黒い見習神官
よく見知った魔気たちは、この場所から完全に遠ざかったようだ。
それを注意深く確認した後、山積みになった男たちの身体の一番下より這い出たのは、一人の見習神官の姿だった。
彼は、最初に栞を捉えたあの見習神官である。
「もう少し、捕虜の扱いというものを知ってほしいな」
黒髪の見習神官は、どこか疲れた声でそう言いながら、服についた埃を自分の手で簡単に払うと、こともなげに周りを見廻す。
彼の周囲に倒れている男たちの数は全部で七人。
その全てが完全にその意識を奪われていた。
その場に一人立っている黒髪の青年は、大きく一息吐く。
尤も意識を奪われていると言っても、その命に別状はない。
いずれも倒れている見習神官たちは眠らされているだけだった。
そして、特に彼らに対して戒めもしていない辺り、その術者の甘さが滲み出ていることがよく分かる。
まあ、少しぐらいの刺激では目覚めないという絶対の自信もあったのだろうが、彼のようにある程度、魔法への耐性があり、前もって対策を準備している人間なら、このようにほとんど効いていなかった。
そんな人間がいることも考えて、拘束などの最低限の戒めは必要だろう。
尤も、その彼も、他の見習神官たちが次々と自分の上に乗せられていくその重さにうんざりはしたのだが。
目隠し代わりの幻影魔法で作られた壁と、現実の壁に囲まれていて、この場は一見檻のようだが、彼は知っている。この囲いが見掛け倒しであることに。
この壁は、少しでも衝撃を与えれば、脆くも崩れ去ってしまう幻影魔法。
その上、そんな単純な効果だというのに、それなりの魔法力を使う。
正直、これを見ただけでは、術者に何の目的があって契約したのかよく分からない魔法だと思う。
尤も、魔法というのは想像と創造が大事であり、この魔法を使った人間にとってはこれで問題がないと判断しているのだろう。
「さて……」
どうやら先ほど全てが済んだことは分かる。
そして、ここに彼らが戻ってくる気配は一切、感じられない。
さらに集中して周囲の気配を探り、この場に何の異常もないことを確認すると、彼は自身を変えていた「幻影魔法」を解いた。
その黒髪は変わらないが、顔立ちや背格好は随分と異なり、先程より幾分手足がすらりと伸び、その華やかな顔が姿を現す。
「やはり、慣れた身体が一番だな」
そう言いながら、彼は倒れている見習神官たちを注意深く探る。
どうやら、ここにいる見習神官たちは、海より深い眠りについているようで、少し揺らしたぐらいでは、目覚める様子はなかった。
見習神官は魔法に抵抗する能力が高くはないものが多い。
それなのに、あの少女の護衛は手加減なく念入りに誘眠魔法を施したようだ。
これでは、今日一日の務めを果たすこともできないだろう。
まあ、それも自業自得である。
そして、先に動き出した彼もこの魔法を解呪してやるつもりはなかった。
そして、彼の手は一人の男の前で止まる。
「確か……この男か」
この場にいた見習神官は仲良く眠らされたこと以外に、ある共通点があった。
それは、年端も行かぬ少女を各々の目的から拐かそうとしたことにある。
そして、彼が手を止めた相手は、唯一、その少女に対して、触れる以上の行動をとった男であった。
その男を前に、黒髪の青年は考える。
この国の結界の目を縫って、この人間に手を加えること自体は難しくないが、後処理を考えると酷く面倒くさい。
見習いとは言え神官として一度はこの国に籍を置いた人間たちは、大聖堂にて名簿登録をされているのだ。
不慮の事故として処理するのは少しばかり手間がかかる。
「いけませんよ、雄也さん」
青年が思い悩んでいると、背後から涼しげな声が聞こえた。
そこには、彼と全く同じ見習神官の衣装に身を包んだ青年が立っている。
尤も、その髪色は濃藍であるため、受ける印象は随分違うのだが。
少女の護衛が施した周囲の「幻影魔法」は未だ効果を発揮しているため、その声の主がどこから現れたのかは分からない。
周りの神殿の壁は一つも変化がなかった。
それならば、自分と同じように見習神官の姿をしているこの青年は、何らかの手段でこの場に現れたのだろう。
「貴方のお気持ちは分かりますが、彼らの処分はこちらにお任せください」
そう言って見習いの姿をした彼は、青年……雄也の前に立つ。
その言葉に思わず雄也は笑いが出る。
彼の口から出た言葉は「処罰」ではなく、「処分」だったためだ。
しかもそれを口にしたのが……。
「まさか、大神官猊下、御自らが来るとは……」
神官最高位である大神官だった。
雄也は正直、驚きを隠しきれない。
先ほど放った彼の言葉ではなく、その行動に対して。
今回の話は見習神官が欲望に負けて、罪がはっきりしない人間をその手に掛けようとしただけの話だ。
しかもそのいずれも全て未遂に終わっている。
そのために大神官が迎えに来るほどのことではないと雄也は思っていた。
ある程度、調べた後に大聖堂に送り返してやるぐらいのことはしようと思っていたのだが、ある意味、彼にとっては当てが外れた形となる。
「見習神官の不祥事は、大聖堂の責任ですからね。つまりは私の管理責任でもあります。上からの命令があったからと多少、情状の余地はありますが、罪は罪でしょう」
見習神官の姿をしたまま、大神官は涼しい顔を崩さずにそう言い放つ。
「いえ、腑抜けた頭にちょうど良かった。これでアイツも少しは気合を入れ直すことでしょう」
雄也は深い溜息を吐いた。
今回の話は、とある筋から一人の少女を誘拐するための計画があることを雄也が知ったところから始まっている。
そして、適当な理由をつけて少女と護衛を一人、城下に送り出し、そこへ命令に従った見習神官たちが食いついた、と。
それだけの話であった。
雄也からすれば、平和ボケしている弟に喝を入れる意味もあったのだが、大神官側にも別種の目的があったのだ。
それならば、これ以上、下手なことはしないほうが良いだろう。
それに、単純に神官への処分方法とやらにも興味がある。
雄也はそう考えた。
「それでは、彼らの処遇を一任いたします。貴方なら、私と違って公平なる評定をしてくださることでしょうから」
「はい。承りました」
そう言って、大神官は恭しく一礼をし、どこからか金属具を取り出した。
雄也がそれをどんな用途か分析する間もなく、手慣れた様子で大神官はその金属具を組み立てていく。
そして、瞬く間に出来上がった四角の金属枠は、大神官の手により近くの柱に貼り付けられた。
すると、どういった仕掛けなのだろうか?
窓のようにぽっかりと金属枠の中は穴が開いたのだ。
その穴はまだら模様の景色が揺れて広がっており、どこに繋がっているのかは雄也には分からない。
だが、その景色に似た空間を知っていたので、そう言う場所なのだろうと推測する。
大神官はそんな彼の視線を気にした様子もなく、近くに倒れていた見習神官を掴んで、その穴へ向かって放り投げた。
細身の見た目に反して、それなりに力のある大神官は、次々と意識を失ったままの見習神官たちを無造作に投げ入れていく。
「その穴はどちらに繋がっているのですか?」
「これは大聖堂内にある仕置き……いえ、贖罪の間へと続いております」
「ああ、あの地下深くにあるあの部屋ですか」
大神官が口にしかけた物騒な単語を気にかけず、雄也はその場所を的確に言い当てる。
「はい、地下の……、大聖堂最下層にあるあの部屋ですよ」
そう答えながらも、特に表情を変えずに、大神官はその穴に向かって、最後の一人を投げ入れたのだった。
少年の頭にあった者たちが全て黒幕だった件について。
次話は本日18時更新です。
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