前触れもなく
「はぁ……」
正直、オレは疲れていた。
今の状況では思わず溜息の一つも零したくなる。
目の前の高田は、ずっと眠り続けている。
結界の緩んだ隙に彼女は魔力放出を行った。
あれからもう4日ほど経つが、それ以後は相も変わらず、高田はまだ目覚める様子がない。
だが、オレにとって、それ自体は別に大した問題ではなかった。
目の前でしっかり生きているのは分かっているのだ。
儀式中の彼女の状態を見た時の消失感に比べたら、問題など何一つとしてない。
数年規模でも待ち続ける自信はある。
それに、オレは待つことには慣れていた。
これまでの数年に、多少追加されたぐらいで慌てることはない。
まあ、本音を言うと栄養状態とかは心配ではあるが、忙しい合間にも毎日様子を診てくれている大神官は大丈夫だと言っていた。
体内魔気が解放されて、大気魔気も混ざって浸透し、定着するまでは、それ以外の身体機能はかなり低下しているらしい。
栄養もあまり必要とせず、「省エネ」状態だと説明された。
あの大神官が「省エネ」という言葉を使うのに違和感があったのはオレだけじゃないと思うが……。
どちらかというと、この疲労問題はオレ自身のことだった。
ここのところ夢見が悪くなったのだ。
いや……、間違いなくあれは、「夢視」だな。
やたら、リアルな夢。
五感の全てをはっきりと感じ取ることが出来る夢。
あれは恐らく、「未来視」……、つまり予知夢だ。
オレの「夢視」は誰の身に起きるか、どれくらい先のことかなんてものはサッパリ分からないことが多い。
知っている人間が登場すればなんとなく想像はできるが、今回はそれが全く分からない。
そのくせ、その内容は日増しに色濃くなってオレの中にその影を残していく。
それがもう4日も続いていた。
それが夢だと理解していても、手の打ちようがないので、流石に気が滅入ってくる。
情景はどこだか分からない闇の中から突然始まるのだ。
恐らくは何かの建物内だと思うが、オレは見たことはない場所だった。
そして、そこにいるのは数人の影。
さらに、その中央にいる二人の男女が剣を構えて立っているのだ。
その場にいる人間たちは、その立ち位置から二人を見守っているのだと思うが、表情もその姿も見えないのだから、それが正しいとははっきりと言い切れない。
最初に、亜麻色っぽい長い髪をした女が、黒髪の男に斬りかかる。
闇の中だからその二人の顔もよく見えない。
表情も分からないのだから、どんな気持ちだったのかを想像することもできない。
ただ、互いに剣を合わせた時の印象だと男の方には明らかに迷いがあり、それに反して女の方にはその欠片もなかった。
女は迷わず剣を振るい、受け止める男はどこか震えている。
だから、その結果は明らかだった。
男と女の影が重なって暫くした後、その男の身体には刃が刺し貫くことになる。
その間、何が起きたかははっきりと見えないのだが、それだけでどうなったのか、察しはついてしまう。
そして……、男の手から剣が落ちて、そこで終わり。
オレはいつもそこで目が覚めてしまうのだ。
その結末を見届けることもできない。
始まりは、いつも女が男に斬りかかるところからなのも変わらないが、終わりにも変化はない。
そして、その映像が延びることも短くなることもなく、淡々とそのことだけを伝えている。
映像だけなら、それほど気落ちするようなものではない。
でも、剣を合わせる音は目覚めてもなお耳の中に残り、男が斬られた後に漂ってきた鼻を衝くような血の匂いが、今もなお、この鼻に残ったままなのだ。
夢の中の出来事なのに、しっかりと。
オレは、血の匂いが好きな人間は変態だと確信している。
どうもあの鉄臭いような生臭いだけのような、なんとも形容しがたいものがあまり得意ではない。
それに血の匂いには、腹の底から何かがこみあげてくるような嫌悪感や不快感も伴う。
その感覚を何度嗅いだって慣れるはずがないではないか。
そんな状態が4日も続いている。
何故、そんな夢を見始めたのかは分からない。
心当たりは、高田の魔力を抑え込んだことぐらいだが、そんなので夢を視ているなら、幼い頃のオレは、かなりその夢視が発動していただろう。
10年以上前は、彼女の魔法練習に付き合って、吹っ飛ばされるのが日常生活の一部だったのだから。
そう考えると、原因不明ってことになる。
そろそろ、大神官にでも話してみるか。
なんとなくだけど、夢占いとかできそうだよな、あの人。
話したころで何の解決になるのかも分からないが、なんとなく……、兄貴よりは信頼できる気がする。
相手が大神官だからだろうか?
「ふわぁ。お腹空いたぁ……」
そんなオレの暗い思考をかき消すように、どこか暢気な声が眼の前から聞こえた気がする。
「へ?」
突然のことで、思考が追い付かない。
「あ、九十九。良かった。なんか食べるものない?」
「は?」
目の前の今の状況すら夢のような気がしてきた。
だってそうだろう?
10日以上、ぐーすかと寝ていた女が、何事もなかったかのように目覚めて、オレにメシの要求をするなんて、ありえねえ!!
そんなことが許されるのは、水尾さんぐらいだ!
「九十九? どうしたの?」
「ど、ど、ど……」
「ど?」
「どうしたもこうしたもあるか!! このバカ女!!」
これで腹を立てるなという方が無理だと思う。
「な、な……。バカってど~ゆ~ことだよ!?」
「バカだからバカだって言ってるんだよ、このバカ!!」
「どこがバカなのか理由言ってよ! 目が覚めていきなりバカ呼ばわりされたんじゃ納得がいかないっての!!」
確かに寝ていたのだから、状況が分かっていないのは確かだ。
オレは大きく息を吐いて告げる。
「お前は10日以上、眠っていた。その間、兄貴や水尾さん、クレスや、大神官に心配と迷惑をかけた。それも知らずに、いきなり夜中に目覚めて『何かない? 』なんてバカにするにもほどがあると思うぞ」
「10日以上!?」
オレの言葉で流石に、その期間の長さが分かったようだ。
「ど、どおりで……、こんなにお腹がすいてるわけだ」
高田の予想以上に呑気な台詞に勢いよく、つんのめってしまったオレに罪はないと思う。
ぐ~~~~~っ
そして、当人の言葉を擁護するかのように、豪快な腹の音が鳴った。
思わず、高田の腹を見る。
「……お前には恥じらいというものがないのか?」
「い、いや……、恥じらいがあってもお腹の音だけはどうしようもないよ……。これって、生理現象だもの……」
耳まで真っ赤にし、隠すように腹を押さえながら、高田はそんなことを言った。
一応、恥じらいはあるらしい。
「分かった。説教は後でするから、お前はここを動くな。何か、持ってきてやるから」
そうは言ったが、正直なところ、怒る気力もなくなっていた。
「うん。お腹ペコペコ~」
「……だろうな」
眠っていたとはいえ、こいつは10日以上飲まず食わずだったんだ。
よく考えてみれば、命に別状はなくても、空腹が満たされていたわけではない。
それに……、こいつの腹を満たさないと会話も成り立ちそうにない気はした。
ただでさえ呑気な女だ。
その上、厄介なことに、オレのペースを乱すことに関してかなり長けている。
少しでも、落ち着かせた方が良いだろう。
こいつの腹もオレの心も。
幸い、厨房に温め直すだけで大丈夫なものを作り置いている。
水尾さんから全てを食べられないように確保をしていたものだ。
あの人、本当によく食うから。
高田は基本的に食い物に対して文句は言わないので、そんなのでも問題ないだろう。
そう思って、オレは借りている厨房へ向かったのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




