揺れ動く心
「個人的にはもう少しお話を伺いたい所ではありますが、取り急ぎ、用件を確認させていただいてもよろしいでしょうか?」
そう雄也先輩が口にした。
「はい、構いません」
恭哉兄ちゃんは、ちらりとわたしを見た後、雄也先輩の方を向く。
「彼女の儀式はいつ頃、行うことになりますか?」
「そうですね……。本日の聖歌時以降でしたら、いつでも調整は可能です。準備に関しては今からでもできますよ」
少し間を置いて恭哉兄ちゃんは答えた。
「……聖歌時って……お昼だろ? ちょっとばかり早くね?」
恭哉兄ちゃんの言葉を聞いて、水尾先輩が思わず口にしていたが、正直、わたしも同感だった。
いくらなんでも昨日の今日で、すぐにできるなんて思わない。
しかも、お昼ってもうすぐだ。
それ以降なら大丈夫って言われても、儀式って本来はいろいろな道具の準備とかが必要になるのではないのだろうか?
「栞さんの封印は元々、正式な儀式の下で行われたものではありません。ですから、あまり仰々しくない方がよろしいでしょう。立ち合いの神官も必要としないため、人員の調整も不要です」
言われてみれば、確かに目立ちたくない。
わたしとしても、その方が助かる。
「ただ……、それでも何も問題がないわけではありません。恐らく、儀式後に暫く動くことができなくなるでしょうから、お連れの方々を含めて部屋などの手配をしておきましょう」
「お気遣い、心より感謝いたします」
雄也先輩が軽く頭を下げる。
「栞さんは、いつ頃がよろしいですか?」
恭哉兄ちゃんが微笑みながら、わたしに尋ねる。
何だろうね?
この笑みに隠れている「逃がしませんよ」と言わんばかりの雰囲気は。
いやいやいや、分かっています。
わたしは逃げませんよ!
「…………早い方が良いです」
少し、間が空いてしまった部分に、自分の思い切りの足りなさが表れてしまった気がする。
でも、ここまで来たら先延ばしても仕方ないのは確かだ。
先ほど、せっかく覚悟を決めたところである。
決意が逃げないように、自ら退路を断っておこう。
「それでは、私は急ぎ、準備をして参ります。恐れ入りますが、皆さまは、こちらで暫くお待ち下さい」
そう言って、恭哉兄ちゃんはさらに奥へと消えていった。
後に残ったわたしたちはなんとなく顔を見合わせ合う。
「…………大神官猊下って意外とせっかちなのか?」
九十九がそう言った。
あまりにもとんとん拍子に話が進んだために、そう思ったのだろう。
「ちゃうで。今のは、嬢ちゃんが『早い方が良い』言うたからや。顧客……、やない、迷える子羊の気持ちに寄り添い、万全に備えるのがあいつの仕事やからな」
「顧客って……」
まるで、商売みたいだ。
もしかしなくても、お金をとられるのだろうか?
考えてみれば、宗教に関することが無料で行われるはずがない。
寄付とかお布施とか……、寺社仏閣はお金がかかるものだったはずだ。
しかし、それなら雄也先輩がそれを知らないはずがない。
彼に任せてばかりで申し訳ないが、ちゃんと考えてくれていると信じよう。
「それにしても、儀式ってそんなに早く準備できるものなのか? 王族の儀式とかはかなり前から入念な準備をしてた気がするんだが……」
水尾先輩が顎に手をやる。
「儀式の種類にもよるんやろうけど、ベオグラの場合、嬢ちゃんの封印もその場ですぐ、やったしな。解呪も儀式ってほどのもんやないと思う。まあ、アイツのことや。失敗せんためにもある程度はしっかり準備すると思うで」
「……失敗の可能性もあるの?」
「人間のすることやし。特に嬢ちゃんの封印は特殊な状態で特異な状況やったから、通常とは違うはずやわ」
楓夜兄ちゃんの話では失敗の可能性もないわけではないらしい。
なんだろう。
今更ながらちょっとだけ怖くなってきたんだけど……。
「俺としては、暫く動けなくなると言う言葉が気になったな。それほど負担がかかるということか?」
「そう言えば、そんなことを言ってたな、大神官」
雄也先輩と水尾先輩の言葉に、そんなことも言われていたことを思い出す。
動けなくなるって、意識を失うとか?
あれ?
もしかして封印を解除って、しない方が良いのではないでしょうか?
「おいこら。……今、すっげ~変な顔をしてるぞ」
九十九の言葉に思わず顔に手をやる。
「ど、どんな顔でしょうか?」
「全て放り投げてとんずらしたいって顔」
「…………マジですか」
図星だった。
しかし、そこまでしっかり顔に出してしまっていたとは……。
それも勘が良い雄也先輩からではなく、九十九に指摘されたことがなんとなくショックだった。
そこまでわたしが分かりやすい反応してしまっているということなのだから。
「逃げたって何の解決にもならんことは分かってるだろ?」
「本気で逃げることが出来ないのは分かっているけど、少しくらい時間稼ぎはしたいって気持ちも分からない?」
どうせ逃げることはできない。
逃げた所でどこにも行き場はないのだ。
それは分かっていても、やはり嫌なことは少しでも後にしたいという気持ちも存在する。
「それが、問題の先延ばしにしかならないってのは自分でもちゃんと分かってるんだけどね」
流されるようにここに来たようなものなのだ。
勿論、誰かに騙されてきたよりはマシだし、ある程度自分で考える自由もあった。
それでも、その大筋の部分においては、全てを自分で選択してきたとは思っていない。
気付いた時には、わたしの逃げ道は綺麗に塞がれてほぼ一本道となっていたのだ。
そこが自分にとっては不満なのかもしれない。
……いや、結構、今更の話なんだけど。
「分かってるなら覚悟を決めろ。それに……、水尾さんも言ってただろ。魔法は怖いもんじゃねえって」
「別に魔法を怖がってるわけじゃないんだけどね」
魔法が怖いのではない。
怖いのは自分自身だ。
魔法という強大な力を手にしたら、なんとなく世界が変わってしまいそうな気がする。
これまで何度か殺されかけたりしているけど、今度は逆に人を傷つける側に回ってしまうかもしれないのだ。
「私からすれば……、魔法のない世界の方がずっと怖いけどな」
水尾先輩はわたしを見ながらそんなことを言った。
「人間界では確かにこの世界ほど魔気はないけど、全然なかったわけじゃねえ。だからそこまでの不安はなかった。でも……、この世界から魔気が全て消えた状態……。それを考えるだけでも私はゾッとする」
水尾先輩はそう言いながら身を竦めるように両腕を組んだ。
「魔気を感じない世界ってことは……、精霊もおらんようになるのか……。それは俺にとっても居心地悪いかもな~」
楓夜兄ちゃんもそんなことを言った。
この世界は魔法が全てってわけじゃない。
それでもどれだけ魔法という存在が世界に根付いているかはこの数ヶ月だけでも十分すぎるほど分かっている。
今ははっきりと理解できなくても、封印を解いたら、わたしにもその世界が分かるのだろうか?
そんなことを考えていた時だった。
「お待たせ致しました」
大聖堂の奥から大神官さまが姿を表した。
思ったより早い。
もっとゆっくりでも良かったのにね。
「準備が整いましたので、栞さんのみこちらへおいでください」
そう言いながら、大神官さまが手を差し伸べる。
その表情は少しだけいつもと違っていたけれど、間違いなく恭哉兄ちゃんだった。
今は、彼が大神官さまモードではなかったことに少しだけホッとする。
「分かりました」
恭哉兄ちゃんにそう応えたわたしの顔と声はどうだっただろうか?
先ほどまでの反省を生かして、努めていつもどおりにしてみたけれど、周りにはどう映ったか……。
それは、わたしには分からなかった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




