委ねられる判断
「我々、魔界人は激しい感情の変化でその魔力が一時的に増大します。怒り、悲しみ、畏怖などの負の感情は、瞬時に強い心を呼び起こす。そして、そう言った状況では、意識も飛びやすい。つまり無意識下のまま感情だけに振り回され、暴走の原因と成り得ます」
恭哉兄ちゃんはそう言った。
「つまり、錯乱状態ってことだよね?」
「そうですね。暴走の仕方は人それぞれですが、大半は先程のクレスノダール王子殿下の状態を例にあげると分かりやすいでしょう。王子殿下は、信じがたい事実を知り、その感情に振り回され、半ば感情や思考が混乱してしまいました。それは、貴女の目からでも分かったと思います」
「うん……」
さっきの楓夜兄ちゃんは、目がどこを見ているか分からなかったし、どこか危険で恐ろしいもののような感じがして……、正直、すっごく怖かった。
「あのような状態になると、感情は魔力とともに破裂しやすくなります。それも無意識のままですから、本来、身体や周囲のために抑制している枷がなくなります。その状態で魔法を使えば、どうなるかはなんとなく想像がつくことでしょう」
「無制限、無差別、無遠慮、無限大、無作為、無思慮、無自覚、無慈悲、無尽蔵、無責任、無造作、無秩序、無分別、無闇矢鱈になるってこと?」
「魔法は有限なモノですから制限や力の大きさはありますよ。この方の場合、王族ですから一般の方よりは遙かに力を出せますけどね。」
う~ん、流石だ。
今の「無」熟語の数々をしっかりと聞いて、さらに言葉を返すとは……。
「但し、その状態では無防備にもなりますが……」
むむっ。
さらに「無」を返されるとは……。
恭哉兄ちゃんは、雄也先輩と同じように言葉に敏感なのかもしれない。
「無防備って?」
「感情を剥き出しにしている人間は、精神、身体ともに無防備になります。確かに魔法の力は自分の持っている力の限界近くまで引き出されてしまう可能性も高いですが、その分、隙も大きいのです」
「大振りの一発って感じだね。当たればダメージ大。外れたら確実にカウンターを頂くってとこが」
「それはよく分かりにくい例ですが……」
「そうかな……?」
格闘ゲームとかやっていると良く分かると思うけど……。
ああ、でも、恭哉兄ちゃんってあまりゲームのイメージはないか。
「分かりやすく説明すると、その状態に陥ってしまうと、通常以上に魔法が利きやすくなるということです。特に、精神に感応する魔法は抗うことは出来ないでしょう。先程の私の法力も、普通ならば王子に利かない程度のものなのですよ」
「全ての力を攻撃に注ぎ込むから、防御が疎かになっちゃうわけだね」
そう言えば、以前、水尾先輩も暴れている時に母さんにあっさりと眠らされたという話をしていたっけ。
本来、魔法に対する防御力も高いという魔法国家の王女さまにあっさりと魔法が利いたのはそういうことなのか。
「ですから、王族の血を引くほど、その力が強大なほど日頃から感情を抑える努力をせねばなりません」
「え? なんで?」
「暴走すると危険ですから」
「そうかな? 普段から感情を抑え込んでいる人ほど、キレた時危ないと思うんだけど……。常にストレス溜め込んで生活しているようなものでしょう?」
そう言うと、何故だか恭哉兄ちゃんは笑った。
「どうしたの?」
「いえ……、姫のようなことを言われる……と思っただけですよ」
「姫? ああ、この国の?」
恭哉兄ちゃんは王女のことを「王女殿下」とは言わないのか。
楓夜兄ちゃんは「クレスノダール王子殿下」と呼ぶのにね。
「そうです。少しだけ、貴女に似ている気がします」
……姫様の前評判を聞く限り、素直に喜べないのはわたしだけだろうか?
脱走するような行動派なんだよね?
そんな人に似ているって……。
「暴走のことは、分かった。つまり、わたしもその……、怖い犬に襲われて暴走したってこと?」
「そういうことです。あの時は傍にいた私たちの方が驚きましたよ。その時まで貴女が魔界人だなんて思いもしなかったものですから」
それは、わたしが初めて魔界人たちと遭遇した時みたいな心境だろうか……。
あの時は、魔法というものは身近になかった。
知識として、空想上のものだと思っていた。
でも……、今は……、こんなにも身近にある。
それも日常会話の必須単語となってしまうぐらいだ。
それでも、わたし自身は使えないのに。
「それで……、どうされますか?」
「え?」
「封印を解くか、現状維持を続けるか……。それは貴女の判断に任せますが……」
「封印を……、解く……?」
今までただの人間として生きた「高田 栞」を消して、魔界人として生きるってことになるのかな?
だけどそれは……、人間界で暮らした10年間を否定すること。
それは少し、複雑だけど、九十九と雄也先輩は喜びそうな気がする。10年間、昔のわたしを探し続けていたのだから。
「魔法に関しては解呪することは可能です。しかし……、記憶はそのまま現状維持の方が良いかも知れませんね」
「え?」
恭哉兄ちゃんからの思わぬ台詞にわたしは驚いた。
魔力の封印を解除して、記憶はそのままなんてことができるのか?
「記憶を戻すと、少し混乱が生じる恐れがあるのですよ。巧く、前後が繋がれば支障はないのですが……。封印されている部分と、今の貴女が必ずしも同じ人物とは限りませんからね」
「どういうこと?」
「性格、趣味、価値観、人生観の相違がある可能性もあります。同じ人物から生まれ出たものでも、環境等で人格は変わってしまいますから。それでなくても10年の月日が経っているなら、もう、過去の貴女とは完全に違う人物かも知れません」
確かに……、性格は変わっている可能性が高い。
いや、変わっているって何故か断言できる。
小さい頃から傍にいたという九十九も雄也先輩も、同一人物と完全に確信するまで月日を有したと言ってた。
「それに……、記憶の封印自体は、私はあまり手を加えていないのです。綻びを補強したぐらいで、封印そのものは貴女の魔法が主のままです。私が行ったのは、魔力の封印でした。だから、そちらについては私が手を掛けない方が良いと思うのですが……」
「記憶無しで魔法……」
それはそれでかなり危ういのでは……?
「魔法は精神力さえ伴えば使用は可能ですから問題はないですよ。それに……、あの頃よりは自制も利くはずですから、今の貴女なら、誤った使い方はしないでしょう」
「でも……、封印解除したらいきなり暴走する可能性もあるんじゃ……」
再会したばかりのわたしをそこまで信用しても大丈夫なのか?
「暴走の可能性は今の方があると思いますよ。日頃から、魔法の使い方をある程度理解できていれば、咄嗟の時にも冷静に対処する助けとなるでしょう。しかし、制御した状態で、何か起きたときは、以前と同じく……、いえ、それ以上に力尽くで封印を破らねばならないのですから」
「う~ん。どっちも自信ないよ……」
わたしは魔法というものの怖さを知ってしまった。
どちらかと言えば、まだ現実と非現実の境目がない、夢に溢れた10歳の時の方が、未知なる魔法に対する興味とかが勝っていただろうけど……。
でも、確かにこのままじゃ危険なのも分かっているんだよね……。
「迷われているようですね」
「うん。いろいろあって……」
「勿論、先程も言ったとおり最終的な判断は貴女に任せます。貴女自身のことですから。第三者に過ぎない私が口出しすることはできません」
「恭哉兄ちゃん……」
「私は、大抵、この城にいます。そうですね……。聖歌……いえ、お昼前は一刻……一時間ほど城下に出ていることが多いですが、それ以外は大聖堂にいます。貴女の中で答えが出たら、こちらに来てくださいますか?」
「え……?」
「すぐに、結論が出る問題ではないでしょう。私たちと違い、魔界人として生きた時間よりも、人間として生活していた時間の方が長いようですから。簡単に結論が出せるとは思いません。慌てなくても、私は逃げませんから、ゆっくりと考えてください」
そう言いながら、恭哉兄ちゃんは口元を少し緩めてくれた。
それだけなのにちょっとホッとする。
しかし、それはほんの短い間だった。
恭哉兄ちゃんは、すぐに元の真面目な顔に戻ってこう言葉を続ける。
「但し、一度決めた以上は貴女自身の責任になることを忘れないように」
「恭哉兄ちゃんも優しいのか、厳しいのか分からないや……」
わたしはそう溜息を吐くしかなかった。
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