神官の表情は固く、いつもにも増して表情を読み取りにくかった。
そして、彼の言葉は事実である。
九十九に倒された見習神官の中で彼が最初に行動し、栞と九十九を動揺させていたのだ。
同時に、本来なら一番目の刺客となるはずだった見習神官にその現場を目撃させ、迷いを断ち切って行動に移させるきっかけとなっている。
道を外れた行いを最初にするにはかなりの勢いを必要とするが、誰かが先にやったことがあると分かれば、自分だけではないからやっても大丈夫と思いこんでしまうことがある。
人間界で「赤信号、皆で渡れば怖くない」と昔、芸人が言ったらしいが、その心理に近いものがあるだろう。
人は自分だけではないと分かると少なからず安心して気が大きくなってしまうこともあるのだ。
つまり、最初、栞の前に現れた見習神官が柱の陰に引き込むだけで留まったのは、迷いがあったからでも、以降の行動の決め手に欠けたわけでもなかった。
いずれも取っ掛かりとなるためだったのだ。
九十九や栞にとっては警戒心を強めるために。
迷いがあった見習神官たちにとってはその先駆けとなるために。
警戒心が上がれば、それは行動という形になって表れる。
周囲を警戒するようになるために、何も知らない人によっては逆に不審と映るかもしれない。
そうなると、命令を受けていた見習神官たちも見た目通りの弱者としてではなく、捕らえるべき相手とみなしやすくなる。
それらのことから、雄也がしたことは傷害に至らない程度の暴行による略取未遂だけではなく、他者の犯罪教唆となる。
命令を下した主犯は間違いなく悪い。
そして、命令だからと言ってそれを行動に移した実行犯も良くはない。
だが、直接手を貸してはいないが、間接的に誘いをかけた教唆犯はある意味、一番タチが悪い。
「神官ならば神職法規に従い、大人しく『裁きの間』にて懲罰を受けるべきでしょうが、生憎、私は神官の身分にないもので」
雄也はにっこりと笑顔で言葉を返した。
そこには罰を受ける気はない、という意思表示もある。
その「贖罪の間」は神官に対して裁きを与える場であり、信者を含めた一般人に使われた例はない。
一般国民を裁く権限は、神官や聖堂にはなく、それを定めた法は国にあり、王族の管轄となる。
逆に神官を裁く権限は神官だけではなく王族にもあるのだから、神官たちにとっては納得いかない部分はあるかもしれない。
城下で起こったこの同一少女連続略取未遂事件に関しては本来ならば王族が処断するものであるが、今回に限り、表沙汰になることは決してない。
何故なら、この計画を立てた人間が王族の一人であり、そんな話を大事にしてしまえば、困るのは間違いなくこの国の王族なのだから。
「それに、この件に関しては、王子殿下、あるいは国王陛下は事前にご承知の話でしょう?」
雄也はさらに笑みを深める。
そうでなければ、あの部屋が使われることもないだろう。
できれば、内密に処理をしたい……。
そう思うから、処罰対象が外に言いにくい懲罰の間をわざわざ使うのだから。
「そうですね。雄也さんが起こしたことが罪に問われるのならば、それを黙認し、利用した私達も共犯の罪を問われることでしょう」
大神官というのは本当に清廉潔白なだけでは務まるはずもない。
各国の政治的な駆け引きに直接関わらなくとも、神官職という限定的な世界の中にも泥試合を含めた折衝も当然ながら存在する。
多くは権力闘争、派閥抗争などだが、狭い領域であるために決してそれらの争いと無関係ではいられない。
差し出された手を握ろうと伸ばしても、その腕を引かれ、足を掬われ、倒され、転がされる世界。
ならば、その頂点に立つ男が全くの無害であるはずもない。
清濁併せ呑みながら、彼はその場所に君臨しているのだ。
「さて、戯れはこのくらいで止めましょうか」
雄也と違い、にこりとも笑わずに大神官はそう言った。
「私は贖罪の間の裁きに立ち会いたいかどうかをお伺いしただけです。本来ならば、栞さんにお願いしたいのですが……、そのようなわけにはいかないでしょう?」
「確かに……」
例え、被害者の立場でも、加害者に罰を与える様子を見たがるような少女ではない。
どちらかというと苦しむタイプだろう。
下手すれば、感情のまま減刑を望みかねない。
「心惹かれる申し出ではありますが、私も神官でもない身で立ち会うことはできません。共犯者は大人しく、被害者が少しでも心穏やかになれるよう弁明を考えておきます」
知らないことを知りたいと思うのは人間のサガだ。
だが、世の中には知らなければ良かったと思うことも多々ある。
それを雄也は経験から知っていた。
法力国家の闇を見て、それに飲み込まれない保証はない。
どの国にも暗部はあり、情報国家など分かりやすく突出しているが、王家としてはその影が濃ければ濃いほど使える人間がいた方が良いのだ。
今回の話を大神官に持ちかけたのは王子だった。
城下に出向く見習神官たちに不穏な動きがある、と大神官に告げたのだ。
そこから今回の話は転がっていく。
大神官は、友人であるクレスノダールではなく、魔法国家の王女であるミオルカでもなく、何故か雄也にだけその話をしたのだ。
その時点で雄也は既にある程度、その計画を掴んでいた。
そして、その企てを阻止するより、どうすれば最良の結果が望めるかを思案中だったのである。
そんな折に、大神官からその大雑把な目論見を聞くこととなった。
雄也はその計画を利用したかった。
王子はその企てを表に出したくなかった。
大神官にもいろいろと考えがあった。
三人の利害関係が見事に一致したのである。
実行犯や主犯と接触できる王子や大神官の立場。
これを使わない手はなかった。
彼らの補助が得られるならば、始めに雄也が考えた手法より手がかからず、さらに悪い結果にはなりにくいだろう。
雄也はそう考えた。
それを形にするために、餌としては極上のものを使うこととなった。
しかし、目が届かない自然の中で自由に泳がれるよりは、囲われている人工的な水場から釣り上げる方が質はともかく釣果は確実に上がる。
それに見えないところから仕掛けられるよりは、視界に入った状態で動かれる方が、対処もしやすい。
万が一、釣り竿がしくじっても、計画の修正も即座に可能で、今後に支障を出さないようにもできる。
「ところで、釈明するのは栞さんに対してだけ……でしょうか?」
暗にもう一人いるのではないか? と雄也に大神官は問いかけた。
「一応、弟にも申し開きをするつもりはありますよ。『未熟だから遅れをとるんだ』という言葉を添えはしますが……」
「手厳しいですね」
「最近、目に見えて気の抜けた顔をしていましたから」
勿論、栞のことではない。
守るべき対象が無警戒で気を抜いていられるのは、ある意味、護衛としては喜ばしいことだろう。
「こちらとしても、見習神官たちが気持ちを切り替えてくれると良いのですが、それは望みすぎでしょうね」
組織が大きくなるほど、末端に緩みが出てしまうことはある。
今回、甘言に惑わされた見習神官が一人二人の話ではなかった。
どんな恩賞をちらつかせたかは分からないが、公平、中立であるべき神官が善悪の判断を他人に委ねている時点で、隅々への教育が行き届いていないことを意味している。
人を惑わせることを得意とする人間が相手だったら、純粋な神官ほど唆されてしまうのは避けられないことなのかもしれない。
誰もが自分自身をしっかりと持ち、決して折れない鋼の精神を標準装備しているわけではないのだ。
騙す方が悪いのは勿論だが、最低限、惑わされない考えを持つことは重要だと言えるだろう。
しかし、どんな強い精神を持っていたとしても、人である以上、大小、様々な迷いには直面する。
理知的な人間ほど進む道は何故か複雑で難解になってしまうものでもあるのだが。
「ところで……、そちらの目的は無事、達成されましたか?」
雄也は髪を手で直しながら大神官に尋ねる。
「目的は果たされたようですね。当人に多少の不満はあるようですが、無事、再会することはできたようです」
大神官は手元の珠を眺めながら答えた。
数名の見習神官たちが犠牲になったことを「無事」と評して良いのかは判断に困る所ではある。
当事者たちは怪我を負っていないのだから、彼らとしては問題ないと思っているのだが。
「私としては場が荒れていないかが心配なのですが」
「手法がかなり強引だったために、九十九さんによる多少の抵抗は仕方がないと思います。あの方もこれで懲りてくだされば良いのですが……難しいでしょうね」
大神官は、彼にしては珍しい種類の言葉を零した。
そんな姿を見て、雄也は、自分たち兄弟が守るべき少女のことを考える。
彼女は多少、感情的な面はあるが、根は素直で、支持に従ってくれる。
疑問をすぐ口にするものの、納得すれば、その通りに行動してくれるのだ。
その部分において、信頼を勝ち得ているとは言え、かなり助かっているのだなと思った。
だが、忘れてはいけない。
あの少女も、時として周囲の意見に耳を貸さなくなることがある。
偉大なる先人は言っているではないか。
「類は友を呼ぶ」と。
あの少女が、絶対に自分を曲げない激しい面があることを、いずれ、彼はその身を持って知ることになるのだった。
本日三度目の更新です。
明日からはまた定時に二話となります。
そして、この話で第21章が終わります。
次話から第22章「紙一重の攻防戦」です。
不穏なタイトルですが、お年頃らしく(?)少しずつ糖度が高くなっていく(?)・・・予定(?)です。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




