目覚めない少女
「目覚めないな~」
そう言って、水尾はお茶を口にした。
あれから一週間経つが、栞は目覚める様子がない。
「もしかして、失敗……、でしょうか?」
九十九は、恐る恐る口にしてみた。
一時は仮死状態になったのだ。
大神官がそれを考慮しないとは思わないが、不安は募っていく。
「いや、彼女にかかっていた圧力がなくなっているのは確かだ。封印の解呪自体は成功したと取るべきだろう」
雄也がそう返事する。
それでも……、九十九は何か釈然としないモノを感じていた。
「その割に、魔力はあまり感じないが?」
「それは、まだ目が覚めてないからだと思うぞ。目覚める前に魔力が先に解放されたら、暴走する可能性もある。ソレを避けるために防衛本能として身体が無意識に抑えていると考える方が自然だ」
九十九の問いかけに対して、雄也ではなく、魔法国家の王女である水尾が冷静にそう答えた。
「しかし、彼女の身体も保たないな。いくら普通の人間よりは魔気に護られているとはいえ、このまま飲まず食わずの状態が続くようでは魔界人でも死ぬ可能性がある」
「無駄な消費カロリーがほとんどないから、それは大丈夫だと思うが……。高田だって腹が減れば起きるんじゃないのか?」
「そんな水尾さんじゃあるまいし」
「悪かったな、食い意地張ってて」
水尾はギロリと九十九を睨む。
どうやら、自覚はあるらしい。
「いやいや、料理を作る側としては、景気よく食事してくれる水尾さんの食べっぷりは嬉しい限りですよ。兄貴なんか、文句しか出てこないし」
「品評といえ。それに……、文句を言われるような食事を作るな」
「その部分を褒められたのは初めてだな。私の食事量に関しては、姉貴たちも閉口していたから」
水尾は、そのほっそりとした体型の割によく食べる。
成長期である九十九以上に食べるのだから、その量は凄まじいと言わざるをえないだろう。
それに反して雄也はあまり食事量は多くない。
成長期真っ盛りである九十九と比べるせいかもしれないが、それでも同じ年頃の青年男子と比較してもあまり食べていないと思われる。
九十九としては、兄が自分と一緒に食事を摂ること自体が、ここ数年数える程度しかなかったから違和感しかない。
人間界にいた頃の雄也の食事は携帯食の方が多く、落ち着いて食卓に座っていることが珍しいほどだったから。
「いつ頃、目が覚めるんだろうな……」
そう言って、水尾は栞の前髪に触れた。
さらさらと黒い前髪が流れる。
「大神官猊下の話では一週間以内って話だったんですけどね」
「もう一週間経ってるんだぞ」
「では、今日辺りかな」
大神官の話では、10年近く封印されていたため、身体に解放された魔力が染み渡るまでにある程度の時間を有するらしい。
あと、精神的な負担もかかるため、身体が休息を欲するとも言っていた。
「魔力が身体に馴染んでないのでしょうか?」
「それは、目が覚めてみないと分からねえな。高田を縛っていた法力の気配はほとんど消えている。今、残ってるのは……、記憶を封印しているもんだろう」
魔力感知に優れている魔法国家の王女でも……、栞の魔力が今現在どうなっているかまでは分からないらしい。
しかし……、それが水尾にとっては不思議だった。
眠っていたとしても、その人間の魔力の有無というのは解るものだ。
だが、こうして栞の髪に触れても、感知できる魔力がほとんどない。
水尾としては、栞に魔力があることは身をもって知っているため、ここまで魔力が感知できないのは逆に不自然なことのように思えた。
「こればっかりは叩き起こすわけにもいかないからな~」
「今回ばかりは止めてくださいよ。目覚めないことに対して苛立つのは皆同じなんですから」
「待つのは苦手なんだよ」
「オレも苦手ですよ」
「それにしても……、これだけ近い距離で騒いでいても起きないってのは凄いな……」
雄也は、今もなお眠り続ける「眠り姫」を見ながらそう呟く。
眠り続けているなら、夢の中に入って起こすという方法も雄也は考えた。
夢の中に入るという手段は、あまり一般的ではないが雄也にはソレが可能である。
しかし、それが彼女の状態に影響がないともいえない。
夢の中に入るということは、精神感応と似たようなものだから、それが暴走に繋がるとも限らないのだ。
そんな危ない橋を渡るわけにはいかないし、渡らせるわけにもいかない。
どちらにしても、彼女が自然に目を覚ますのを待つことしかできないようだ。
せめてもの救いは、この部屋……、大聖堂にある一部屋を借りることができたという点だろうか。
城の中ではあるが、少なくとも城下に比べて人目には付きにくい。
城下では、余所から来た者というのは珍しくはない話だった。
しかし、この国の城下は、一般の人間よりも神官や神女、信者の方が多いという、いわば聖地のようなものだ。
それでなくても、定期船が休航となり、他国の人間の出入りはかなり減っている。
その状況下で、一般人が彷徨くのはあまりにも目立ってしまうのだ。
城下で暫く寝泊まりしていたが、髪の毛を短くしている自分たちは、目立っていたと雄也は感じていた。
確かに、神官たちは修行中の身ということで、周りに関心を持たないようには見える。
しかし、それは表面上のことだ。
特に修行が未熟な「見習神官」たちの中には、他所から来た人間に対して、興味を惹かれている者もいた。
そして、城下に住んでいる神官以外の住民は、大多数が信者だ。
髪を結ってはいなくても、髪の毛が長い。
信仰している神があれば、髪を長くするのが義務だからだ。
だからといって、自分たちが長い髪のまま城下をうろうろするわけにはいかない。
信仰心がまったくない人間がそのような格好をしていると解った時点で、この国では歓迎されないのだ。
だから、髪の毛を切ったのだが。
城内といえど、大聖堂という特殊空間の中だ。
ここなら、王族であっても、強制的に立ち入る権限はない。
今更ながら、自分たちの強運に感謝したいところだった。
もし、彼女の魔法を封印した術者が大神官でなければ、部屋の一室を借りるにも様々な手続きを必要としただろうし、上神官以下であればこの大聖堂すら立ち入れず、城下の宿で解呪を行うという目立つ行為を実行せざるをえないところだった。
尤も、術者があの大神官でなければ、件の神への対処もできなかっただろうが。
『~~~~~~~~~~~~』
「お……」
聖歌が流れ始めた。
「もう……、昼か……」
水尾が呟く。
大聖堂は昼になると、聖歌が鳴り響く。
そして、それは城下にいても聴こえるのだ。
それが、まるで時報と同じような役割をしていた。
この部屋は多少防音が施されているようだから、そんなに気になるほどではないのだが。
「あ、じゃあ、オレ、作ってきます」
そう言って、九十九は昼食を作りに部屋から出た。
この大聖堂内には、厨房や浴室、それといくつかの部屋があり、生活するのに困ることはあまりなかった。
強いて困る点を挙げるとするならば、何もすることがない……といったところか……。
ここには、今いる4人の他は、クレスか大神官しか立ち入らない。
祭壇のある広間の方に人の気配を感じることは多々あるが、部屋の並ぶこの通路の方まで人がくることはなかった。
大神官の話では、この部屋は人を庇護する時等に使用するもので、滅多なことでは使うことはないらしい。
普通の者なら、城下にある一般用の聖堂で十分だということなのだ。
今回は、特例ということだろうか……?
「本当に高田は……、腹、減らねえのかな……?」
水尾がポツリと呟く。
「減らないんだろうね」
「私なんか、一食抜いただけで結構きついのに……」
「だが、貴女も、飲まず食わずで数日、眠っていた時期があると聞いているが?」
その雄也の言葉に、いつの話をしているのかを理解できた水尾はムッとした顔をする。
「飲まず食わずだから倒れたんだよ、あれは……。ちゃんと食ってさえいれば、あんな醜態を人目にさらさなかったはずだ……」
それは負け惜しみに近かった。
だが、この男の前で、魔法国家の王女が魔法力が枯渇して倒れたとは言いたくない。
それが、事実であっても。
その水尾の言葉に雄也が一瞬だけ、眩しそうに目を細める。
「でも、それが結果として今の状態……。それは悪くはないと思うが?」
「それは結果論だろ?」
水尾と雄也がさらにそんな会話を続けた時……。
―――― コンコンコン
この部屋の扉を叩く音がしたのだった。
この主人公、寝てばかりですね。
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