少女は見習神官に追われる
「はぁ~っ、つっかれたあ!」
わたしは大きく息を吐いた。膝はガクガクと震えているけど、少し休めばまた頑張れる気がする。
「これで6人目か……」
九十九はそう言いながら、先程までわたしを追いかけていた男の人をズルズルと引きずっている。
「……それ、足が大根のようにおろされてない?」
ちょっと移動させるためとはいえ、あんまりな動かし方だと思う。
わたしが彼から米俵のように担がれるというのは、実は、かなりマシな扱いだったようだ。
「こんだけ分厚い服を着てんだから大丈夫だよ」
そう言いながら、九十九が袋小路の壁をドンと力強く叩くと目の前の壁は消え、その少し先に本物の壁があった。
そこにごろりと先ほどわたしを追いかけてきた男の人を転がす。
他にも何人か同じように倒れていて、何れも身動き一つしなかった。
そして、九十九はちゃんと一人一人の状態を確認すると、またそこに壁を作る。
「本当にどうなってるの? これ……」
何度見ても不思議だ。
わたしが触っても、ちゃんと壁の手触りがあるのに。
「一応、幻影魔法のはずなんだが……。オレのはなんかしっかり壁になるんだよな」
それでも、魔法が当たるとあっさりと消えてしまうものらしい。
それだけではなく、少しの衝撃でも消えてしまうから、防護魔法としては全く使えないらしい。
軽く触れると壁だけど、うっかり身体が強く当たってしまうとそれだけで消えるので、注意が必要である。
実際、3人目に現れた人は、わたしを突き飛ばしたためにバランスを崩してそれなりに勢いよく壁に当たり、その衝撃で魔法が解除されてしまったのだ。
そして、そこで倒れている先達二人を見つけ、混乱した所を慌てて九十九が不意打ちする事態となったのが少し前の話である。
「それにしても……。やっぱり、偶然……とは思えんな」
九十九が肩を動かしながら、一息吐いた。
「偶然だって思ってないから、九十九はわたしを走らせてるんでしょ?」
「そう言う意味で言ったわけじゃねえんだが……。まあ、狙いはお前一人みたいだし、しっかり引き付けるからやりやすいのは確かだな。お前だけに集中してくれたら、他に意識を割けなくなる」
「守る対象を囮に使うなんて、酷い護衛もいたもんだ」
「それについては本当に悪いと思ってるよ」
九十九だって始めからわたしを囮として使いたかったわけではないだろう。
その辺りは分かっているつもりだ。
さて、少し前の話。
わたしたちは、久しぶりに城下に出ていた。
そして、神殿通りを歩き始めた所で、いきなりわたしが「見習神官」に連れ去られそうになったのだ。
手口としては本当に単純なもので、背後から忍び寄り、口を塞いで神殿の柱の陰にわたしを引き込むだけだった。
すぐ横にいた九十九が反応して、事なきを得たのだが、それでも、二人して完全に不意を突かれたのは間違いない。
まさか、昼日中の人通りもあるような所で事に及ぼうとする相手もどうかと思うのだが、元来、奇襲攻撃というのは、敵の「まさか」と思う心理を突くものである。
そう言う意味では完璧な「奇襲」だったと二人して反省したのだった。
もし、あの人がもっと訓練されているような人だったら、わたしは確実に連れ去られていたことだろう。
あの紅い髪の人だっていつもみたいにわたし相手に無駄話をせずに本気を出せば、あそこまで鮮やかにわたしを捕まえられるのだろうか?
この城下にだって結界はある。
だから気を抜いていたというのもあるし、ここの所、荒事から離れていて平和ボケをしていたのもあるだろう。
だけど、いつだって忘れちゃいけなかったのだ。
わたしが母親と離れて他国にまで逃げてきた理由を。
「結界とやらも……、悪意がなければ作動しないみたいだからな」
九十九が肩を落としてため息を吐く。
わたしを捕まえようとしたのはどこにでもいるような見習神官だった。
でも、その人は、これまでに他人を捕まえたことなどなかったのだろう。
勢いよく引っ張られた後、そこからすぐにどうしようかと思ったのか、目の前で手を止められたぐらいだ。
だけど、そんな人にあっさりと不意を突かれたことが九十九にとってはショックだったらしい。
しかも、彼はすぐ傍にいたのに。
結界については、少し前に大神官である恭夜兄ちゃんから聞いていた。
私情により相手を攻撃するための魔法や法力の気配や武器を向けるなどの分かりやすい悪意に反応して作動するとのこと。
しかし、その「相手を害する心」の判定というものは当時、この結界を造った術士の裁量に委ねられている。
恭夜兄ちゃんによると身を守るための正当防衛ならば過剰抵抗であっても無反応だったり、勘違いや見当違いの方向性であっても当人の心に負の感情が少なければ作動しなかったりすることも多いそうだ。
まるで、精神鑑定で明らかな異常があれば、殺人を犯しても殺人犯としては罪を問わないというどこかの国の法律にどこか似ている気がする。
個人的には人を殺すという精神が正常なはずもないと思うのだけどね。
そんな状態で、2人目の「見習神官」が現れた。
今度は真正面から「付いてきて欲しい」と言われたのだ。
知らない人についていく理由がないと断れば、今度は無理に手を引こうとしたので、九十九が間に入って……、うん、まあ、とにかくいろいろあったわけだ。
「さっきの人たち……、誰も殺してはないよね?」
少し前のことを思い出して、思わず九十九に尋ねてしまった。
「全員、眠らせているだけだ。まあ、ちょっと長い時間の睡眠になるだろうから、本日の仕事に差し支えはあるだろうけどな」
彼もそんなわたしの質問を特に気にした様子もなく答える。
その返事にホッと胸をなでおろした。
わたしのためとはいえ、流石にそこまでしてほしくはない。
「こいつらもお前を捕らえるだけで、危害を加える気はあまりないようだからな」
尤も、3人目の神官は別だったが……、と彼は付け加えた。
わたしを壁に向かって突き飛ばしたことは九十九にとっては許せなかったらしい。
「捕まえようとしている時点で十分、害を被っていると思うのだけど」
わたしからすれば、突き飛ばしたぐらい大した問題じゃない。
どちらかと言えば、わたしの感覚としては、最初の人の……、後ろから柱に引っ張られた方が怖かった。
あの無理やり引っ張られる感覚は、思い出すだけでぞっとするのだ。
少し前に雄也先輩から「発情期」の話を聞いたせいかもしれない。
あの瞬間、最初に頭をよぎったのはその言葉だった。
だけど……、何故だろう?
あの見習神官が、わたしの周囲で見慣れている黒髪だったせいか、どこかで会ったことがある気がしたのだ。
わたしは大聖堂で暫く生活していたが、面倒事を避けるためにできるだけ人に出会わないようにしていた。
でも、もしかしたらどこかで会っていたのかもしれない。
まあ、そう思っても九十九が倒してしまった今、意識を失っていたあの人にそれを確認することはもう出来ないのだろうけど。
「それでも、結界は動いていない。判定としてはセーフらしいぞ」
「わたしの判定では立派にアウトだよ」
もしかしたら、この国の結界は仕事をしなくなってしまったんじゃないだろうか?
そんなことさえ思ってしまう。
「その微妙な判定のおかげで、自分じゃなくてお前に向かう相手にでも 『誘眠魔法』が使えるからラッキーではあるんだけどな。やっぱり、契約しておいて正解か……。まさか、こんなにすぐ使うことになるとは思わなかったけれどな」
自分に向かうものなら正当防衛は成り立つが、護るためとは言え他人に向かう相手に倒すための攻撃系魔法を向ければ結界は作動してしまうことだろう。
余談だが、九十九はこの国へ来てから「誘眠魔法」を契約したらしい。
攻撃魔法ではなく補助魔法なので、あまり護衛に必要な魔法だと思っていなかったらしいけど、水尾先輩が船の中でしでかした自分の楽しみのために使った魔法でその必要性を実感してしまったらしい。
実は、水尾先輩が使った「昏睡魔法」も一応、契約できたらしいが、そっちは使うことはまだできないそうだ。
でも、いつの間に契約したんだろうね?
本当に彼は熱心だと思うよ。
少年は、船の中で昏睡魔法と誘眠魔法を契約しました。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




