【第20章― 神隠し、人隠し ―】のんびりお風呂?
この話から第20章。
今までに何度かある節目の章の中でも主人公の変化が大きいものです。……多分。
「いい湯だな~」
大聖堂の奥の小部屋で、わたしはのんびりと一人でお湯に浸かっていた。
魔界に来てから、初めてこんなに大量のお湯を見た気がする。
なんという贅沢な話だ。
お金持ちになってしまったような気分で、ちょっと落ち着かない。
どぼどぼと変な顔した蛇のような形の生き物から、とめどなくお湯が出てくる姿はなんか変な
感じだ。
まるで、この蛇のような生き物がお湯を吐いてるようにしか見えない。
読んで字の如く「蛇口」ということだろう。
でも、形状はともかく蛇とは違うのは分かる。
にょろ~んとした髭はあるかもしれないけど、わたしが知っている蛇にふさふさした鬣はないし。
その変な生物の給湯口があることは気になるが、ここはお風呂と名が付いた空間ということで良いだろう。
今の状況は「神水浴」とか「浄水の儀」とかちゃんとした名前があるのは知っているけれど、その知識がないわたしにとっては普通のお風呂でしかない。
親切なことに身体を洗う浴場みたいな場所もあるし。
しかし、想像以上に本格的なことになった。
湯船に浸かりながらもそう思う。
正直、魔法を使うときみたいに封印を解く法力とやらでちょいちょいっとやるだけ簡単にできるものだと思っていた。
でも、実はそうではないらしい。
恭哉兄ちゃんによると、法力は魔法と違って基本的には、毎回、神さまに対してお伺いを立てなければいけないらしい。
そして今回のような一度、神さまに協力を頼んで施した法力を解呪するにはきちんとした儀式の元で行った方が、失敗は少ないという話だ。
解呪の失敗は、対象者だけではなく、術者にも害がある可能性が高いとかで、慎重に行いたいと恭哉兄ちゃんは言った。
だからこそ、人間界で安易に触れようとした九十九は手のひらの皮がずるむけになるような事態になったのだろう。
わたしに施された封印はきちんとした儀式の元で行ったものではなく、急拵えのものだったらしい。
その上、恭哉兄ちゃんがまだ「緑羽の神官」という今より下の地位にいる時だったから、封印としては不完全なものだったという。
恭哉兄ちゃんの口から「未熟」という言葉を聞いた雄也先輩は感心し、水尾先輩も何かに対して納得していた。
九十九だけはちょっとショックを受けていたみたいだけど、それは封印の解呪に失敗したからかな?
そんなわけで、その儀式とやらの前にしっかりと身体を浄めるため、お湯に浸かっているわけである。
勿論、入る前にしっかりと身体は洗いましたよ。
こんな乳白色の綺麗なお湯に洗いもせずにどぼんっといけるほど、ぶっとい神経は持っていないので。
そして、広いお風呂のお約束でしっかり、潜水もしてみました。
流石に乳白色のお湯の中で、目を開ける勇気はなかったけど。
なんとなく手足を伸ばしてみる。
魔界に来てから少し肌の色が変わった気がしていた。
血色が悪くなったわけではないのに、少し白さが増している。
でも、一番の違和感は……。
「日焼けをしなくなった」
これに尽きるだろう。
人間界では部活をやっていた。
ソフトボールというのは、野球ができない時期に屋内球技として作られたらしいけど、今ではほとんど屋外競技となっている。
そうなると、練習は勿論、屋外。
多少の雨でもお外で練習。
落雷がある時や激しい雨が降っている時は、流石に室内で筋トレしてたけど……。
そんな日々を送っていたら、わたしは日焼けで肌は赤くなっていたり、薄皮がむけていることが多かったのだ。
部活を引退して、受験勉強のため、あまり外に出なくなっても、お腹と腕の色は少し違っていた。
でも、魔界に来てから全身の肌色に差がほとんどなくなった気がする。
前よりも、ずっとお日さまの下にいるのに。
魔界……、この世界の恒星は、太陽と同じで一つだけ。
その名を「ナス」というが、あの太陽と同じように照りつける恒星に紫外線が含まれていないとも思えない。
因みに衛星は月と違って二つもある。
「紅月」と「蒼月」。
それらは月とは違って、赤白い光と青白い光を放ちながら、それぞれの動きで夜空に浮かび、満ち欠けしているのだ。
「う~ん」
わたしは少し、身体を震わせる。
寒さからではなく、単純に怖いのだ。
魔界に来てからずっと……、自分が自分から離れていく気がして……。
九十九は過去のわたしを切望している。
時々、口にする言葉や、わたしじゃない誰かを見るような瞳。
あれで、全然、過去のわたしに興味が無いと言われても信じられない。
雄也先輩は特に口にしないけれど、こんな所まで強行した所から、やはり過去のわたしを望んでいないとは思えない。
考えてみれば、当然の話だ。
彼らの幼馴染みで、彼ら自身が守ると決めた相手はわたしではないのだから。
大神官である恭哉兄ちゃんは言った。
ここまで長く違う人間として生きてきたのだからもはや別人だろう、と。
だから、記憶を無理に戻そうとしない方が良いとも言っていた。
つまり、わたしと10年前のわたしは、身体が同じだけの別の人間と言っても過言じゃないということだろう。
でも、そうなると、強制的に命令に従わせる魔法である命呪も本来、わたしが持つべきものじゃない気がする。
あの兄弟が過去のわたしに会いたがっているなら……、いつかは会うべきだとも思っているのだ。
彼らは10年間という短くない月日をその捜索に費やしていた。
それなら、少しぐらい報われても誰も文句は言わないはずだ。
だけど、同時にその時、望まれていないわたしの方はどうすれば良いのだろう? とも思う。
魔界人のわたしは5年間しか生きていないのだ。
この時点で既に、人間として生きてきたわたしの方が長くなってしまった。
過去のわたしは、こうなることをどれだけ考えて自分の記憶の封印してしまったのだろうか?
魔法だけでも良かったはずなのに。
過去のわたしがしたことは、少なくともこれまでの人生全てを否定したのと同じだと思う。
あの母を説得したのか、逆に母から説得されたのかは分からないが、この部分が酷く不思議に思う部分だったりする。
魔法に詳しい水尾先輩も、ここまで長期にわたる魔法と記憶の封印は珍しいと言っていた。
途中で恭哉兄ちゃんの手が加わっていたとしても、それでも、彼に会うまでは封印が保たれていたという事実がある。
それを当時5歳のわたしがやっているということは、ちょっと信じられないことだそうな。
まあ、魔法国家と言っても全ての魔法に精通しているわけではないし、失われた古代魔法や、創作魔法とかいう独自の魔法もないわけではないとも言っていたけど。
ただ……、そんな一般的ではない魔法を何故、5歳の身で契約していたのかは分からない。
でも、これらは考えても答えが出ることではない。
だから、気分を切り替えるように大きく息を吸い込んで、深く吐いてみた。
「……にしても……、このお湯、何か良い匂いがするな~」
深呼吸をしたことで、現実に向き直る。
このお湯は白く濁っているけど、甘い砂糖菓子みたいな匂いもしている。
薄い牛乳風呂みたいだけど……、実は飲めたりするのかな?
人間界の温泉とかでも飲めるところがあったと聞いている。
人間界で温泉に行った時には飲みたいとは思わなかったのに、このお湯からはそれだけ甘く美味しそうな匂いが漂ってくるのだ。
自分が浸かっているこの湯船から掬って飲むようなことはしたくないが、蛇の給湯口から出ているものなら、衛生面に問題なければやっても良いかもしれない。
「恭哉兄ちゃ~ん、このお湯って飲めるの~?」
分からないことは聞いてみるべし!
そう思ってこのお湯に詳しそうな人間に向かって叫ぶと、布で仕切られた向こうの方からガタガタンと何かが落ちるような音がして……。
「飲んでも害はないはずですけが……、普通は、飲まないですね」
恭哉兄ちゃんにしては珍しく、ちょっと戸惑った返答が返ってきた。
どうやら、わたしの発想は、大神官をも動揺させてしまうほどのものだったらしい。
「白く濁っているから普通の水じゃないのは間違いない……けど。これって聖水とか?」
「違いますよ」
まあ、流石にそんな勿体ない使い方はしないか。
「聖酒です」
「清酒!?」
清酒って……確か、日本酒のことじゃないっけ?
「神によって浄められた聖なるお酒ですよ」
「お酒!?」
よ、良かった。
ノリでうっかり飲まなくて。
それにしても、このどばどば状態は勿体ないんじゃないかな?
既にかなりの量が外に溢れ出てるし……。
え?
1リットルあたり、おいくらですか?
「つまり、これは白酒ってことか……。変なダシがとれそうだ」
「何もダシを取っているわけではないですよ」
「ハッ! ま、まさか……、そこには、クリームや香草、白い粉があって……」
人間界で読んだ有名な児童文学が頭をよぎった。
「乳液と香草、粉は準備してますよ」
「うわ~!? 喰われる!?」
「塩まではありません。壁から二つの目が覗くこともありませんし、勿論、私も食べませんから、安心してください」
どうやら、恭哉兄ちゃんは元ネタがわかったらしい。
そんな言葉を返してくれた。
布の向こうから何かを置いたりしていた恭哉兄ちゃんの気配が暫くあったけど、作業を終えたのか、いなくなったのが分かる。
「はぁ~。のぼせる前に上がるか……」
温泉ならともかく、お酒をこのまま、どばどばさせとくのも勿体ない。
身体も洗ったし……、上がるとしますか。
大神官もまさか、「神水浴」中の少女が声をかけてくるとは思っていなかったようです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




